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青春18きっぷの思い出-その1

そろそろ夏の青春18きっぷの季節。人々の移動の時期です。

最初に青春18きっぷに手を出したのは18か19の頃だった気がする。お金がない中、東京から九州まで。その頃は路線のことも全然知らなかったから、中央線で山梨抜けてまっすぐひたすら地図上左に、方向西に向かうルートだったと覚えている。今みたいにネット等で簡単に調べられなかったので、時刻表とそこについている地図頼り。広げてパッと見て安直に「これだ」と感じた。地図には凹凸がないし山を越える大変さもあの頃の私にはわからなかった。

その後東京から群馬、新潟に向かい、日本海側を進むルート、東海道線で大垣を通る王道ルートも試してみたし、ムーンライトという夜行に乗ったこともあった。今夏はムーンライトながらが運休らしい。いい判断だと思う。

ムーンライトながら。あれは苦行だ。指定なんかまず取れないし、指定席がなくても乗れるけどその場合は通路や連結部、ドアの前などで終点まで過ごさなくてはいけない。それもすし詰め状態。満員電車と違うのはみんな座っていること。たまに酔っ払いが終電逃して乗り込むこともある。大体がぐったりと疲れうなだれている。そういう殺伐とした中で夜が明けきらぬ6時前、大垣に到着する。

到着すると顔を洗う人もいるが、大抵次の列車の発車に間に合うように駆け出す。訳がわからなくても、その場の勢いに掻き立てられて一緒に走ってしまう。そしてまたぎゅうぎゅうの電車に乗り関西方面に向かうのだ。

一度だけ指定席を取ったことがある。ムーンライト九州。博多から京都まで。忘れてたので今調べ直したが、2009年、平成21年に運行終了したらしい。長年おつかれさまでした。

話を戻そう。ムーンライト九州に指定席で乗ることがたまたまできた。平日の夜だったような気がする。幸運にも前日の昼にみどりの窓口に行ったら席を取れた。その時にはムーンライトに数回乗っており、どういうものかわかっていたので昼夜問わず遊び倒し、荷物にタオルケットを忍ばせて電車に乗り込んだ。

電車は案の定そんなに混んでおらず、窓際の席に座りこれは寝れるなと思ったところ、隣に人が来た。でもそんなのお構いなしに自分の楽な配置を組み、最初の少々長い駅の停車でビールを買い、隣の人にも振る舞った。「この後深夜に先頭車両で集まってお喋りとかするんですけどよかったらご一緒しませんか?」と声をかけられたけど「そんなことがあるんですね」と話してそうかからずにタオルケットを身に纏いそのまま眠りについた。

起きたら終点。隣の人はこちらを見て「旅慣れているんですね。電車の中は寒くて休めませんでしたよ」とこちらに話しかけてきたけど、寝ぼけていたので「はぁ」と言って電車を降りた……気がする。電車が寒かったかどうかも覚えてないしその隣の人が先頭車両に行ったのかどうかも覚えてない。とにかく指定席に座れたのはムーンライトの中でこれが最初で最後だったから覚えている。

あれからそんなに時間がたったのかと今更ながらにびっくりする。またムーンライトに乗りたいかと聞かれたらもういいや、と思う。その分頑張って節約して新幹線に乗りたい。もうちょっと頑張って飛行機でもいい。でもたまに寄り道したい、日帰りの旅を楽しみたいと思う時にあの5回綴りのきっぷに手を伸ばす。また安心して旅行ができるのはいつになるんだろうと思いながら思い出を書いてみた。

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