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ロンドン

今朝、唐突にロンドンに行くと決めた。
ずっと抱えていた心のモヤモヤが霧散した気がした。
6年前の朝もそうだった。人の気持ちを安心させ、疲れを癒すような「肘掛け椅子のような絵が描きたい」と言っていたマティスの展示を観に、ロンドンのテート・モダンまで行くことにしたあの時も。

子ども時代、留学費用を貯めていた新社会人時代、留学生時代を通じて自由に使えるお金が少なかった私は、「展覧会のためだけにロンドンに行く」なんて信じられなかったのだ。
それでも魂の奥底からそれを求めていることを知り、自分の行動だとは信じられない心地のまま、バルセロナ・ロンドン間の往復航空券とホテルを予約した(ちなみに失業中だった)。

ロンドンに着いてみると、水を得た魚のように息がしやすくなり、朝から晩まで街中を飛び回っても息切れせず、お腹も空かず、疲れることがなかった。
ひとかけらのチョコレートやサンドイッチで、どこまでも行ける気がしたあの高揚感は、ただの旅行マジックだったのか。

ふと歩みを止めた時に心震わせる路上音楽に出会い、思わず顔が綻んだ。
私という個体が生み出す微弱な電流と、ロンドンの電流が一致した気がして、一旅行者としてそこにいていいんだと全身で安堵した。

そうだ、ロンドンに行こう。
そう思った朝、テート・モダン美術館の前で聞いた名前も知らないあの音楽と、空を埋め尽くすように浮かんでいた白い雲、テムズ川の上を吹き抜ける風が眼前をよぎった。
いままでこんなに大事な用事を忘れていた、と半ばショックな気持ちだった。

私はそもそも実生活にあまり興味がない。
好奇心と探究心が赴くままに行動しているとき、一番の幸せを感じる。
先週金曜日に「(あなたは)どこの会社でもやっていけそう」と同僚に言われ、驚いた表情が顔に張り付いたまま電車に乗って、帰ってきた。
表面と、内面の印象のズレ。ギャップ。

私は、なにをして、どこに行くんだろう。
マティスが「肘掛け椅子のような絵が描きたい」と言ったように、
いつか突き動かされるようになにかがしたくなって、成すのだろうか?
成さないのだろうか?

手元にはロンドンに行く、という小さな矢印を抱えて、
実は巨大な水槽の中で踊らされているだけなのかもしれない、と半ば騙されている人のような気持ちを持て余して。

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