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その2:2020年5月14日。新型コロナ真っ只中、51歳で生まれて初めて起業した。

50歳の誕生日の後に雷に打たれた。


あ・・続きです。
2019年の4月20日。僕は50歳の誕生日を迎えた。当時僕は、某外資系広告会社の会社員で役職は営業局長だった。誕生日がちょうど週末だったこともあり、その日は朝からランニングをし、昼は嫁さんと実写版「キングダム」を観て、長澤まさみさんの「楊端和」にうっとりして、夜、お家でケーキを食べるという普通の誕生日を送ったのを覚えている。

そして、次の日。
50歳の2日目の朝。普通に顔を洗っている時に突然それは襲ってきた。
不意に、「自分は”オワコン・ゾーン”へと進んでいるのではないか?」という恐怖に襲われたのだった。いや、その事実に気づいてしまったのだ。

20歳になった時。1989年のバブル真っ只中。僕は「やっとオトナきた!」という興奮で、ものすごい拡張感にいた。
30歳になった時。1999年。ノストラダムスの7月は不安だったけど、遊園地で働いていた僕はミレニアム企画で様々な仕事に覚醒し高揚感の中にいた。
40歳になった時。2009年。東日本大震災前の「浮かれ時期」で、外資系広告会社の僕は胸元のシャツのボタンを2つ開けて、全能感に包まれていた。

そして50歳
男の妙味が凝縮された、我が人生史上最高の50代が晴れ晴れしく始まるのだと思っていたが、全く盛り上がっていない自分に気づいた。自分なりに楽しみにしていた50歳のスタートが、こんなにもモヤモヤしたものだとは・・という失望から、自分に向き合ってみた。

2014年:サッカー元日本代表の本田圭佑選手が「自分の中にいる”リトル・ホンダ”にどこでプレイしたいか?と問いかけたら”ACミラン”と答えたんだ」という、イカした記者会見を思い浮かべながら

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”リトル・コヤナギ”に問いかけてみた。すると「お前は誤魔化しおじさんになり下がろうとしている・・」という答えが帰ってきた。

50歳で誤魔化していること

その”リトル・コヤナギ”(もういいって)が言う「誤魔化しおじさん」は無視できない。そこで、僕はゆっくりと正直に分析した。モヤモヤの正体。いつも毎日こびりついているようなストレス。これが、50歳を盛り上げていない原因に間違い無いのだから。

そして、分析結果が出た。・・・・続きは有料記事です(嘘)

分析結果は2つ
①自分が譲れない価値観に対する誤魔化し。
②初めて将来が楽しみじゃなくなってる自分への誤魔化し。

①自分が譲れない価値観に対する誤魔化し

前々職の遊園地時代から、前職の広告会社の会社員生活は、総じて楽しかった。遊園地・広告会社時代は、今までになかったことや、他の同業他社が悔しがるようなことを考え実行することこそ自らの存在価値だ!と言う想いがあったので常に動いていた。もちろん利益を上げねば食えないが、今までに無いことを成す!がチーム全体の「存在理念」みたいなもんで、みんなの中に切磋琢磨があった。
しかし、ここ3〜4年の間に、徐々にそれは変わっていった。
言っておくが、これは元いた会社への批判では無い。「会社の方針」は「方針」なのだ。それに自分が納得するか?しないか?であり、それが全てだ。
外資系企業の方針はわかりやすい。

僕は合わなかった。
けど、生活もある・・・子供も大学だ・・・この歳だし・・と言う気持ちの間で、まさにそこで「自分が譲れない価値観を誤魔化すおじさん」になっていたのだ。

そして、

②将来が楽しみじゃなくなってる自分への誤魔化し。

将来が楽しみじゃない・・・と言う気持ちを味わう絶望を、あなたは味わったことがあるだろうか?
僕は、この時に自分に向き合って、はっきりと感じた。前述した、仕事を楽しくワクワクするための基礎がなくなったまま働いていく。それでも、生きてはいける。食ってはいける・・。

しかし、それは誰のための人生を生きてるのか?会社のための人生か?
60歳で定年まで働く。その後、ほぼ賞味期限切れの俺に何があるのか?
あったところで、今から10年妥協して我慢してたどり着く場所が、アイアンマンレース(出たことないけど:笑)の、ラストのレッドカーペットのゴールロードのような興奮があるとは思えなかった。
・・てか、間違いなく「遅すぎる後悔」が待ってることに気づいているくせに、様々な言い訳をつけようとしている自分は、まさに「将来の自分を暗殺している」と思えた。
完全な誤魔化しおじさんだ。


結論。
会社を辞めて「誤魔化さない」生き方をするしかない。

そう結論づけて、覚悟を決めるのに夏までかかった。
しかし、覚悟した瞬間、僕の50歳は過去のキリ番年齢の中で、最もエキサイティングな色を帯びていった

とにかく50歳のうちに会社を辞めると決意し、退社の意向を会社に伝えて、正式に受け入れてもらえたのが、2020年の1月下旬。自治体の仕事があったため4月末の退社で決定し、残りの業務に邁進した。

そもそも、独立して何をするのか?
そもそも、何ができるのか?
自分のいわゆる「武器」「強み」は何か?
待てよ、会社の作り方も知らんぞ!
などと考えながらも、「誤魔化さない」方針を打ち立てた。

小さな組織で、プロフェッショナルと、大きな組織やプロジェクトに立ち向かうような仕事をしたい・・・など、次章ではいろんなアイディアを書き連ねられるはずだ・・という感じで、
起業を5月に決め、態勢を整え始めた3月。

新型コロナウイルスがパンデミックを起こし
日本中の業務が止まってしまった・・・・涙


・・・・聞いてないよ。


つづく。


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