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これまでのわたし

私はこういうヒト

私は、自己肯定感が低い。
私は、人見知り。
私は、一人で出かけるのが好き。
私は、感受性が高くすぐに泣く。
私は、他人にかなり気を使う。

私は、後ろ向きになりやすい脳ミソ。


こんなこと、初めてnoteを見てくれる人にお伝えすべきではないかもしれない。

でも、本当の自分はこういうヒト。


でも…

実は、フットワーク軽い。
実は、会話するのが好き。
実は、体動かすのも絵を描くのも好き。
実は、人混みが好き。
実は、ヒトが好き。
実は、人を喜ばせるのが好き。

実は、自分のことが好き。

すごくマイナス思考なんだけど、出来るだけ前向きに生きたいという願望もある、変な人間。


転々とする「すみか」

私の父は転勤族。
私は大阪で生まれた。
年中?年長?くらいで石川県へ移り住み、
小学2年生の時に奈良市へ引っ越し、
また小学3年生の時に奈良市内へ引っ越した。

その後結婚する20年近くは奈良市内で暮らしたが、結婚後は旦那が転勤族だったため引っ越しを繰り返し
奈良から岐阜→滋賀→京都へといずれも2年以内ずつという短期間で引っ越しを繰り返した。

滋賀から京都へ移り住む際に長男を出産。

京都から今度は旦那が群馬へ引っ越す、となったが…
・ちょうど次男を妊娠中で里帰り出産を希望していたこと
・群馬へ引っ越すことへの抵抗(どうしても関西圏で暮らしたい、せめて関西に近いかどうせなら東京)があったこと

などを理由に京都から奈良へ引っ越した。


こんな具合で、私は幼少期から引っ越しを繰り返して同じところに定住できなかった。

それが自分の人格形成にも大きく影響していると感じている。


周りの友達は、俗にいう「幼馴染」が周りにもいて、"転入してきた私"よりも強い絆で繋がっている。
実際は、そうでもないかもしれない。

だけど私は繋がっているに違いない、と思い込んでいる。

みんな、なんかあったら「元々仲のいい子」とつながる。
そういう経験をしてきたから「どうせ私なんて」と思うことが多い。


あと、「ずっと同じ地域」に住んでいないからその土地を深く知らない。
ある程度自分の過ごすテリトリーを知ってしまえば、暮らすのに困らない。
その地域や土地のことを知らないから、「よそのヒト」という感覚が抜けない。地域の繋がりも少ないから、いざという時に家族以外頼れる人が少ない。自信がない。


「私はナニモノ?」
「私が居なくても、家族以外別に悲しむ人なんていないんじゃないか?」

そういう感覚がなかなか無くならないのは事実。


自分を変えたい

そんな自分がいるのは自分のことだからわかってる。


だから、変えたかった。




私は絵が描くのが得意。小学生の頃は漫画を描いたり、人気のキャラクターを描いたり。
小学生の頃は絵がうまければかなり友達が食いついてくれた。「めっちゃ絵上手!私にも描いて!」と、転入生の私にもすぐに友達ができた。
あとは、運動が得意だったので足が早かった。
運動会のリレーでは何人も抜かして1位に!
運動ができると結構ちやほやされる。

小学生の頃はそんな具合で、転入生で自信のない自分を特技が救ってくれた。

ただ、中学生になると絵や運動でちやほやされることが無くなった。
容姿や内向的な私はいじめられた経験もある。
その時はすごく苦しくて、この世から居なくなりたくて。
こんなにも辛い自分に気がついて欲しくて腕を傷つけたけど、それを見た母親に怒鳴られた。

優しい言葉を求めてたけど、厳しいうちの母親は、私を怒鳴った。

今思えば、何してるんや!って怒るのは当然なんだけど。

何もかも嫌になって学校に行くのも億劫になってたけど、その時は担任の先生や友達のおかげで前向きになれた。

あと、中学の時は勉強が得意だったので勉強に勤しんだ。当時通ってた塾の先生に恋をして、塾の先生のおかげで数学が超得意になった。勉強が得意になると勉強教えて!と友達が増えてた。勉強が自分を救ってくれた。


高校、高校の時は…
学区が関係ないのでこれまでの自分の住む地域以外から来る子が多いのでスタートしやすい。
ただ、内向的で人見知りな私は高校入学後はしばらくの間一人でお弁当を食べていた。

でも、これじゃあかんと陸上部に入った。
高校1年間は元々得意だった短距離で自信が持てた。ただ、陸上部では先輩に仲良くしてもらっていたので、仲のいい先輩が受験を控えいなくなってしまったら自分の居場所がなくなったような気がして…部活を辞めた。

