竹内睦泰さんのYouTube動画

1年前にYouTubeを見ていて、
適当に面白そうな動画を転々としていたら、
その中に竹内文書に関する動画があった。
竹内文書というのは希代の偽書と呼ばれている、
日本の歴史について書かれた文書だ。


武内宿禰の孫が書いたという設定の文書なのだが、
YouTubeの動画では
その武内宿禰に関係のある人が出ていた。


その動画にはコメンテーターとして
「ムー」の編集長の三上丈晴も出ていて、
一緒に出ていた竹内さんという人が、
現代の武内宿禰なのだという。


武内宿禰というのは特定の個人ではなく、
武内一族の血縁者による、
世襲制の役職の名前だというのだ。


動画に出ていた竹内さんは
73代目の武内宿禰にあたる人で、
1966年生まれということなので、
僕と同い年になる。
学年で言えば一個下かもしれないが。


この竹内さんは代々木ゼミナールの
日本史の講師をされていた方で、
ある日武内家からお声がかかり、
73代武内宿禰に就任したのだそうだ。


武内家では代々、
口伝で歴史が語り継がれてきており、
基本的には自分の家族にも、
自分が武内宿禰であるということは、
明かしてはならないというルールがあるそうだ。


そんな人がなぜYouTubeの動画で
その秘密を堂々と話しているのかは謎だが、
動画が始まった時点で
ある程度お酒を飲んでいるような様子で、
あまり呂律がまわっていないのだ。


ところが、この自称武内宿禰さんの話が
もの凄く面白くて、
動画は1時間20分くらいあったのだが、
つい最後まで見てしまった。


夕方に奥さんが帰ってきて、
「今日すごく面白い動画見たよ」
という話をしていたら、
ついその動画を再生してしまい、
奥さんと一緒にもう一度最後まで見てしまった。


動画の絵面は
薄暗いライブハウスのようなイベント会場に
三上さんと竹内さんと、
聞き手の女性と男性の4人が
テーブルに座っているだけなのだが、
僕は映像ソフトを作るプロとして、
こんな単調な絵面の動画を
1時間20分も作る自信がない。


ところがこの動画は
竹内さんの話があまりにも面白くて、
僕なんかは一日に二回も見てしまったのだ。

動画のタイトルは
「ムー度満点!トーク vol5.竹内 睦泰」以下はその内容です。

まず日本列島はかつてはユーラシア大陸と地続きで、
1万2千年前に今言われている温暖化のような現象があって、
南極の氷が溶け、湖だったところが日本海になり、
日本に住んでいた民族は一度大陸に移動したそうです。


それでシュメールのあたりまで行って、
「シュメール」というのは日本語の
「住める」からできた言葉だそうです。


それが「スメラミコト」の語源で、それが祭祀王。
もうひとつの統治王は都を「スサ」として、
それが「スサノオウ」
その2つのグループが分かれて日本に戻った。


「スサノオウ」のグループが、
モンゴルから満洲、朝鮮を経由する陸の道で日本に戻り、
出雲のあたりを拠点として北朝になりました。


「スメラミコト」のグループが、
インドから沖縄を経由する海の道で日本に戻り、
高千穂のあたりから日本に上陸し、
宮崎あたりを拠点にして南朝になりました。


武内家の口伝においては、徹底した日本中心主義、
日本原初主義で歴史が解釈されています。


猿田彦というのはおそらく
イエス・キリストのことだと思います。
青森にあるイエス・キリストの墓には
弟のイスキリが葬られています。


イスキリというのは「石切」のことで
イエスの父が大工だったことからそう呼ばれています。
イエスの地方で大工といえば石工のことを指し、
石を切っていたことから「イスキリ」です。
石工というのはつまり「フリーメイソン」のことです。


イエスには弟が4人おり、
ゴルゴダの丘で磔刑になったのは3番目の弟、
12使徒の中にイエスの従兄弟が2人いたというのも実の弟のことです。
イエスはその後アメリカに渡っています。


イスラエルというのは「伊勢に栄光を」という意味。
ジブリ映画との共通性についてよく質問されるのですが、
「千と千尋」においては
ハクの本名はニギハヤミコハクヌシといい、
ハクは龍として昇天しますが、
これはニギハヤヒノミコトからとったのでしょう。


ナウシカの内容も古神道です。
ピラミッドについては
三角形の建物が空から飛んで来たという話があり、
それが「飛来御堂」と呼ばれています。


と竹内さんが話していると三上さんが
「それってラピュタじゃん」と言って、
「ラピュタってそういう話なんですか?」
と竹内さんが言って、
「これはジブリには誰か知っている人がいるな」と、
参加者のみんなが言っていました。


武内家には宝暦事件に関わった竹内式部が
1767年に残した言葉として、
「100年後に王政復古が実現し、
その99年後に私は甦る」
という言葉が残されていて、その言葉通り、
1867年に大政奉還が実現したので、その99年後の、
1966年生まれの竹内さんが探し出されて、
第73代武内宿禰になった。


その1966年には偽書を書いた竹内清麿が死んで、
偽の南朝の熊沢寛道も死んだ。


歴史上の人物で忍者だったのは豊臣秀吉で、
「猿」というのは「足が速い」という意味
だから織田信長のぞうり番をしていた。
伊賀と甲賀は敵対していたわけではなく、元々は同じ一族だった。


インド大陸は元々島だった
それがユーラシア大陸にぶつかって合体し、
その時の衝撃でエベレスト山脈ができた。
同じように伊豆半島も元々は島で、
それが本州にぶつかった衝撃で富士山ができた。

このように思いつくままに
昨日見た動画の主な要素を
箇条書きにしましたが、実はこのダイジェストは、制作途中に原因不明のトラブルで、一度消失しました。

すっかり意気消沈して一度休憩し、それから気を取り直して、
もう一度動画を見ながら、
よくわからないところはグーグルで調べて
再度箇条書きを作ってアップしたのです。


その作業をしていて、
最初見た時に聞き逃していたとても重要な部分に気付きました。


それは安倍首相のことを話している部分で、
『元々武内家の人間以外は
大臣という地位につけなかったんです。
武内家の一族には、葛城氏、平群氏、
紀氏、許勢氏などがあるんですが、
それ以外で初めて大臣になったのが
安部氏だったんです。』
と竹内さんが言っていたんです。


そこの部分、竹内さんはあまり呂律が回ってないし、
平群氏(へぐりし)、許勢氏(こせし)など、
聞き取りにくい言葉も出て来るので、
ちゃんと聞いてなかったのですが、
ネットで家系図などを調べながら改めて聞くと、
紀氏(きし)と言っていたんです。


僕は総理大臣の話をしてたので
岸(信介)と言っていたんだと思っていました。
紀氏といえば僕の先祖にあたるのかもしれません。


ネットで調べたら武内宿禰の子孫の中に
紀氏という一族がしっかりありました。
だからこの動画に興味を持ったのかな?と思ったのです。

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