『犬ヶ島』 -荒野のアクション空間-

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ウェス・アンダーソンがセルアニメやCGアニメでなくストップモーションでアニメを作る理由は、この映画を見ているとよく分かる。セルやCGの滑らかで変化に富む動きではなく、パペットのストップモーション特有の角ばったぶっきらぼうな動きからは、迷いや躊躇いとは無縁のハードボイルドなヒーロー像が浮かび上がってくるからだ。意志が一瞬にしてアクションと化す、行動に生きる者たちの世界だ。基本的に無表情な顔はいきなり破顔し落涙し、見ている者を驚かす。彼らの顔さえも、内に滾(たぎ)るパッションが突如噴出する「アクション」の場となる。

ウェス・アンダーソン映画のそんなキャラクターの動きが、アニメーションに限ったことでないのは、彼の映画のファンはみんな知っている。アンダーソン映画の人間たちは、みんなアニメーションみたいに動く。『ムーンライズ・キングダム』に登場するブルース・ウィリスもティルダ・スウィントンも、身体や顔の機械人形のような唐突な変化を楽しそうに演じていた。そんなアクションが、サイレント映画のダイナミックな身体表現を映画に取り戻そうという、アンダーソンの意図、と言うか願いに由来していることは、明らかだ。

アンダーソンの前作『グランド・ブダペスト・ホテル』では、果断に富むヒーローたちの行動(アクション)が、両大戦間の欧州諸国を駆け抜ける冒険譚をどんどん加速させていった。行動が空間を夢のように押し広げていく快感が、アンダーソン映画だ。『犬ケ島』の舞台となる東京湾に浮かぶゴミの島は、マカロニウエスタンの打ち捨てられた空間、と言うよりはそのルーツたる黒澤明の、風吹きすさぶ荒野だ。そこに捨てられた愛犬を捜すアタリ少年が、そこを縄張りにする犬たちを引き連れる冒険は、まさに黒澤の『用心棒』や『隠し砦の三悪人』の世界を思わせる。

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その空間は、アンダーソン的な水平移動の手法でどんどん拡張され、犬ケ島という荒野を絵巻物的な劇空間にしていく。とぼとぼした足取りの歩行から水路を高速で流されていく場面に至る様々な空間移動を通して、キャラクターたちの出会いや葛藤、連帯といった豊かなドラマが生まれてくる。広い空間だけでなく、ヨーコ・オノが涙と酒に溺れる酒場のシーンも、水平のカウンターという西部劇的空間を縦横前後に使い、胸に迫る絶望と再生のドラマを生み出している。

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映画のもう一つの舞台となるメガ埼市の空間も素晴らしい。小林市長(黒澤の『天国と地獄』の三船敏郎の顔なのは、町山智浩氏の指摘の通り)が演説する会場を多方面からの角度で劇的に見せる手法には目を見張るし、その舞台と客席の空間が、最初と最後の二つの場面では別の意味を持たされているのにも唸らされる。最初の場面では舞台袖の黒い影の姿でしかないアタリ少年が、二度目の場面では舞台正面に歩み出す。その展開から、アウトローの勝利というマカロニウエスタン的主題が浮かび上がってくる。

息もつかせぬ目まぐるしい展開の中に、時折、時が止まったような夜の時間が差し挟まれる。もう一人(一匹)の主人公たる孤高の野犬チーフが、恋人となるナツメグと出会う場面や、アタリ少年との盟約を結ぶ黒澤明的な出会いと触れ合いの場面。凝固した孤独な心が溶かされていく過程を魅惑的なものにしているのは、それを夜の静けさが包みこんでいることに加えて、抑揚のない無表情な声に震えるような官能性が宿っているからだ。ブライアン・クランストンやスカーレット・ヨハンソンといった俳優たちの声には、彼らハリウッドのエロティックなアイコンの像が被さっている。それを何食わぬ顔で映画の要素として取り入れる心意気も、ウェス・アンダーソンの映画を形成しているのだ。

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http://www.foxmovies-jp.com/inugashima/https://www.youtube.com/watch?v=35KaHIAyALY

《追記》
『グランド・ブダペスト・ホテル』に関しては、以下の拙文の通り。

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/4371

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