「息子の部屋」という映画について

これは2015年の日記

うちの近所のTSUTAYAは、
何枚かまとめて借りたら安くなるシステムなので、
先週末にまとめて借りて、
今週はかなり苦労して映画を見た。

しかし昨日、
模様替え中の雑然とした部屋で、
仕事で疲れた身体で、
なかば義務的に見たこの映画は、
意外に僕のツボの映画だった。

「息子の部屋」2001年 ナンニ・モレッティ監督

ナンニ・モレッティのことはあまりよく知らないし、
数年前には日本語版のウィキペディアにも、
ナンニ・モレッティの項目はなかった。

僕は1985年に制作された、
「ジュリオの当惑(とまどい)」
という映画を見たことがあり、
そんなに好きな映画ではなかったのだが、
何となく印象深くて覚えていた。

「ジュリオの当惑」にも、
「息子の部屋」にも、
ナンニ・モレッティは自ら主演している。

物語は、主人公の精神分析医に、
画商の妻と高校生の娘と息子がおり、
平穏に暮らしているのだが、
ある日その息子が、
ダイビング中の事故で死んでしまう。

父と母と姉はお互いに支えあって、
喪失感と戦いながら暮らしているのだが、
ある日、息子がキャンプで知り合った女の子から
手紙が届く・・・・
というような内容なのだが、
淡々とした日常の描写の中から、
ジワジワと心に何かを訴えてくる、
ヨーロッパの映画によくあるパターンの映画だ。

結局僕はこんなタイプの映画が好きなのだ。
ベルトラン・タヴェルニエの「田舎の日曜日」とか、
ジャン・シャルル・タケラの「C階段」とか、
クロード・ソーテの「ギャルソン!」とか、
ウェイン・ワンの「スモーク」とか。

ところがこのような映画は、
地味で、あまり知られていなくて、
「映画が好き」というテーマで語ろうとしても、
なかなか話が合う人とは出会えない。

もう30年くらいもこんな状態が続いていて、
最近は「映画が好き」と
言わないようになったし、
僕自身があまり映画を見なくなった。

1980年代の後半あたりが、
僕が映画に何かを求めていたピークの時期で、
その頃に思った、
「いつか仲間を見つけて一緒に映画を撮る」
という目標は、
今では目標ではなくなっている。
まあ、小規模な自主制作映画は作りましたが。

それでも映画は僕を見離すことはなく、
なにかの「折り」に、
僕を物語の世界に連れていってくれて、
時には感動の世界にまで迎え入れてくれる。

遠い世界のどこかで、
知らない誰かが、
いつのまにかこんな映画を作っている。

完成から15年ほども経った後、
やっとそれに出会えた僕が、
日本の雑然とした部屋で、
一人でそれを見て、
立ち上がれないくらいに泣いている。
映画にはそんな感動があるから、
僕は映画と映画を作る人達を信じられる。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?