見出し画像

今日も京都て歩いて行こうと ~蛇塚古墳~

京都在住です。
よく散歩に行きます。

気が向いたとき、
私が訪問した場所を
紹介します。

いつものように冗長(2,600字超)で、
本当にオチもありません。
(フリじゃないよ)

本当に、暇つぶししたい方だけ、
古墳に興味あるかただけ、
読んでいただければ幸甚です。

今回は、太秦エリア周辺の紹介。
数日前、新聞に、太秦エリアは
実は古墳がたくさんある、
との紹介があって。

その際、この、蛇塚古墳が
取り上げられていました。
なので、実際に行ってみようと
いうことになりまして。

まずは広隆寺の門。

すぐ前を、嵐電(京福電鉄嵐山線)が
走ってて、駅もすぐです。

今回、この広隆寺には入ってません。
まぁ、超有名な寺ですし。
ガイドブック見るなり、実際に行くなり
していただければ。

もし広隆寺に来られたら、いまから
紹介する、大酒神社も寄ってみることを
おススメします。

さっきの、広隆寺の門の右の道を、
塀に沿っていくと、すぐにあります。
こじんまりしてますが、この付近一帯に
権勢を誇っていた秦氏の神社です。

広隆寺も秦氏が建てたそうです。
聖徳太子の側近だった、秦河勝さん、
という人が建てたと言われています。

聖徳太子の側近て、サラッと
言ってますが、すごいですよね。

その、秦氏の神社です。

大酒神社の前にある由緒書。
いつもの、私の好きなやつです。

すごいおもしろいこと書いてます。
太秦(うずまさ)っていう地名は、
いまでもここに残っています。

太秦の秦は、秦氏の秦。
実は秦氏は、秦の始皇帝のひ孫?
かなんかが、漢の時代の戦乱を
避けて、一族を率いてここに
拠点を設けたのが始まりだそうで。

この秦(はた)は、秦(しん)の秦、
だったんですね!

で、秦由来の養蚕技術を持って、
絹布をたくさん、朝廷に収めたら、
うずたかく山のようになったと。

そのさまが、埋益(うずまさる)に
なり、そのときの秦氏の当主、
酒公さんが、うずまさ、
という姓をもらったとか。

で、その時の酒公さんの酒から、
この大酒神社の名前が付いたとのこと。

秦氏は、養蚕、農耕、造酒、土木、管弦、
工匠など、なんしか、あらゆる技術に
長けていて、畿内のみならず日本全国の
文明文化の発展に貢献したそうです。

なんだかんだで、やっぱり、中国って
昔からすごいですね。

日本と中国は、今でもいろいろあるけど、
関係は深い。

広隆寺を建立した、秦河勝さんは、
この酒公の六代目の孫。

さらに、
子孫の秦忌寸都理(いみきとり)さんが
松尾大社を建立、
秦伊呂具(いろぐ)さんが
伏見稲荷大社を建立したらしい。

これまたさらっと書いてるけど、
すごい内容。

あと、忌寸都理とか、伊呂具とか、
秦氏の名前、カッコいい気がする。

なんか、漫画の主要キャラとかで居そう。

お社はこじんまりしてます。

だけど、重厚なたたずまいで、
やっぱり神聖な雰囲気はあります。

さて、広隆寺の前までもどり、
大映通り商店街を歩きます。

ここを北の方にいくと、
太秦映画村、東映京都撮影所があります。
また、この先をまっすぐ(西)に向かい、
少し左手(南)に入ったあたりに、
松竹撮影所があります。

その付近へ向かいます。

うずキネマという、この商店街の
シンボル的建物。食事もできます。
東映と松竹の撮影所があることから、
この付近は映画とかレトロとか、
なんかそんな、イイ感じです。

ニッサンというスーパーの前に、
大魔神が居ます。この付近に来たら、
ここもチェックポイントなのは
間違いないですね。

さて、やっと、今回のメイン、
蛇塚古墳に向かいます。

方角的には、ちょうどここから
南へ少し入った場所です。
ぐねぐねと、住宅地を歩かないと
行くことができません。

住宅街を歩くと、
突如、こんな感じで、
蛇塚古墳が現れます。

今までは、大映商店街は歩いても、
この付近には来たことがなく、
このような古墳があるのは
全く知りませんでした。


実は中に入れますが、
いろいろ手続きが必要です。


いつもの説明書。
デカさで知られる、
奈良県の石舞台古墳よりも、
玄室の幅は大きいらしい。

デカい石は玄室(棺を安置する場所)で、
盛ってあった土が流れてって、露出して
しまったまま、現在に至るようです。

蛇塚って名前、蛇がいたから、
だそうです。。。

なかなかに安易に付くのね。名前って。

しかし、、、デカい石!!
ここまで持ってくるの、大変やったろう。

ぐるっと、周囲をまわれる。

もともとは、この上に、土が盛ってあって、
古墳だったなら、そうとうデカかった。

当時の秦氏の権勢が想像できます。

なんか、そういう元の古墳を、
想像するだけでも、ワクワクします!

新聞の記事では、付近には古墳が多い、
とあったので、グーグルマップで検索。

歩いて行けそうな古墳、
さらに2つ行きました。

コレ?

マジで??

うっそ、、、ヤバイ。
盛り土やん。。。
(あかんやつ)

ナゾの多い古墳。

まだ、解明されてなさそう。
この説明書も、なんかの研究で
レポートしただけのもの、みたい。

これはこれで、興味そそります。

ただ、今は、なんかマンションとか
ガレージの敷地の合間に埋もれてる。

整備されて、カッチリしてるより、
逆に、こういうほうが、なんか、
ロマンを感じるので、私はスキです。

嵐電の帷子(かたびら)ノ辻駅を越えて。

北にむかい、もっと大きな古墳
を目指します。

グーグルマップで見つけた。

マップ上では、
垂箕山(たるみやま)古墳、
って出てたんですが。

実は皇族の墓。
これも、知らなかった。

宮内庁が管理してます。

桓武天皇の皇子、仲野親王の高畠墓、
と書いています。

実は、こういうのも、古墳に
入るんですね。

実はこういう、宮内庁が管理している、
皇族のお墓って、けっこうある。

どこも、大小あるけど、ちゃんと管理が
行き届いている感じがする。

もちろん、一般人は入れないし、
観光ガイドブックに載ることもない。

こういうとこは、行っても入れないし、
周りを歩くくらいしかできません。

超法規的というか、
都市伝説のような?

宮内庁管理の、こういったお墓は、
たくさんあるけど、なんか公開とか
するとかは聞いたことないですね。

ナゾに満ちてます。
あんまり、深追いする気はないです。

外からちらっと見えるけど、入れない。

宮内庁管理のお墓の門って、
こういう形が多い気がします。
神社の鳥居の、上が無い形?
なんか、意味があるんでしょうか?

私は詳しくないのでわかりません。
深追いする気もないですけど。

ほんまのナゾ。
まぁまぁでかい古墳です。

JRの嵯峨野線、太秦駅のすぐ南の、
小高い山みたいなのがそれです。
気になった方もおられるかも。
正解は、宮内庁管理の古墳でした。

古墳を巡った。という話でした。

今回紹介した古墳について、
誰か詳しい方、いらっしゃれば、
補足説明お願いします!!
(他人任せ)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?