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クレドその後に。其ノ壱【大河原 誠也さん】


どこよりも学生インターンを熱く募集し、そして実際に学生が集まる会社。
それがクレドシップだ。

「志」「交差点」という言葉をよく耳にするものの、実際にはどんな歴史が紡がれてきたのかまだまだ謎の多い会社である。

志を持った学生がクレドシップという箱を通して成長し、そして卒業後どこへ進んでいくのか。

その模様を広報の学生インターン上野が「クレドその後に。」と題し、紐解いていく。


記念すべき第1弾は、大河原 誠也さん。
クレド創設期に携わったアウターン生だ。


大河原 誠也さんは、埼玉県出身。
京都の大学への進学を機に親元を離れた。
現在30歳で、独立国際協力機構(JICA) で働いている。
駐在しているエジプトから、zoomを繋いでお話を伺った。



「就活の面接では、リーダーシップやチームとは何かについてとことん考え、実践してきたことについて話していました。」

大学生活が始まり、課外活動、アルバイト、学業と充実した日々を送っていた。
特にサッカーサークルではキャプテンを務め、リーダーシップやチームとは何かについて考える機会が多かった。

サークルも引退し、半年のスウェーデン留学を終え帰国。就活の時期に板井さんとの出会いがあった。


板井さんとの出会い

「full bloomという団体で就活生向けのワークショップがあって、そこに板井さんや周りの素敵な大人たちがいたんですよね。

その後ファミレスでの打ち上げで板井さんと同じテーブルになって話すと、お互いむっとして喧嘩みたいになってた。なぜか分からないですけど。笑」

国家公務員試験が終わり、官庁訪問まで期間が空いた。その間に民間企業を含めて就職活動をする機会を得て、JICAと出会った。最後は国家公務員か、JICAかの選択だった。

公的機関で働くにあたって、自分自身の力で収益を上げるという経験や感覚は民間企業よりはないだろうと考えていた。
それならば今のうちに少しでもいいから自分の創ったもので稼いでみたいと思った。

「『有給インターンを探してます』ってフェイスブックで書いたんです。
そしたらあのときの板井さんから、氣志團のワンナイトカーニバルみたいに、『俺んとこ来ないか』ってコメントがあった。笑」


当時のクレドシップは板井さんが法人化の準備をしていた頃。
板井さんはフリーランスで保険の営業などもしていた。

「実際に話してみたら、はじめは意味の分からないこと言われたんです。
有給インターンではあるけれども業務委託で、成果に応じた報酬でどうのこうのと言われて」


仕事のリストがあり、それぞれ報酬設定も決まっていた。
板井さんもキャリア教育の一環として、インターンシップの新しい形を模索していた。



アウターンの誕生


「最初はマーケティングリサーチをして、レポートを出すという仕事に取り組んでいたんです。

取り組んでいくうちに、僕が板井さんとやっている
アウターン(アウトソース型のインターン)を、おもろい京都の経営者と学生の間でどんどん作っていきたいと言い始めたんです」


大学生活を通じて自分が大人との出会いによって一歩踏み出すきっかけが得られた。活動のモチベーションには、後輩にも同様の出会いやきっかけがあればという想いがあった。

知り合いを順にあたり、こういうことをやりたいんだと伝えて回り、関心のある人を集めた。クレドコミュニティという形にして、志を持った学生の母集団をつくっていった。



「他方で社長さんたちにも直接会いに行って、大学の地域連携の取り組みとも連携して。板井さんの会社の事業として、Cocolo塾という取り組みを始めたんです」

Cocolo塾は1回に2~3人の経営者を招き、学生も15人程の少人数で行った。

「その3人の経営者それぞれから『問い』を投げてもらったんです。
問いは、経営者自身が持っている『こういうことしてみたい、これがあったらな』という、想いの乗ったふわっとしたアイデア。
自身では手が回らず仕方なくゴミ箱に捨ててしまっているような、そうしたアイデアを拾い出して学生に投げかけてもらった」


