読書のための基礎教養
今朝の #こえのブログ
前世・今世・来世という考え方は
もともと仏教からきているようですね。
たまたまなのか、宗教学者の #中村圭志 さんの本を読んでいる最中、こちらの質問を頂いたので驚きました。
これもひとつ、引き寄せの法則なのでしょうか。
「宗教は文化である」という視点で
多様な文化を知るための入口として書かれている
『教養として読んでおきたい五代宗教』は、
なかなかにドライでとっつきやすい本です。
本を読むに際して、近頃痛感しているのが
基礎教養の足らなさです。
先日、「本の読み方」について書いてある本を読みました。
本を読み、書き込みをし、ノートにまとめることで知識を身につけることを大切とする内容だったのですが、
その方が実際にノートにまとめたものを例として挙げられているページに至ったとき、その書き出しの内容を全く理解できず挫折しました。
書き出したノートの部分は読み飛ばしたとしても、書き出し方について詳しく解説するために、さらにそのノートの内容についての補足が続いています。
教養を身につけるための読書のやり方・手順は大変わかりやすかったのですが、
その方が専攻している哲学の分野における読書の記録が続いたため、何を書いてあるのかさっぱりわからなくなってしまいました。
その本には、
「速読をするためにも、熟読をするためにも、基礎教養が必要である」
という趣旨のことを繰り返し述べられており、まさにそれを痛感するに至る構成は見事と思わざるを得ませんでした。
読むのは、今現在、離脱してしまっているのですが…
とにもかくにも、
「なるほど、たしかに教養の足りていない読書は身につかない」
ということを痛感したのです。
それからは、基礎教養を身につけることの必要性が、いつも頭の片隅でチラついています。
私の所属するコミュニティでも読書の大切さは
連日切々と語られていますが、
そのなかでも知らない言葉や事象が出てきたときには都度調べることで教養を広げていくことが
「モテる読書術」だと教わりました。
思えばこれまで、なにか本を読んでいるときに、ふとわからない言葉があってもなんとなくそのまま読み飛ばしていることが多かったように思います。
ちょうど、子どもの頃まだ習っていない漢字は読み飛ばしながら、なんとなく内容を捉えていたのと同じように
わからない単語や曖昧に記憶している意味合いは、それとなく読み飛ばして本を読んでいたような気がします。
「わかった気になる」
あるいは
「よくわからなくて挫折する」
典型的なパターンに陥っていたように思います。
基礎教養の足りないことは、今更なにを慌てても仕方のないこと。
けれども、そのまま見過ごせばさらにわからないことは増えていきます。
そのままいけば、新しい知識を身につけることは諦めてばかりのおばあちゃんになってしまうかもしれません。
それでこの先の未来、生きていけるのでしょうか?
あらゆる分野へ「興味をもつ」ことを、特別してこなかった私ですので、今になって世界の広さに驚き、触れることの面白さを実感しています。
今は、日本史Bの教科書を読み返したい気持ちです。
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