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今日も京都て歩いて行こうと ~六道珍皇寺~

京都在住です。よく散歩に行きます。
気が向いたとき、
私が訪問した場所を紹介します。

先日、ブラタモリの再放送があって、
京都の清水寺とか、六道珍皇寺
(ろくどうちんのうじ)とかを、
タモさんが、紹介されてました。

特に、六道珍皇寺は、あの世とこの世の
入口的な逸話もあるので、
前から興味ありました。

今回は天気もよかったので、
その六道珍皇寺を目指して、
歩いて行ってきました。

ざくっと言うと、六道珍皇寺は、
場所的には清水寺の少し西あたりにあり、
小野篁(おののたかむら)という人物を
祀った寺です。

小野篁さんは、昼は当時の役所に勤務し、
夜はあの世とこの世をつなぐ
井戸を通って(!!)、
閻魔大王の側近として(!!)活躍。

地獄行きか天国行きか、亡くなった
人間の裁判の弁護士?的な役割を
していた人物だそうです・・・。

なんかすごすぎる。

まぁさておき、その六道珍皇寺には、
閻魔大王の像も、小野篁さんの像も、
さらにはその、あの世とこの世を
行き来したという井戸(!!)も、
現存してるとのこと。

ほんとかよ!?

まずはこの目で確かめようと。

まずは、京都市内を通り抜けて、
東山方面に向かいます。

清水寺の手前なんで、市内から
向かうとすると、五条通りを西から東に
向かうのが分かりやすいのですが。

今回は五条通から二本ほど北の道、
いわゆる松原通りを歩きました。

松原通りを東に向かって歩き、
市内を抜けると、鴨川にたどりつきます。

鴨川を渡る橋は、四条と五条の間には
ここと、もう一本北にしかないです。

今回はここから渡ろうかな~と。
初めて渡る橋です。
『松原橋』だそうです。

この松原橋、実はその昔、
五条大橋だった場所に位置する
そうなんです。

五条大橋といえば、牛若丸と弁慶が
対決したという、伝説が残ります。

牛若丸が、当時向かうところ敵なし
の弁慶を圧倒したことで、
弁慶が牛若丸に対し終生の忠誠を
誓ったといわれる、あの五条大橋です。

それが、実はこの、現在の松原橋の
場所だっただなんて!!

聞いてないよ。。。

これって、すごい発見だったんです!
私としては。
そのいきさつが、この立て看板に
書いてありました。

こういう、立て看板って、
いろんなところにありますが、
読むと結構おもしろいんです。

ここに書いてある文章がそのまんま、
ウィキペディアに書いてあることも
多いです。

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松原橋の立て看板。
興味があるかたは、ぜひ読んでください。
細かいけど、読めるかな・・・・

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松原橋から南に向かって、見える景色。

そこに見える橋が、現在の五条大橋。
まぁまぁ離れてる・・・。

あの五条大橋には、弁慶と牛若丸の
像もあるし、山科に行くのによく通るし、
てっきり、あの橋がその逸話の
五条大橋だと思ってました・・・。

騙されてた!??

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松原橋から見た、鴨川の北側です。
納涼床(のうりょうとこ)が、
もう設営されてますね。

この、納涼床ってのは、
鴨川からの支流?みたいのを、
この突き出しの出っ張り?みたいな、
飲食店の鴨川沿いの木製ベランダの下に
流してるんです。

このベランダ?の下を川の水が
流れるから、盆地の暑い京都の夏を
涼しく過ごせるんです。
先人の工夫のたまものですね。

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さて、いよいよ、松原橋を渡って、
さらに松原通りを東に向かいます。

もはや、この通りが松原通りなのか、
私には定かではありません・・・。

というのも、京都では洛中洛外っていう
考え方が昔から根強く残っていて、
この鴨川を越えたエリアは、
かの豊臣秀吉が築いた、『御土居』でも、
洛外に入り始めるエリアです。

