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春の雨

雨の日の本屋さんが好きで、仕事終わりにいそいそと向かった。
19時半の蔦屋書店。
まばらに埋まるスターバックスの座席を眺めて、ほっとする。
平日のこの時間にくるお客さんには、なんとなく親近感をおぼえる。

雨宿りをしていなくても、なんとなくみんなで雨宿りしているかのような、連帯感。同じ水槽に閉じ込められた魚の群れのようでもある。気づけばもう受験シーズンも過ぎて、思い思いに過ごしている大人の姿が多い。

突然、「子育てをしている人は、本当にすごい」と心の中で思う。
子どもが小さいと、思い立って本屋さんにくるのも難しいだろう。
子育ての喜びを味わっていない私は、その代わりに手放すものの大きさについて考える。「自由」という言葉では足りない、五感を研ぎ澄ませるこの時間、まるで両手に感じられるかのような立体的な手触りのある、この開放感。

もしくは、自ら選んで子育てをするには、完全な記憶喪失になる必要があると思った。
自我を持つ前の私は、あらゆるきっかけで消えてしまう、24時間守られ続けねばならない小さな灯火だった。
自我を持ってからの私は生きることがときに苦しくて、「なんで産んだの」と問い詰めたり、せっかく作ってもらったご飯を口にしなかったり、ピアノを習いたいと言ってすぐ辞めたり、良い成績を取るとそれが全てであるかのように独善的にふるまったり、とにかく鼻持ちならない存在だった。

もし自分が親だったらと考えると、手に負えなさすぎる。今すぐ踏み潰してしまいたいような、逃げ出してしまいたいような衝動に駆られる。

そんなあることないことを思い巡らせながら、本屋さんを出て家路に向かう。
突然脳裏に現れた子ども時代の自分に、「まあ生きてるのもだんだん大丈夫になってくるよ」と声をかけながら、雨でできた水たまりを避けて道の端を歩く。

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