「人の人生に触れて 自分の人生について考えながら 海を見ていた午後」

2014年の8月、僕は私設の保育園の開園準備をしていて、中学の同級生で、保育士の資格を持っている女性に会った。この方は年に一度、同窓会の案内を必ずくださるのだが、僕は2~3年に一回、出席するかしないかだった。

それで、約2年振りに会ったのだが、
保育士を辞めてからかなり経つし、
今の仕事も忙しいので、
手伝うことはできないと言われた。

それはしかたのないことなので、
じゃあ家まで送りますよと言うと、
福岡県の春日市に住んでいたはずなのに、
今の家は福岡市早良区の百道にあると言う。

あまり根堀り葉堀り聞くのは得意ではないので、
そのことについて言い出せずにいたら、
道々ポツリポツリと話してくれた。

数年前から娘を連れて旦那と別居していたのだが、
娘も息子も独立して、
ついに一年ほど前から、
念願の一人暮らしを始めたということであった。

ここまで話したら百道のあたりについたので、
「このあたりの海岸なんて珍しくもないでしょ」と聞くと、
「まだ行ったことがない」という。

それで、車を停めて、海辺を歩きながら話すと、
「こんな素敵なところがあるんだね」と感心していた。
「家から歩いて行けるくらいの距離じゃない?」と言うと、
「一人では出かける気にならない」ということであった。

10代のころから家を出ることに憧れ、
親が厳しかったのと自分が病弱だったので実現できず、
家を出るには結婚するしかないと思い、
見合い結婚をして子供も二人産んだが、
長い間旦那さんとは折り合いが悪く、
僕は会う度に愚痴を聞かされていた。

そしてやっと40代後半にして、
親も年老いて話を聞いてくれるようになり、
子供たちも手を離れて
ついに念願の一人暮らしを始めたのだが、
いざ一人になってみると、
自分が何をしたいのかわからないし、
どうすれば満足なのかがわからない。
だから、ちょっと高い食べ物を買ってみても、
一人で食べたら全然おいしくないし、
休みだからといって、特に行きたい場所もない、
ということなのである。

「自分を見失い過ぎだろう」と思った。
さすがにこんなきつい言葉では言えなかったが、
中学からの知り合いなので、
遠回しにだが、こういう意味のことを言った。

「そうだね」と言われたが、
フォローの言葉が見当たらなかった。

あの頃、中学の頃、
ダサい水色のジャンバースカートの制服を着て
放課後の音楽室で、
パーカッションのリズム練習をしていた彼女を覚えている。

あの頃の僕たちにはあまりにも未来があって、
いくつもの選択肢を選び放題だったはずだ。
そして僕もいくつもの選択をし、
彼女もいくつもの選択をして、
この日のこの場所までたどりついた。

それに悔いはないし、
彼女だって悔いはないだろう。
でも僕はなんだか悲しい気持ちがしたよ。

家に帰って、奥さんに、
その日の出来事を面白おかしく語ろうとしたけど、
やはりいつものように快活には笑えなかった。

僕が専門学校の講師をしていた時、
卒業する生徒に贈った言葉、
「何かを始めようと思った時、
それが遅過ぎるということは絶対にない」
という言葉を思い出した。

そして大貫妙子の「あこがれ」という歌を思い出した。
YouTubeで探したけど見つからなかったので、
歌詞だけ紹介します。

「あこがれ」 大貫妙子

小さい頃 大人になれば
叱られないで済むと思ってた
長い間あこがれてた
歳に近づいたことふと気づく

思うままにすべてが
うまく行き過ぎた時に
誰も声をかけないなら
自分でとがめて生きてきた

小さい頃 大人になれば
この家を出られると思ってた
長い間望んでいた
歳に近づいたことふと気づく

いつのまにか一人で
暮らし始めていたけれど
寒い部屋を暖めるのは
愛を与え続けて来たあなた

長い間望んでいた
歳に近づいたことふと気づく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?