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深夜書店

立春らしい。昨夜、久々に眠ることができなかった。
より正確には、うまく眠りの波に乗ることができず、取り残されてしまった。
不眠はつらい。隣に誰かが寝ていても、この世にひとりぼっちのような感覚に陥る。
夫は完全にあちら側の世界にいて、呑気にいびきをかいていた。
私はまんじりともせず2時間ほどベッドの中にいたが、一向に眠れる気がしない。

その状態が苦しく、嫌気が差してきて、仕方がないので諦めて起きた。
電子レンジであたためたミルクに蜂蜜を入れて、なぜかリビングではなく仕事部屋に向かい、部屋の隅にある無印良品のクッションに身を沈めた。

先日新しくできた書店「ヌリタシ」さんにて入手した「絶望読書」をつづきから読む。孤独な夜に寄り添ってくれる素敵な内容だったが、なんだかまだ寂しい。

「深夜食堂」ならぬ、「深夜書店」はないかしら、とふと妄想を巡らせる。
昔ロンドンで購入したポストカードにショートストーリーが載った小冊子がついてきて、確かそこに深夜12時に開店する本屋さんの話があった。内容はイギリスらしくホラーだったけれど、私が求めるのはオレンジ色のあたたかな光が小さな四角い窓から漏れる、やさしい深夜書店だ。

入店しても、「いらっしゃいませ」も何も言われない。
ただその夜眠れない人々が集うだけの、公認の集会所。
近くのコンビニで買ったホットラテで両手をあたためながら、ふらっと入れる。
灯台のような、避難所のような場所。
客同士の会話は無いが、軽く会釈したり、目で挨拶するときに、「あら。あなたも眠れないんですね」とお互いを思いやる。静かで、優しい気配に満ちた小さな空間。

そんな場所があれば今すぐパジャマの上に分厚いコートをさっと羽織って、冷たい夜の中を走っていくのに。そう思った。

「絶望読書」を最後のページまで丁寧に読み、とっくに飲み終えたホットミルクがまだ残っていないかとマグカップの底を卑しくチェックしていたら、気まぐれな眠りの波のしっぽが見えた。瞼がずーんと重くなっていくのを感じた。

朝、起きるときの気持ちはおもしろい、と書いたのは太宰治だったっけ。そこに眠りをうなぎに例える描写があって、高校生だった私はそれがとても的確でびっくりした記憶がある。そしてなぜか太宰治の文章は清少納言の文章に似ている、とも思った。

話が逸れたけれど、そんな風に昨日は眠りのしっぽを掴んだのだった。
あのまま布団の中で勝てない試合を戦うよりは、横道に逸れて良かったと思う。
でも面倒なことはできればしたくない。
今夜はうまく眠れますように。

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