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しごととわたし。

新卒で印刷通販会社へ

私が初めて社会人として仕事をスタートさせたのは大学卒業後。
印刷通販会社でテクニカルサポートという仕事をしていた。

もともとデザインに関わる仕事をしたかったので、デザイナー職を希望していたが、やはりデザイナー職は芸大系の子がほとんど。

私はお客様から入稿された印刷物のデザインデータを印刷用のデータとして流せるかのチェックをする仕事についた。
なかなか特殊な職である。

例えば名刺のデータ。
IllustratorやPhotoshopなどで作成されたデザインデータがWEBサイトを介して入稿される。
それをチェックしていくのだが、
・フォントのアウトラインが作成されているか
・サイズは名刺サイズか
・リンクが切れていないか
などなど複数あるチェック項目を確認して、問題があればお客様へメールまたは電話などで連絡して再度入稿してもらう。
といった具合だ。

大手の印刷会社なので、こういうデザインデータが大量に送られてくるのを日々チェックしていく。

単純にデータチェックだけしているのではなく、お客様とのやりとりや店頭で接客もする。
また、データを詳しく見ていかなくてはならないのでIllustratorやPhotoshop、InDesign、Quarkなどなど多数のアプリケーションを使えるようにならなければならない。デザインソフトだけではない。
印刷へ流すための専用のソフトなども使えなくてはならないし、もちろんパソコンにも詳しくなる。
また、どんな紙に印刷するといいかや色について、加工について…などなど印刷物にも詳しくなった。

私は新卒で入社後、結婚するまで4年半ほどこの印刷会社でお世話になった。

基本的に電話でお客様とのやりとりをするのだが、納期や料金等の変更などお客様に交渉する必要があるので結構電話の向こうで怒鳴られた。
ヒトは対面じゃないと必要以上に攻撃的になりやすい。だから、電話での接客は好きになれなかった。

ただ、仕事自体は勉強になるし、何より会社で働く周りの同期や先輩、上司に恵まれたので働くことは楽しかったし、会社のヒトは大好きだった。

新卒で入社した印刷会社では、社会人としてのマナーを始め、技術や電話対応、チームワークなどいろんなことを学んだ。


デザイン事務所に3ヶ月

結婚後は全く見知らぬ土地の岐阜へ引っ越した。旦那が転勤族のため、以前のように正社員で長く続けられないと思っていたので、岐阜ではアルバイトかパートをと思い、仕事を探し始めた。

せっかく印刷会社で働いたし、どうしてもデザイン職を諦められず

インテリアや建築、グラフィックデザインなどトータルでデザインしている個人事務所に応募して見事アルバイトで採用された。

個人事務所でトータルでやっている会社なので、かなり忙しい。
私はグラフィックデザイン担当で採用してもらったが、引き継ぎも何もなく即クライアント様のところへ打ち合わせ、朝まで作業…という仕事に慣れず(というか、旦那もいるし朝帰りが続くと流石に反対された)3ヶ月の試用期間で辞めることを告げた。
ただ、その会社のデザインはすごく好きだったし、グラフィックデザインだけでなくインテリアや建築デザインの世界も触れることができた。図面を見たり、パース描いてるのを直に見れたり模型を作ったり…精神と体力は費やしたが意外と楽しかった。

この仕事では、デザインやクライアント様とのやりとりを学んだ。


接客にも+αを

その後は、デザインを諦めてパートとしてスーパーで働き始めた。

そのスーパーは、少し高級なスーパー。
普通のスーパーより、こだわりの自家製商品があったり、海外からの輸入商品を多く扱うスーパーだった。
オープニングスタッフとして働き始め、開店前から一からお店を作っていくのが楽しかった。

そのスーパーは接客に力を入れており、ホスピタリティを大切にしている会社。
単に商品陳列や品出し、レジをするだけではない。
商品知識を身につけて、お客様が悩んでいたら様子を見ながら、自分から話しかけ提案することや、贈答用に購入される方も多かったのでラッピングの技術も磨いた。
接客コンテストなどにも出場したり、他では味わえないいい経験になった。

