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しつけの話

二十歳になってから、「私」について考えることが多くなった気がする。
しつけについて話そうと思う。

私は「お姉ちゃん」とか「生徒」とかそういう「役割」として育てられることが多かったが、「一人の人間」として育てられることはあまりなかったと思う。
私にかけた「一人の人間」の要素をうめるべく、私はいろんな人に叱られた。

私には7歳離れた妹がいる。
両親にはあまり叱られた記憶がない。
父は休みのときに公園に連れて行ってくれて、私が砂場で遊んでいるのを見守る人だった。
母は普段はおっとりしているが感情というより機嫌の起伏が激しい人だった。機嫌が良ければニコニコしているが、機嫌が悪いと大声でヤクザのような言葉で話す人だった。
「お前なんか」とか「うるせえよ」とか言って家庭内の空気を悪くする人だった。そういう時は父が「ママ、機嫌悪いからそっとしておこっか」とこっそり私に言って二人で黙って聞いていた。
5歳だったと思う。友達の家に遊びにいったとき、なぜかすごく母に叱られた。
遊んでいるノリだったのだと思う。その後日「ちーちゃん(=私)が『お前』って言った」と友達がその子のママに言い、私の家庭環境を案じた友達ママが「おたくのお子さんがヤクザ言葉を使っているから注意してあげて」と母に伝えたのだと思う。
「突発的に暴力的な言葉をつかってはだめだよ。相手を怯えさせてしまうから」という趣旨だろう。私のしつけが抜けているのに気づいていながら、直接私に伝えなかったのが友達ママの優しさだったのかもしれない。
母が相手だとそれが仇となった。

母は私をぶって「お前なんて言葉誰が教えた!」と叱り飛ばした。
母は、自分に思い当たる節があると気づいていたのか?
内心はわからない。その結果がこれか?
その「お前」はあなたが怒鳴り散らす時に使う言葉でしょ?
あなたの子どもがそれを聞いていて、無意識に「お前」という言葉を使ってしまったんでしょ?
自分がしつけていなかったことを他の子のママに指摘されて、それを自分のせいにしないで、「お前」を使った私に非があるとでも言いたいから私をぶつの?

母が嫌いになった。


人と喋ることでお絵描きしたり本を読んだりする時間を削るなら、喋らない方がマシだと人との関わりを最小限にしていた。小中高とずっと公立だったから厳しいルールもなかった。運動は苦手だったし、土曜も練習しに学校に行くのが面倒臭かったから上下関係のある部活にも一切入らなかった。
だって楽だもん。
あらかじめ決められた「お姉ちゃん」とか「生徒」の枠でお利口にして、テストで良い成績を維持していれば何も文句はないでしょ?
そういうつもりで生きてきた。
ちゃんと「お姉ちゃん」で「生徒」やってた。
近所の人からは決まって「しっかりしたお姉ちゃんですね」と言われた。
私はもう勉強して望んだ高校に入った。
ちゃんと役目を果たしていたはずなのに。
そのうち
苦手な先生に「礼儀がなっていない」と呼び出されて叱られた。
年下のフォロワーに自分の言動を注意された。
特に、美大受験の予備校の先生に「人として当たり前のことができるようになりなさい」と面談で言われたのは応えた。
自分の作品が今どの位置にあって、私は何をすればいいのかを聞きたかったのに人格が全否定されたような気がして、面談が終わったその日寝る前に泣いた。
叱られた瞬間、決まって頭が真っ白になった。次に怒りが湧き上がってきた。反省はずっと後。
叱られる理由を考えるより先に、どうして私が今ここで叱られなきゃいけないんですか?、本来の関係は無視ですか?私は他の人間より人格的に劣っているというのですか?と相手に問いたくなる。

戒めの言葉とともに「あなたはかわいいから」という言葉が添えられることもあった。
「あなたはかわいいから、人のことをもっと考えられるようになったらいろんな人に好かれると思うんだけどな」とか、
「当たり前のことができて、いつも心穏やかにニコニコしていればもっとかわいいよ」とか。
当時はおだてられているような気がして素直に聞けなかった。
「かわいい」といえば話を聞いてくれるとでも思っているのか。それが余計腹立たしかった。
でも、今になって思う。自分で書くのも自惚れているような気がして癪だが、きっと私は「かわいく」見えるから叱りやすかったのだと思う。
叱る側も私を「叱れば伸びる子」としてみてくれていたのだと思う。私を叱ってくれた人は私のお父さんやお母さんの代わりだったのだと。
この人たちは私が「一人の人間」として抜けていることに気づいて叱ってくれたのだと思う。

そして二十歳になった今、いろいろな世界を見て自分の母親が少しずれていると気づいた私がいた。やっと母の難癖に、なるべく冷静に素早く言い返せるようになった。
本来、反抗期にさしかかる年齢の妹も私を弁護してくれるし、もちろん父もなだめてくれる。
だから、今は遅い「反抗期」なのかもしれない。おかしいと思ったことはおかしいと言う。
刹那的にスカッとする。でも、この方法でしか母の暴言を止める方法がないのか、3対1になって責めていないか母が不憫に思えてしまう私もいる。
それでも、母親に疑問を直接ぶつけられるようになったのは成長だと思う。
私はゆっくり成長していくのだ。

私を見てくれていた人たちへ、
これから私に出会うかもしれない人へ
私はきっと、周りの人間より躾けられた経験がない。きっと世間知らずで高飛車で生意気だと思う。
あなたが、私に抜けていると思ったことがなければ私を叱ってほしい。
最初はひねくれているかもしれないけど私はあなたの言うことをきっと聞くから。

最後に、私を育ててくれたお母さん、お父さん、ありがとう。

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