2019年9月のすれちがい

最初の段階からちょっとおかしかった。
僕はすでに微妙に身体の調子が悪く、
とりあえず辛めのカレーでも食べようかと思っていた。
風邪のひきはじめの時には自己防衛本能が働いて、
辛いカレーでも食べて体調を整えようとしたりするのだ。
それで昼食にカレーの辛さを調節できる店に行き、
いつもより少し辛めのカレーを食べた。

この外出の時に携帯電話を持っていかなかった。
これは意図的にしたことで、財布を持って携帯を持つと、
それだけで肩掛け型のポーチがほぼいっぱいになってしまうからだ。

店でカレーを食べるだけなので、携帯は必要ないと判断したのだ。
実はこの時点で奥さんから携帯に電話がかかっていたのだ。
用件は「本日夕方から出かける予定にしていたけど、
昼過ぎくらいには仕事を切り上げて出かけられそうです」というもの。
この日はうちの奥さんの仕事が終わったあと、
18時くらいから福岡に向けて出かける予定だったのだ。

僕はカレーを食べたあと、ふと思い立って、
カレー屋の近くにあるブックオフに立ち寄った。
実はその時、探しているマンガがあったのだ。
それはまあまあマイナーなマンガで、
2年ほど前にも(仕事で)同じマンガを探したことがあるのだが、
その時も全5巻を揃えるのに結構苦労した。
当時僕はあるマンガミュージアムで働いていたのだ。

今回はさらにそれから2年近く経っているので、
前回以上に難航すると予想された。
とりあえず5冊のうち2冊を見つけていたが、
残りの3冊を全部見つけるのはかなり難しいと思っていたので、
福岡に行ったついでに福岡で探してみようと思っていたのだ。

念のためにカレー屋の近くのブックオフで探してみたけどやはり無かった。
それでやめとけばいいのに、そこからバイクで足を延ばして、
普段は滅多に行かない、遠くにあるブックオフ3軒と、
ブックオフ以外のマンガが置いてある店2軒にも
行ってみたがやはりなかった。

そんな感じで16時くらいに家に帰ると激怒状態の奥さんが待っていた。
一切口をきかない奥さんと福岡に向けて出かけて、
途中機嫌を直してもらうために洋食屋に立ち寄って、
ビーフステーキとワインをご馳走したらやや機嫌が直ったが、
おかげで僕は福岡まで1人で運転しなければならなくなった。
探していたマンガは福岡で簡単に全巻揃った。

福岡に着いてから何軒かのブックオフに立ち寄り22時頃に自宅に着いた。
自宅には父親と妹が待っており、すぐに飲み会を兼ねた家族会議になった。
議題はうちの母のことで、母は8月から2ヶ月くらい、
足のリハビリの病院に入院していたのだが、
退院してきて以降、体調が悪くなり、その日はヘルパーさんに、
病院に連れて行ってもらうことにしていたが、
ヘルパーさんが「私1人では連れて行けません」
と言って救急車を呼び、そのまま検査入院した。

その話を聞いて僕と奥さんが一度見舞いに行ったのだが、
母はうちの奥さんの名前さえ思い出せない錯乱ぶりで、
「これはやばい状態だな」と僕が判断して、
父親が東京在住の妹に連絡し、
妹がしばらく福岡に滞在することになったと連絡がきたので、
もう一度福岡まで会いに行ったのだ。

うちの奥さんはここ数年のうちに
お義父さんとおばあちゃんを亡くしており、
不動産屋の相続のことなどで色々大変だったので、
相続アドバイザーという資格を取っている。
それでなにかとアドバイスをしに来たのだ。

父のリクエストの香露という熊本の日本酒を買って持っていったので
それを飲みながらの家族会議になったのだが、
僕は基本的にお酒を飲まないのでジュースでの参加となった。

妹が面会に行って以降、
母の意識もまあまあしっかりしてきたようで、
明日には外出許可がおりて家に帰ってくるとのこと、
相続についても一般家庭なのでそれほど資産もなく、
父と妹に任せても心配なさそうなので、
とりあえず第一部は終了、父は寝てしまった。

そこから第二部、
妹の息子、僕の甥についての話になった。
彼は僕の息子のハルと同級生なのだが、
現在二浪中で、とりあえず、来年も受験するとのことなので、
どうなることだろうと心配しているのだが、
その心配というのもちょっと、
普通の受験に関する心配とはタイプが違うのだ。

彼は理数系の学科の成績がいいらしく、
国語や英語の成績はあまり良くないとは聞いていたのだが、
今回妹から直接話を聞くと、
理数系の成績はいいなんていうレベルではなく、
数学では偏差値98をとったこともあるくらい、
ズバ抜けて成績がいいのだそうだ。

