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花外 蒲牢の響き 〜後編〜

前回の続きの記事です。

はからずも、
古文?漢文??の授業みたく、
なってきました。

六角堂の鐘の銘文を、
超☆自己流解釈☆で、翻訳しちゃうよ、
そんな記事です。
(そうやっけ??)

前回の記事はこちら↓


では、早速いきましょう。

三行目から、ですけどね。

なんですけど。
ちょっと戻ります。

ついにヒラメキました。
一行目の冒頭、『花外』。

この花外の意味、
それは、人里離れた山奥、
だと思うんです。

花外の読み方なんですが、
ずっと、はながい、と読んでました。

でも、違う読み方で考えたら?
ってヒラメキまして。

はながい、はなそと、かそと、、、

ほか?外は、ほか、とも読める、

はなほか!!??
もう、わかったやん!!

はな、ほか、ときたら、アレ。

はなよりほかに知る人もなし。
百人一首の、アレちゃうか!!

・・・キタこれ。

もろともに
あわれとおもへ やまざくら
はなよりほかに しるひともなし

大僧正行尊という人の詠んだ歌です。
小倉百人一首にも入ってます。

山桜に話しかけている状況です。

山奥にずっといるから、
山桜を愛しく思っている。

だから、同じように、
山桜よ、お前も、
私のことを愛しく思ってくれないか。

この山奥には、
花より外はいないのだから。

って感じらしいです。

ってことは、ですよ。
花外は、山奥ってこと。たぶん。

当時なら、百人一首はあったはずだし、
市民の間では、花外ってきたら、
あぁ、あの歌の一句ね、って、
共通認識があった、のかもしれない。

まぁ、とにかく、山奥ってことで。

最初の解釈、京都の外ってのも、
あながち間違ってなかったですね。
山奥があってるかも不明ですが。

では、やっと、
三行目にいきましょう。

朝に遠山の碧をわたり 
暮に街市のけむりにむせぶ 

遠山の碧ってのが、なんか、
おしゃれでいい言葉ですよね。

碧ってのは、
へきとも、あおとも読める。
まぁ、青緑色でしょうね。

次、なんかのペンネームが必要な場合、
遠山碧って、名前にしようかな。

今のサッカー日本代表にも、
田中碧選手、いますもんね。
いい名前だと思います。

遠山  碧さん

なんか、ノンセクシャルな感じで、
なんとなく透明感もあって、
いいかもなぁ。

で、この遠山の碧は、
調べたらこんなんが出てきました。

遠山無限碧層々

茶席の禅語、だそうです。

これはぜひ、
nokaさんに習字で書いて欲しい。
(さらっとリクエスト)

どスラスラ〜

って、習字で描いたら、
絶対、カッコいいですよ!!

え?

ひ、費用がかかる??

えっと、、そう、
そりゃ、そう、ですよね。。。

ですよね〜〜〜。

ん〜。。。
まぁ、、いいかなぁ。

自分で、描いてみるか。。。
(すごいヒヨりよう、やな)
(ヒヨうがかかるだけにね)
(うまい!!)
(自分で言うな)

・・・・・・・

えっと、ですね。

実際、茶席の掛け軸にも、
よく使われる言葉、らしいです。

遠山無限碧層々

えんざんかぎりなきへきそうそう

山が青くどこまでも続くように、
悟りも上にはさらに上があり、
延々と続くから、鍛錬し続けなさい、
という感じの意味らしいです。

銘文に戻って。

この遠山の碧が、
ここから来てるかは、わかりません。
けど、たぶんそうでしょう。

まぁ、そういった、
雄大で、厳かで延々と続く、
山々ってことでしょうね。

で、朝にそこを渉るんですね。

ん〜。。。
これ、どうなんでしょう。

何が?何が、渉(わた)るの?

下の句は、街市の烟にむせぶ。

これは、割と情景を想像しやすい。
なんとなく、静かな遠景から、
雑踏の通常生活にまで、
っていう意味合いに見えます。

でもこれも、何が?むせぶの?
むせぶなら、、人、かなぁ?

でも、上の句は、
なんか、人っぽくない。
山々を渉るって、なんか、人じゃない。

なので。
これはひょっとすると。

鐘の音、でもあるのかな、と。

遠くの山にも響き渡るし、
街の雑踏の中でも、
もちろん、変わらず響き渡るよ、と。

この鐘の音の尊さは、
すべての周りの環境に左右されない。

どこでもいつでも、
素晴らしいもんなんだよ、
って、言ってるような気がします。

もちろん、鐘の音が響き渡れば、
そこにいる人の耳にも入ります。

となると、結局は、
鐘の音 ≒ 人、でも、
あるんじゃないでしょうか。

あるいは、その両方か、
あるいは鐘の音の恩恵か。
そう、人に及ぼす影響かも。

この一句によって、大きな視点から、
情景を俯瞰している感じがします。

人も、風景も、自然も、また同じ。
何か事象が伝わるなら、
それはすべて同じことですよと。

そして。
ついに、最後の一句。

観音妙智力 

これは、
調べたらすぐわかりました。
仏教用語、だそうです。

妙智力は、
仏さんの持つすぐれた知力、
だそうです。

いろーーんな解釈があるみたいですが、
まぁなんしか、観音さん、
すごいよね、ってことで。
(雑やぞ)

そのへんは、すんません、
私、熱心な仏教徒でも、
プロでもないんでね。。。

まぁ、観音様、仏様は、すごい。

それで一番最後。

寿 幾千年か算えん(かぞえん)

まぁ、なんとなく、分かりますよね。

この鐘の力で、この先ずっと、
いいことが続きますように、
って感じでしょうか。

慶長拾乙巳の年 ってのは、
1605年のこと、みたいです。

如意珠の日ってのも、
諸説あるみたいです。

まぁ、この銘文を考えた人が、
1605年春の吉日ここに刻む、
みたいな感じのアレやと思います。

正確な日時まではもう、
どうでもええです。私にとっては。

まぁ、なんしか、1605年の春ですわ。

けど、実際、鐘は三代目ですが。
こうして、ここに鐘があって、
銘文も伝わってる。

400年以上も、その想いが、
伝わってる。

これは、もう、そうでしょう。
そう、なんでしょうね。

では、超長くなりました。
前置き、解説が。

私の超絶☆現代語解釈、
全文いきましょう。

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遠く人里離れた山奥にまで鐘の音が響く

永劫安泰の都にもゆっくりと夜が訪れる

この鐘を撃つ人はますます徳が上がり

それを聞く者は全ての雑念から解放される

朝には遠く青緑の山麓にも届き

夜には街中の雑踏にもその恩恵は及ぶ

観音様の妙智力は永遠に衰えることはない

幾千年の先にも善いことが続くであろう

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こんな感じで、いかがでしょう?

だいぶ、盛って訳したから、
意味違ったり、
意味不明だったりするかも。

まぁ、ええです。

いちおう、再度、元の銘文を、
も一回書いて、締めたいと思います。

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花外 蒲牢の響き 
長安 半夜の天 

撃つ人は盛徳を輝かし 
聞く者は名纏を解く 

朝に遠山の碧を渉り 
暮に街市の烟にむせぶ 

観音妙智力 
寿 幾千年か算えん 

🔔🔔🔔🔔🔔🔔🔔🔔🔔🔔🔔🔔

以上でございます。

もしも、京都に来られて、
六角堂にお立ち寄りの際。

ふと、この鐘をみられて、
各々で、思いを馳せてもらえたら。

お粗末様でした。。。



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