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不思議な光景~映画『ジョジョラビット』


**大きなネタバレも含めて書いたが、肝心なところはぼかしたつもりです。気になった方はどうぞご覧ください。**

とても不思議な映画だった。

タイトルからだけだとまったく何の映画7日分からなかった。ジョジョという単語は日本のマンガ「ジョジョの奇妙な冒険」を思い起こさせたが、この呼称はヨーロッパの国の一部では時々ニックネームとして使われているし。

どこかの紹介で見聞きしたのだと想う。名前の愛らしさとそのメディアで紹介されていたあらすじとはつながりそうでつながらない感じがした。

ヒトラーがイマジナリーコンパニオンとして少年ジョジョの抱く幻影として登場するらしい。かと思えば、それはストーリーの本筋そのものというわけではないという。

私はこういう時、あまり詳しく検索したりしないようにしている。まあ、現代ネット社会の常、キーワードから多角的な批評や情報、果てはネタバレ紹介、裏話まで目には触れやすいけれど。自分なりのアンテナに引っかかったものを自分なりに楽しみたいだけなので、すごく調べたりはしないが、ちょこちょこは目に入ってもしまう。例えばエンターテイメント対策で盛り上がりたい気分の時は色々隅々まで情報をおっかけて、自分の中の気持ちを高揚させたりもするのだけど、雰囲気を味わいたい作品にあたった時は、実際に観るまで胸のうちであたためておこうとする。

観にいくのを決めた時に、この作品に抱いた印象はまさにそれだった。

ドイツの無邪気だが友人や家族との関係にちょっと悩みを感じ始める年頃の少年…ユダヤの少女をかくまう…紹介していたいくつかのメディアの声を聞いていて、どのような物語が描かれのかすごくぼんやりとしか語られないことに次第に心惹かれていった。

公開館数は少なかった。だいたいこうした作品を観に行こうと決心するのは、時間ができて何かよい鑑賞対象はないかな?と、のんびり探している時だったりするから、間に合わなくて当たり前、行ければラッキーという程度に思っておくことにしている。

こんな風に書いているけど、実はもうそのころには素敵な読後感(?)だったらいいな、とか、期待はずれだったら悲しいけど、ゆっくり暗闇でもの想いにふければいいか、などとあれこれ浮かんでいたりするから笑ってしまう。

ポスターの色味からしてずるい。最近のレタッチや撮影の機械的な技術は、うまくはまっていればたいがいよい雰囲気とシックな印象を与えてしまう。あまり期待しないでおくようにするのはそのためでもある。

少年はちょっと同年代の間からは浮いているように描かれていた。お話の組み立ての問題で、というだけでも、監督が少年時代の仲間との交流に興味がないでもなかった。いや、両方とも関わっているのかもしれない。

ん?と思った人もいるだろう。この表現は多重というかひねくれた二十四孝のようだもの。確かに自分にはそういうところあるからな、と思いつつも、この映画ではそんなふうに感じやすいシーンがいくつもある。

ヒトラーは少年のとても生き生きとしたイマジナリーコンパニオンだ。だが、ひどく子供っぽいカートゥーンのキャラクターのようだ。ふざけてるのかと想うが、子供の感じ方の一部はふざけたような、でも真剣なものよね、とも浮かぶ。

スカーレット・ヨハンソンは数少ない私が認識できている女優さんの一人。地域のヒトラー親衛隊のリーダーをしている。偏った人なのかな?でも、ジョジョへの目の配り方やかける言葉は何か慈しみがあるような。

実は、この母親は、とても苦しい二重の生活をとても大人な母親として、とてもとても主体性をもって、日々を覚悟しながら生きているのが後で分かる。このような人に自分はなれるかな?でも、何でもうまくやれるわけではないよな。そんな風にまた感じる。

ジョジョはそして、その後ユダヤの少女に出会う。あまり年齢は変わらない少し年上の。もどかしいくらい彼女も自分の精神年齢の及ぶ範囲で考え、命のために、戦争の残酷さに必死で日々をすごしている。落ち着いた面と、世界で何が起きているのかすっかりは分からず、どうしてよいかもわからない姿は、とても気になる子だ。

その後、終劇に向けて戦争は一気に終わりに向かう。ニュースで情報が流れているのと、目の前の通りで連合軍が小さな村のドイツ軍の支部を制する様子は、確かに同じものなのだが、何か別のもののようにあっさり進展してしまう。等身大の現実はたしかにこんな漢字なのを私は自分の職業人生から学んで知っているけど、そのあっけなさと、人が死に石造りの建物も瓦礫となる様はこれも胸に二重の現実感を沸き立たせた。

そういえば、コテコテの右翼筆頭に見えたユーゲントで少年たちにナチスやヒトラーの素晴らしさを説いていた青年将校は、配線したとわかると急にジョジョをユダヤの少女を助けに行くよう促していた。彼は時代にのっかるずるさと抗えない残念さを抱いた「なんちゃって」的な気のいい愚かな善い青年だったのだ。

ここまで書いていて、やはりはっきりしてきた。この作品は、矛盾したりちぐはぐだったりする深刻さと子供っぽさ、善いことと悪いこと、割り切れない現実の感情。特にそれを踏まえた上で人が日々どう生き、子供は日々どう過ごし、そうやって人は生きていることを描いているのだと感じる。

戦争中にはこんな風に残酷な現実としてそれは内包されているのだ。では平和な時には?私は、こうした感情と考えと日々どう決断したりしそこなってるかという、そういった揺れ動きを忘れがちになる現代の世の中の固定観念が怖いな、と思った。

この映画の最後のシーンで、助かった少女と少年は壊れかけた小さな家の前の普通の未知、まわりも取り急ぎなんやかや、終戦が決まった今晩の片付けと食事と寝床の準備をしはじめているような住宅街の路地で、ちょっとしたささやかな動きを、自然としてしまう。半分悲しそうな、半分微笑みともニヤケともなんだかわからないけど、生きていることだけははっきり感じられる表情で、涙はながれていないのに、泣き笑いに見える。

それが深く胸にしみる映像だった。



公式サイト
http://www.foxmovies-jp.com/jojorabbit/

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