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防衛線を突き破れ!(褒められへの反応)

たまには日記を書こうと思う。
日記なら畏まって書く必要はないのだ。
話題があっちゃこっちゃでも支離滅裂でも日記なんだから問題ないのだ。

という前置きが必要なくらい、最近noteを更新することに構えてしまっている。良いものを、身になるものを書かなきゃいけない、みたいな。アホくさ。
もっとハードル下げていこうよ。
今日あった楽しいことでも書けば良いじゃんか、ねえ。

最近はイラスト本を出すために毎週絵を描いている。今週で3週目だが、かなり難産でキャラクターの線画がまた描き直しになってしまった。ぐぬぬー。

それで本題なのだけれど、最近グループで作業通話をすることが多くなった。かなり楽しい。し、作業はかなり捗る。
その中でたまに描いている絵を配信しながら描くことも出てきたのだが、その途中でたまーにだが描いているものに話題がかるーく触れられることがある。
その中でありがたいことにお褒めの言葉をいただくことが何度かあった。嬉しい。嬉しいことに間違いはないのだ。が、どうにもすぐ話題を逸らそうとしている自分がいることに気づいてしまった。

どういうことだ。
私はなぜか褒められた時嬉しいと同時に後ろめたいような感情を持ってしまうのだ。何も悪いことはしていないのに。
さらに言えばサラッとそうしてしまっているので無意識だ。もしくは癖になってしまっている。

これは良くない。
褒め言葉はきちんと受け止めたい、というのも本音だし、受け止めないと失礼だというのも事実だ。
私も好きな作品に好きだと言って、そんなことないというような対応をされたら悲しい。

実はこれ、通話というリアルタイムなやりとりだから顕著に出てきたことなのだが、本当は昔からTwitterなどの文字でのやり取りでも感じていたことだったのだ。

重ねて言うが嬉しいのは事実だ。嬉しいし、にやけながら脳内でお花畑や草原を小躍りスキップしながらふわふわ浮かんで「わー↑」ってなっているのも事実だ。(?)

なんだろう。自分に自信がないでは済まない何かがある気がする。褒められ慣れていないでは足りない何かが根底にある気がする。
なんというか、罪の意識みたいななにかが。

嫌なやつだなー。
「いいですねこれ!」
に対して
「ありがとう! この作品私もここがこうこだわりで好きで……」
みたいな、倍々々くらいで喜んで食い付いてくれる人が好きだし、そういう人にはまた良いところあったら言いたいと思うし、自分自身そうなりたいと思う。
謙虚さなんて建前だ。慎ましさなんて外聞だ。
嬉しいときは嬉しそうにしろ!

私はなりたい私になりたい。世間的にはどうか知らないけれど、語る場面では自分のことを、自分の作品を堂々と楽しく語れる人間になりたい!

どうすればいいか具体的にはわからないけれど……。
まずは自分の好きなものを好きだと堂々と言う練習からかな。最近少しだけ、自分の好きなものの話ができるようになってきたんですよ。
自己肯定感低すぎて、自分の好きなものを好きだと言えなかったんですよね。恥ずかしいのか、否定されるのが怖いのか。

また自分語りの日記を書きます! ええ!
日記なんてこんな感じでいいんです!
好きなものについて、楽しかったことについて日記書くぞー書くぞー!

また本の進捗が20%を越えたらそっちも書きにきます!

ちなみに見出しはなんかいい感じに今回の話題とリンクしたのでイースターイラストです。
ほら、突き破れ! 感とか混乱してるとことか!

イースターバニー


そういうわけで以上! またね!

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