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こんな時代だからこそやす子オリンピックが必要だ

参加者全員優勝という異例の結果で幕を閉じたやす子オリンピックから1ヶ月弱。

途中、小火騒ぎがあったりと意図しない方向でネタにされることもあるこの大会。でも、だからこそ1ヶ月経った今、やす子オリンピックを振り返ってみたい。


ただの綺麗事だという意見もあるけれど、いろんな毒を吐き終えて濁った世界の中では綺麗事は本当に綺麗に見えるものだ。

まず、背景として2024/8/2はパリオリンピックの真っ只中であった。

男子スケートボードでの堀米雄斗の劇的大逆転優勝や、フェンシング個人種目では日本勢初となる加納虹輝の金メダル獲得など、彼らの活躍に日本中は熱狂していた。


一方で阿部詩の2回戦敗退。
これはなかなかに衝撃的だったし、泣きじゃくる姿は印象的だった。

そしてその姿には一部批判の声もあった。
その声に対するさらなる批判。

「もうちょっと毅然としてほしかった。武道家としてどうなの」

「いやお前、号泣するくらい何かを背負って頑張ったことないやろ」
「どうせ冷房効いた部屋でのんびり見てただけやろ」

しょうもない匿名どうしの応酬には呆れるけれど、それでもそんな匿名さんも、普段は仕事をしたり学校に行ったり、悩んだり苦しんだり。

オリンピックの試合は確かに涼しいところで見ていたかもしれないけれど、昼間は踵すり減らしたり頭から煙を出したりしながら闘っている。

つまり、みんな頑張っている。何も背負わずに生きている人なんかいない。
そんなひとりひとりが優勝なんだと、主宰者でもあり創設者でもあるやす子は言いたかったんじゃないだろうか


知らんけど。

私事だが、あの日友人のケイタは阿部兄妹以来となる同日金メダルを獲得した。
ひとりっ子のぼくには羨ましい限りだ。
でも、そんなぼくの優勝を喜んでくれる人がいる。

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