見出し画像

日出高オフサイド伝説 3

翌日からのチーム戦で、ひでおはBチームのリーダーとして、まさおたちレギュラーチームの調整役としての仕事を務めることになった。ひでおは全力でその役割を果たした。
練習後、ひでおは一通のラインを送信した。一年生の頃から声をかけてくれていた実業団のスカウト担当者である。みなの予想は外れていた。ひでおにプロからの誘いはなく、大学からも他の候補生たちと一緒にテストを受けてみないかという誘いがあるばかりで、とくべつ定まったルートなどは存在しなかった。
給料なんかの話もしておかないとね、といわれていたのに、ある時期から連絡が来なくなっていた。もうすぐ卒業なので、進路について相談させてください、と。

意外なほど返信はすぐにきた。
「弊社サッカーチームは今年8月をもって解散いたしました。連絡が遅れてしまい大変もうしわけございません。山岡選手におかれましては、今後とも才能を発展させ、ますますご活躍されることを祈念しております。」

サッカーをやめるときがきているのだと、ひでおは画面をじっと見つめたまま考えた。率直にいって、自分の体格では全国では通用しない。戦術的な理解を深めても、それを活かしきることができない。自分がフィールドに立つと、チームの戦術の幅が大きく狭まる、これが事実だった。
それをすべてカバーするだけの技術もない。フェイントで相手をかわしても抜ききるだけのフィジカルがないのだ。ワンタッチでボールを回そうにも、事前にチェックをうけると前を向くことが困難なのだ。
ここが限界。ここがオレの岸辺だ、とひでおはしずかに考えた。

つぎの日、ひでおは初めて練習をさぼった。それは十年以上にわたるサッカー人生のなかではじめてのことだった。
監督からは「今日は休んで、体調回復したら練習参加するように」とラインが来ていた。

「折れたな」

と、チームメイトは自分のいないところでいうだろう。
それは自分自身がチームから脱落していくメンバーに対して言ってきたことでもあった。それは嘲弄ではない。真実、ひでおは仲間を嘲弄する気持ちなど一片も持たなかった。それは単なる事実、もうあがってこれないという事実を描写する言葉なのだ。
折れた選手は何人も見てきた。どんな表情をしていて、背中からどんな気配を発するかまでよく知っていた。しかし、折れた選手が見る景色は知らなかった。

景色は晴れやかにフラットに広がっていた。輪郭線もあざやかに輝いて、満ち足りていた。
ただひでおの存在する余地だけがなかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?