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イクオくん

統合失調症については、そんなに詳しくはないのだが、
前の奥さんの友人に統合失調症の人がいて、
その人からかかってきた電話を偶然とってしまったことがあり、
「もしもし」と電話に出た瞬間に、
延々と途切れずに、その人の妄想の話が20分くらい続き、
季節は寒い季節で、夕方に暗い部屋で鳴る固定電話に出たので、
明かりを点けることもできず、暖をとることもできない状態で、
耳から僕の中に狂気を含んだ言葉が延々と流れ込んできて、
背筋が凍り付くような思いをしたことがある。

その時の体験を少し内容を変えて脚本にして、
「妄想人間」というタイトルの自主制作映画を作ったのだが、
自分ではまあまあの出来と自負していた。
しかしその作品は特に話題になることもなかった。

それから10年以上が過ぎたある日、知り合いの花見に呼ばれて、
そこに来ていた人が僕が作った映画の話をし始め、
「なんといってもすごかったのは『妄想人間』だよね。」と言ってくれた。
「妄想人間」を見たことがあるのは、
何十人か、多くても100人くらいしかいないので、
その人がその作品を覚えてくれていて僕は少し嬉しかった。

その花見に参加していた、初対面のイクオくんという人が、
「そうなんですか、その作品見てみたいですね。」
と興味を持ってくれたので、

その場でイクオくんの名刺をもらって、
家で「妄想人間」の入っているDVDを探し後日郵送した。

しばらくしてイクオくんからメールがあり、
「『妄想人間』面白いですね。統合失調症の人のことがよく描けています」
という感想をいただいた。

僕はそれを読んで、
「へえ、あの前の奥さんの友達は、統合失調症という病気だったのか」
と、初めて統合失調症という言葉を知った。

それからさらに数年経ち、僕を花見に誘ってくれた知り合いに会った時、
「紀川くん、前に花見で、イクオくんという人に会ったの憶えてる?
イクオくん、自殺したんだよね」と教えてもらった。

以前から精神的に悩んでいるところがあって、
仕事上のトラブルで追い込まれ、
自殺してしまったということであった。

僕は一度会っただけなので、
イクオくんの病気のことは知らなかったが、
それであんなに「妄想人間」に反応していたのか、と納得がいった。
しかし、だからといって当然嬉しくはなかった。

イクオくんから、「紀川さんの別の作品も見てみたいです。」
とメールをもらって、別の作品のDVDも送ったのだが、
その後イクオくんからのメールはなかった。

失礼なやつだなと思い、僕の方からはメールしなかった。
その頃イクオくんは、人知れず悩み、自分を追いつめて、
ついには自殺に至ってしまったのだろうか。

イクオくんと会ったのは、福岡の舞鶴公園の桜の花びらが散る中だった。
イクオくんと会ってからもうすぐ20年になる。
そして今年ももうすぐ桜の季節が来ますね。

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