一時停止
「ここは誰かと行きたい」という場所と、「ここは一人で行きたい」という場所があって、私にとってチェコという国は後者だった。
チェコ。
絵本やビールは有名だけど、あまり外に開かれていない神秘的な小国のイメージがあって、どうしても自分のペースでゆっくり回ってみたかった。
しかし実際に行ってみると皆流暢に英語を話すし、観光客慣れした様子で、なんだか拍子抜けしてしまった。
有名な世界遺産のからくり時計は想像よりもずっと小さく、塗りたてのペンキがテラテラと光りまるで某●ィズニーランドのアトラクションのよう。
周囲は自撮り棒を持った中国人観光客にぐるりと取り囲まれ、他の観光地と同じような光景が繰り広げられていた。
土産物屋街をぶらぶら歩き回り、歩き疲れて目に入ったレストランで一息つくも、出てきた料理が高い割にクオリティーが低くて微妙だった。
私の見たかったチェコはどこにあるんだろう。至極勝手な観光客で申し訳ないけれど。
落胆しながらずんずんと、モルダウ川に沿って歩いた。
沈みかけの夕日を背にひたすらまっすぐ歩いていると、一瞬自分が風になったような、肉体がなくなって意識と目玉だけになったような不思議な感覚に囚われた。
季節は2月だったのに、歩きすぎたせいか顔は火照り、気分は妙に高揚していた。その時。
水上に停められていた船から、ジャズが聴こえてきた。よく見ると船内がジャズバーになっているらしく、中で楽団風の人々がリハーサルしている。
そのすぐ横のベンチでは、仕事帰りの労働者風のおじさんが、安いビールの缶をちびちび飲んでいる。
おしゃれなカップルが談笑し、その横をランニングする人が通り過ぎて行く。
沈みかけた太陽の最後の光が差す公園で、子供達が走り回っている。
別にチェコらしい風景でもなんでもないけれど、その時私は初めて見たかったものを見れた気がして嬉しかった。
何者でもない無責任な旅人として、普通の人々が普通に営む暮らしを、甘いような苦いような寂しい気持ちを抱えながらただずっと眺めていたかった。
この世界に含まれているようないないようなふわふわ感が旅の醍醐味かもしれない。
カフカの博物館にも行かなかったし名物のスイーツも食べなかったけれど、私は見たかったものを見て、感じたかったものを感じて、大変満ち足りた気持ちで帰途に着いた。
空港に向かうバスに乗ろうとしたら、行き先の表示部分に「一時停止」の文字。運転手の休憩時間という意味らしくて、急いでいたけどコーヒーの絵文字に思わずほっこりしてしまった。
prestavka pauza (プレスタフカ・パウザ)、「一時停止」。
あれもこれもと抱え込み、せっかちになりがちな自分に必要なエッセンスだと思ったので、iphoneのお気に入りフォルダに入れて時々眺めている。
コロナで色々とストップがかかっている今は、より頻繁にこの写真を引っ張り出しては見ている。
また一人でゆっくり歩きたくなったら、チェコに行きたい。
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