つまり、東山方面に向かうことは、
その当時、今でもなんですが、
お墓があったり、黄泉の国、
死の世界にだんだんと向かう、
そんな意味もあったらしいです。
(知らんけど。)

その入口が、このあたりから。

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いよいよ、だんだんと坂が始まります。

昔は、ここが一番の目抜き通り、
だったそうです。
今は、もう少し北の、四条通が
一番の繁華街になってます。

そんな、在りし日の、繁華街に
思いをはせながら歩くのも、
私は好きです。

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すこし寄り道、というか。

この、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)を、
最初は目的地に設定してました。

六道珍皇寺と間違えていたんですね。
ここはここで、なかなか歴史があるので、
寄った方がいいです。せっかくなんで。

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なんでしょう・・・。
どこに行っても、お賽銭や拝観料を
取られるって言い方、
したらアレなんですが。

まぁ、出すんですが。
これも、よくは知らないですが、
なかなか、一言では語りつくせない
システムのやつです。たぶん。
(知らんけど。)

とりあえず、金文字から三回、
まわして、いつものありきたりな、
下世話なお願いをしておきました。

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蜜を避ける、、、
六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の、
蜜の字です。

六波羅は、このあたりでは、
より簡潔に、六原、とも
書くようです。また別途紹介します。

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いよいよ、やっと、六道の辻、
つまりはあの世とこの世の
境界線にたどり着きました!!

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説明の案内板です。
これ好きなんです。
ついつい読んでしまいます。

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閻魔大王!!!見にくい。
なんせ、小窓から、
覗くしかないから。

もうちょっと、
見やすくしてくれないかな・・・。

まぁ、こういう風に、バシャバシャ、
ケータイで撮影されるのも、
こんな拝観になってしまったの理由の
一つかもしれないけど。

なんせ、見にくい。

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小野篁(おののたかむら)さん。
このかたも、覗き見システム。
かなり目が怖い。

このかたが、現世と黄泉の国を
行ったり来たりした、
当時のいわばスーパービジネスマン。

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黄泉の井戸。わかります?
あの、右奥の木の向こう。四角い、井戸。
たぶん、あれがそう。

これまた、覗き見システム。
遠い。見にくい。

まぁ、しょうがないですが。
もうちょっと、
なんとかならんもんか・・・。

ですが、本物か、レプリカか
知らないですが、そういった、
伝説的なものが、この現世で、
自分の目の前にあるってのが、
なんとも興味をそそられます。

覗き見システムも、
これまた神秘的な感覚を
そそるんでしょうか!!??

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あの世への入口。。。
まぁまぁ、イイ感じのちょうちん。
そうか、、そうなのか。

もう、なんだかすごいです。やっぱり。

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ぐるっと見渡して、帰り際。
お地蔵さんがたくさん、居てはります。

なにげに、また看板を読んだら・・・
なになに、この大きなお地蔵さん、
かの弘法大師(空海)さんが、
一夜で彫り上げたって・・!?

ほんまかいな・・・。

工具とか、ドリルとか、グラインダーとか
無い時代に、このデカさの石像を、
このレベルで、一夜で彫り上げたと。

それが、いま、ここにあると・・・!!

レプリカかもしれないけど、正直、
今の感覚では、にわかには、
人間業では信じがたい。

けど、まぁ、そういわれてるからには
そうなんやろう。

空海上人に限らず、寺社仏閣で
残ってるものって、
結構こんな伝説的なすごい言われが、
どこも多い気がします。

にわかには信じがたい内容も、
まぁまぁあります。

ですが、現実にこの石像も残ってるし、
木彫りの閻魔さんも、小野さんも、
井戸も残ってるし。

今でもちゃんとお寺・神社とかで
残ってる。ってことは、やっぱり、
なんかしら、神秘的な事象って、
あったんじゃないかな・・・

なんか、
私レベルではわかんないですけど。

なんしか、閻魔大王に会ってきた!!
って話でした。



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