Cocolo塾は、その経営者の志を実現する事業の、最初の部分を一緒に考えてみるというものだ。

Cocolo塾を通じて出会い、実際に経営者の方からも好感触であれば、学生とのマッチングにもつながった。

「色々やっていく過程で、板井さんもたくさんの学生と出会った。
クレドシップが今、たくさんの学生に囲まれてるっていうのも僕からすると嬉しい気持ち。」

JICAに入った理由


クレド卒業後、就職先にはJICAを選んだ。

「色んな地域を訪れ、その国の人、まち、暮らしにたくさん触れてみたいという好奇心があった。それがより知らない世界だと面白い。様々なことを考えましたが、JICAに決めたのは本当はそれぐらいシンプルな理由だったのかもしれない」

途上国をフィールドに、その国の開発課題を現地の人と一緒になって解決していくことに挑戦してみたいと感じた。

そして、サッカーでの経験から「チーム」や「リーダー」という言葉をずっと考えてきた。

国際協力とは、パートナーシップを築いてやっていくものだ。
そこには、ボランティアや専門家といった現場に関わる人も存在する。
JICAとは、色んな立場を繋ぐ橋渡しのような役割だ。
その立ち位置が、自分には合っていると感じた。



「仕事の7割は誰がやっても同じ仕事かもしれない。しかし3割が自分自身の在り方で変えられる仕事だという実感がある。捉え方によって、仕事への向き合い方は変わると感じています」


アウターンで得たもの

「やっぱり仕事に対する向き合い方みたいなところを板井さんからすごく教わりました。板井さんと一緒に後輩とどうしていくかっていうことを考えてた時間は、今思い返してもすごく良い時間を過ごしたなって思います」

実際に働く中で、目まぐるしく事が進んでいき、そんな日々に飲み込まれるような感覚がある。これをやってみたいと思うことはあっても、実際に動き出すまでにはなかなか至らない。

「たとえ100個思いついたとしたらもう95個ぐらいは捨ててしまっている感じなんです。残りの5個だけでも行動に移せるかってたぶんすごい大きくて。その一歩を踏み出せるかで全然自分の在り方が変わってくると思う。当時経営者の方々がぽろっと話してたこういうことやってみたいんだよなーっていうことが、学生との繋がりによって動かせるような感覚は、今になってすごく分かる気がします」

自分も働くようになり、振り返って改めて価値のあることをしていたのではと感じる。


現在の志


「自分の性格として、目的があってはじめて行動できるところがあるんです」

社会人になってからは何かしたいと思っても、それをすることによるリスクやハードルを考える癖がついてしまい、どうしても最初の一歩が重くなってしまう。

「身軽さみたいなのを忘れてるなっていう感覚があって、これ面白いなって思ったことを踏み出してみるって事を大切に過ごせたらなと思う。

そしてこの国にいるからこそ、できるのではってことに対しては嗅覚を持ってとことんやっていくことで、将来こういうことにチャレンジしたいっていうきっかけを見つけていきたいと思います」


〈インタビュアー上野の感想〉


クレド創設期のインターン生だった大河原さん。
第一弾がまさか国を跨いでのインタビューになるとは思いませんでした。笑

クレドで私自身が働き始めてとても印象的だったのは、「何がやりたいか」をとても重視してくれる風土であることです。まだ何も持たない学生に対して、そこまで機会を提供できるのはなぜなのだろうと思っていました。

しかし今回大河原さんのお話を聞いて、「学生」だからこそ生み出せるもの(しがらみがないからこその熱量だったり、タフさであったり、アイデアだったり、、)を板井さんをはじめとした、クレドのみなさんは信じてみてくれているのかなと思いました。

そして実際に社会人として働いている大河原さんも、時にクレドにいた自分を思い出し、「まだやれる」「こんなもんじゃない」と奮い立たせていると語っていました。

コロナ禍でできることも制限される中、私自身の大学生活は残り1年となります。学生である自分と社会に出ていく自分、その狭間で揺らいでいる志を、今後のインタビューを重ねる中で確実なものにしていきたいと思いました。

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