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その3:2020年5月14日。新型コロナ真っ只中、51歳で生まれて初めて起業した。

・・・・つづき。

1月中旬、退社が認められた。
3月まで自治体の仕事があり、その報告書の作成などもあったので4月末の退社で決定。3ヶ月間くらいヨーロッパを放浪して自分でも探してくるか!と思ったが、そんなことをしたら瞬殺で家族が滅亡するので、5月の起業を決めた。あとは、立つ鳥跡を濁さずで、しっかり今の仕事を治めるだけだ。僕は、新しい世界への旅立ちに胸を踊らせていた。

すると1月14日。
中国の「武漢」という都市で、ヤバいウイルスが蔓延しだした!という情報を、WHOが正式に「新型コロナウイルス」として確認したのだった。
「武漢?」ウーハンか?鉄鉱石の産地か?私は「芸をするパンダ」がいるという「武漢雑技団」に行くため「武漢」には一度行ったことがあるぞ!夜中に食った飲茶がうまかった!などと、全く意味のないことを考えていた。

その直後に、日本第一号のコロナ感染者が認められ、1月31日にはWHOが「国際的緊急事態」を発表。遠くの場所の、ネットニュースくらいしか思っていなかったけど、なんとなく大きな問題になりそうな「予感」がしていた。
実は、この時期、福岡の産品「八女茶」のブランディングイベントを2月9日〜11日で「ニューヨーク」で開催する企画が、待ったなしで進んでいた。この時「ニューヨークでは、マスクしているアジア人は殴られたりする。」と、本気ともつかない注意を促された。「アジア人=流行りの肺炎ウイルス」というイメージだ。ニューヨークは「コロナ」よりも「インフルエンザ」が深刻だったようだった。実際、ニューヨーク滞在中は、全くその雰囲気はなく、マスクなんか1日もはめなかった。
後に人っ子ひとりいなくなったシーンが印象的だった「タイムズスクエア」も、大賑わいだった。そして、イベントも大成功だった。

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(ニューヨークでの八女茶イベント)


海外での地域産品ブランドのイベントを成功させ、「これも、独立後の実績になるかな・・」などと自信を深め、帰国しようとした時、「コロナウイルス」で初めて日本人が亡くなったとうニュースが入ってきた。

2月15日に帰国した直後から、3月になる間は、僕自身もまわりもなんとなく「半信半疑」だった。3月の上旬に「3密」という言葉が出てきても、四六時中マスクするとか「少し滑稽」だった。しかし、感染拡大は止まらず、ついに3月24日に「東京オリンピック1年程度延期」が発表された。
めちゃくちゃ世界の現状を認識した。そしてその気持ちを、決定的にしたのが3月29日に、我らがヒーロー「志村けん」さんが亡くなったというニュースだった。完全に、自分ごとにせねばならないという意識に変わった・・。

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↑なぜか天神駅前で、テレビ西日本さんにインタビューされた(謎)。ほとんど街を人が歩いていなかったからだろう。次の仕事も決まってないのに、マスクもしないで「志村けん」さんの死について話していた。
けど、このインタビューで「本当に、このウイルスは洒落にならないことになる・・」と思うしかなかった。

あ、そうでした。
これは、僕の起業の話だったですね。

この頃は、僕の前職の会社も「出社自粛」となり、出社する日は「事前申請」しなければならなくなっていた。誰にも会わず、仕事はZOOMと電話でやりとりし、リモートワークという言葉が急激に認識され「ZOOM飲み」というものの楽しさ・・・よりも、なかなか抜けられないことの苦しさ(笑)にみんな気づいたりしていた。

そんな中、僕は起業する新しい会社のことを、色々と考えていた。
絶対に起業する前に、自分の中にある理念だけは明確にしようと思っていた。

【本当にやりたいこと】

これからの時代の最大の競合要素となるであろう「ブランド」を構築する仕事。企業も商品も「機能の競合」は行き着くところまでいく。その先に、人々が選ぶものは「ブランド」という「情緒」の総和。それを、クライアントと一緒に作り上げていくことをメインにしたい!ということ。

【自分が社会にもたらすことができる価値】
まず「ブランド」「ブランディング」というものの本来の意味とその価値を、しっかりと皆さんに理解していただくお手伝いができるということ。
それを理解した上で、その企業や商品や個人にとって、どのようなブランドを持つことが最もいいことなのか?を、一緒に考え、クリエイティブまで生み出すお手伝いをすること。
正しく目指す「ブランド」が定まれば、経営者も社員も迷いがなくなるし、事業もより定まる。
そして、「ブランド」たくさんある街は、きっと豊で素敵な街になるはず!

【起業する自分の会社のあり方】
魂を込めてクライアントに寄り添い、国内最高峰レベルの「ブランディングサービス」の提供を目指す!「ブランド」で悩んだら経営者や担当者に、必ず社名を想起していただけるような会社になりたい。そのために何をすべきかは、自ずと積み上がっていくはず!

・・・・てなことを、ノートに書き殴っていた。
社名を考えたり、信頼できる方々に相談したり、毎日、ものすごく興奮して、いろんなことに想いを馳せていた。

すると4月16日。
安倍首相は「緊急事態宣言」を全国に発令した。

「緊急事態」・・・戦争や原発がイカれたレベルだということだ。
いよいよ、当たり前の毎日が、完全に変化していくことが確定した。
出社自粛期間の上にただでさえ、有休消化期間の僕は、ときおり会社に行き、17年間の荷物を片付けたりしていたが、誰もいない天神地下街を歩きながら、世の中が、どんどんと停止していくのをリアルに感じた。「飲食店」「アパレル」「エンタメ」など、周りはどんどん厳しくなっていく。それまでいた「広告業界」も良いわけがない。そしてふと思った・・・。

あぁ。。。。僕って、凄く厳しいタイミングで起業しようとしているのかもしれない。

↑気づくの遅い。

つづく

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