2年の途中からは、仲のいい友達もできて高校生活を楽しんだ。元々お笑いが好きで、喋るのも好きだったので、面白いことをしていれば結構みんなでバカやって楽しんでた。
3年生の時もクラスの雰囲気が良かったのでそれなりに過ごした。

高校の頃は、化粧をし始めて中学時代にいじめられた容姿を変える努力をした。化粧をすることで自分に自信が持てて自分が変わっていく。そんな気がした。


そして、大学。
大学に入ってすぐ、女子大だったのもあり、エンジョイしたいのと人見知りを克服するために自分一人でいろんなサークルに回った。
・大学一年生
・女子大生
・少しギャル
これだけでかなりちやほやしてくれるし、サークルの歓迎会廻りをしてただでご飯食べまくった。笑

そんなおかげで人と話すこと、一人でいろんなところに回ることが好きになった。結局アウトドアサークルに入って、サークルで出会った先輩に恋をして、人生で初めて彼氏ができたりもした。

サークル活動も楽しかったけど、大学の授業が楽しくてゼミや作品作りに没頭。
大学の時にアートにのめり込み、夢中になった。簡単なプログラミングやグラフィックソフトなどを学んでパソコンでデザインやイラスト作成ができるようになり、メディアアートやインタラクティブアートで自分を表現した。
あと、ゼミのチームのリーダーに立候補して人をまとめることにも挑戦した。

大学生になったら自分で自分を変えたいという明確な考えの元、実行して変わった。
自分をじぶんで変えられたことが自身に繋がった。

小学生から中学生の頃は無意識だったけど、得意なことで自分を変えた。
自分がどういうヒトか分かってくるようになった高校、大学時代は少しずつ自分を変えた。


大人になってからの私

いろんな経験を重ねて、社会人をスタート。
仕事は大変なことも多いけど、おかげさまで周りの人には恵まれて楽しい暮らしが続いた。

26歳で今の旦那と結婚したのだが、この旦那とは19歳の頃から付き合ってたのでなかなかのながいつきあい。

結婚後はいろんなことがあった。辛いことの方が正直多い。親と離れて、慣れ親しんだ奈良から離れて全く知らない岐阜での暮らし。
サービス業で時間の合わない旦那との暮らし。

長男妊娠中も出産後も次男妊娠中も出産後も旦那にはあまり頼れなかった。

長男妊娠中に旦那が夜勤形態にかわり、次男妊娠中は群馬に単身赴任。
長男妊娠中から次男出産後までほぼワンオペで、見知らぬ土地で孤独な子育てをしてきてかなり辛かった。

出産を通して自分が親になり、子を育てることがこんなに辛いのかと絶望した日もたくさんあった。


「なんで私が…」「なんで私だけ…」「私が母親でごめんね…」と自分を追い込むことも多々あった。


でも、こんな自分じゃダメだ。
2人の母親なのだから、しっかりしないといけない。

こどもたちには私のように

「生きづらい生き方をしてほしくない」

そう思うようになった。


思考にはクセがある

自分の悩みを相談する相手は、大抵母親。たまに姉。
でも、自分の家族から帰ってくる答えは大抵同じで、その先があまり見えないというか、自分の想像を超えた返答が返ってこない。


つい最近のことだが、全く関係ない(というと失礼だが)第三者に相談してみた。
私のことをほとんど知らないその人。

でも、その人も大変な過去があり、それを乗り越えてきている、と話してくれた。


その人から教わったこと。

思考にはクセがある。

自己肯定感が低い人とかマイナス思考になりがちの人は、そっちの方が自分が楽だからおのずとそちらに思考が傾きやすいのだと。


なるほど、と思った。

自分なんか、自分だから…と卑下することで、自分が悪者になることで周りから嫌われないように自分を守っているんだ、と。

だから、マイナス思考に傾くのは自分が楽になるためのクセ
そう考えると、そんなクセは治した方がいいに決まっている。

ただ、長年しみついたクセだからすぐには治らない。だから、徐々に治していこうと決めた。

決めた瞬間から、前向きになるクセをつけるようにしている。


自分が変わろうとすれば変わる

この相談をきっかけに自分の過去を振り返り、気づいたことがある。

それは、自分が変わろうとすれば状況や周りの世界は変わるということ。

マイナス思考に傾くクセは昔からあったけど、無意識ではあるけど、
幼少期から問題にぶつかった時は自分なりに攻略法を見つけてその都度乗り越えてきたではないか、と。

これまでの自分、これまで自分がしてきたことは間違ってなかった、と。


自分を好きになって、自分を大切にして、自分を可愛がることも必要だ。

自分を大切にできない人は周りも大切にできない。

これは、自分の中で最大の気づきである。
過去を振り返ればこれからの自分が見えてくる。

私はこれから、
もっと自分を
もっと家族を
もっと友人を
もっと周りの人を
大切にして喜ばせて幸せにしたい。

そう思っている。

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