それで英語の偏差値は47とかなのだが、
総合点で模試の1位になるくらいの成績で、
「どこの大学でも合格できる」と
現役の時から言われていたそうなのだが、
実際には今も二浪中なのである。

実は今年も慶應大学に合格しているのだが、
入学を辞退しているという、
「悲劇の天才」タイプの人なのだそうだ。

僕は妹と直接電話で話したり、SNSで連絡を取ったりはしないので、
甥の実情については、今回初めて知ったようなものなのだが、
「実は兄ちゃんも子供の頃はでき過ぎるが故の苦労があったんだよ」と、
とりあえず言ったがこれではほとんど寅さんみたいなものじゃないか。

そんなこんなで第二部も終了し、妹も奥さんも寝てしまい、

僕だけなぜか眠れず1人で3時頃にお風呂に入りました。
お風呂からあがってもどうしても眠れませんでした。
実は僕はこの実家とはあまり相性が良くなく、
かつてここに住んでいる頃にはしょっちゅう金縛りに遭っていたのです。

とうとう4時半頃に眠るのはあきらめ、ハルを迎えに行くことにしました。次の日の朝の9時に母が一時退院するので、
その前にハルを迎えに行こうと決めていたのですが、
朝早いので果たして行けるかどうかと思っていたので、
少し早過ぎて悪いけど、この時間に行っておこうと思ったのです。

ハルの家に行く前にまず元祖長浜家に行きました。
この元祖長浜家には、大学生の頃、週に一回は行っていたのです。
実際には僕はあまりラーメンは好きではなく、
これは「博多に暮らしている自分」というアイデンティティーを
形成するための儀式のようなものでした。

でも高校の同級生の桐井は、本当に長浜ラーメンが好きで、
大学(高知大学)が休みで福岡に帰って来る度に
一緒に元祖長浜家に行っていました。
桐井は39歳の時にガンで亡くなりました。

桐井と僕のルーティーンのジョークのようなもので、
「喜柳」という屋台の天ぷら定食を食べたあと
「桐井、今日は元祖はどうすると?」と僕が聞くと、
「いや、紀川が行くって言うんなら、
俺は別に行ってもよかばってん」と桐井は必ず言うのです。

それで苦しい思いをしながら一杯目を食べている途中、
「桐井、今日は替え玉はどうすると?」と聞くと、
「いや、紀川がするって言うのなら、
俺もしてもよかばってん」と桐井は必ず言いました。

そんな思い出を反芻しながら元祖に行くと
店員の兄ちゃんの顔に見覚えがありました。
僕が大学生の頃によく見ていた兄ちゃんでした。
というか、もうおじさんですけどね。

店に入る前に死んだ桐井に
「今日は胃袋が裂けても、替え玉するけんね」
と心の中で約束していたのですが、一杯目を食べている途中に
「やっぱ替え玉は無理だな」と早々に判断しました。

桐井と一緒に食べていた頃、
一杯250円で替え玉が50円だった長浜屋は、
一杯550円に値上がりしていて、
替え玉も150円に値上がりしていました。

しかも近くのコインパーキングは
15分300円というデタラメな値段で、
時間的には全然路上駐車できる時間でしたが、
「熊本ナンバーの車がでかい顔して路駐してラーメンやら食いよったら、
博多の横道もんにぼてくりこかされるばい」
と考えて自粛してパーキングに停めました。

これは「博多の気の荒い兄ちゃんに殴られてしまう」
というような意味の博多弁です。
久し振りの元祖はうまくもなくまずくもなく、
これこそ僕の博多の味でした。

元祖を出たのが5時頃、それからハルのマンションの前まで行き、
ラインを5通くらい送り、それでも既読がつかないので、
ライン通話で電話をかけたのだが、出ないので、
ハルとの思い出の場所、元コホンがあった所の
隣のマックに移動して一時間くらい待ち、
途中ライン通話も10回くらいかけましたが、
全く応答がなかったのであきらめて帰りました。

コホンというのは昔よくハルと行っていたカフェで、
とんちピクルスさんというミュージシャンが
よくライブをしていたのですが、
店長のいずみさんがお亡くなりになり、閉店してしまったのです。

そして家に帰り着いたのは7時頃で、もう妹も奥さんも起きていました。

うちの奥さんが「お義母さんはパンが好きだから、
パンを買っておいてあげよう」と言うので、
おいしいと評判のパン屋さんにパンを買いに行きました。

母を病院から連れて帰ると
母はパンをすごいいきおいで食べました。
僕はここでやっと眠くなり30分ほど寝ました。

そんな母も老人施設に1年半ほどいて、
2022年の8月末に亡くなりました。

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