このスーパーでは、単なる接客ではなく、商品提案など+αのおもてなしを学んだ。


大好きだったスポーツクラブでの仕事

岐阜に約2年ほど住んだが、春の人事異動で旦那が岐阜から滋賀へと転勤になった。

私はまた一から仕事を探さなくてはならない。

転勤族の妻はこういった具合で自分のキャリア形成は難しい。
ただ、良い意味でいろんなことにチャレンジできる。

今度は何にしようか迷ったが、スポーツクラブのアルバイト募集に目が止まった。
というのも、スポーツクラブでアルバイトすると施設の利用がタダでできると書いてあったから。笑

こちらにも書いてるんですが、私は運動するのが昔から好きだったので、応募してみることにした。

スポーツクラブのフロント業務。
施設の案内やプランの説明をして入会促進。
受付、入館退館処理。
電話対応や簡単な事務処理。
お子様向けのスイミングスクールもやっていたのでそちらの入会手続きなどなど。

応募して無事採用された。

入社後、研修期間が3ヶ月ほど。研修のチェック項目があり、実演テストがある。
かなりしっかりしたマニュアルがあるのでそれに沿って覚えていく。

ただ、接客業なのでマニュアル通りには進まない。お客様とのコミュニケーションが一番大切な仕事だ。

私はこれまでの電話対応やスーパーでの接客経験があるので比較的スムーズに研修にも合格し、スポーツクラブでの仕事がどんどん楽しくなった。

応募のキーにもなった施設利用無料も存分に活かしてもらった。笑
施設利用というのは、ジムのマシンをはじめヨガやエアロビなどのプログラムにも参加できる。施設利用することで、マシンの使い方を覚えたりプログラムの内容を詳しく知れるので、お客様により詳しく説明できる。

筋トレも好きだしヨガにも興味があったのでフロントスタッフの中ではかなり利用した方だと思う。笑

フロント業務は、スポーツクラブの顔となる存在。身だしなみも厳しかったし定期的に対応チェックなどもあった。
このスポーツクラブもホスピタリティを大切にしていて、以前働いたスーパーに通じるものがあった。

お客様もスイミングスクールに通う0歳からジムに通うお年寄りまで幅がかなり広い。
会員人数も多いので、これだけヒトが多いと色んなヒトがいたが、お客様とのコミュニケーションを積極的に行うことで信頼感もうまれ、初めは全く顔を覚えられなかったし覚えてもらえなかったけど、長く働く間でかなり多くのお客様の顔と名前も覚えられるようになったし、お客様にも顔と名前を覚えてもらえるようになった。

スポーツクラブでの接客を通して人が好きになった。

私は、このスポーツクラブが大好きだった。
滋賀で約2年間勤務後、旦那が京都に転勤になったが京都に引っ越してからも電車で通い約1年半お世話になった。
その後旦那が群馬に転勤となり、私は次男を妊娠していて奈良での里帰り出産を希望していたため結局長男と2人で実家のある奈良に住むことにした。(実家とは別居、旦那は単身赴任。)

それでもまだ奈良から滋賀まで片道約2時間かけて週一回通わせてもらった。笑
妊娠中だったので、他では雇ってもらえないこと、通勤手当が全額出してもらえたこと、週一回でも構わないと受け入れてもらえたことなどが理由。

妊娠しながら超絶イヤイヤ期の長男をワンオペで育ててるとかなり精神的にもくる。なので、こどもから離れて週一回でも働かせてもらえることがかなりリフレッシュになった。

スポーツクラブでは、同じように小さなこどもを育てながら働くママたちがたくさんいたから、相談もしやすかったし、急な欠勤にも柔軟に対応してもらえた。働きやすさも長く続けられた理由。


ただ、やはり片道2時間、往復4時間かけての通勤は限界があったので次男の出産を機に退職した。やめたくなかったし、今でも戻りたいくらい。


スポーツクラブを辞める時にお客様に言われた言葉が私の誇り。

「あなたが一番(フロントで)好きやった。居なくなったらめっちゃ寂しいなあ」

そう言ってもらえるのはフロント業務の最大の喜びだった。


スポーツクラブで学んだことは、お客様とのコミュニケーションの大切さや面白さ。こども達との関わり方。体の大切さ。


予想外だった秘書業務

出産後、半年で働きに戻った。育児から少し距離を置きたいのと、働いていないとウズウズするのと、お金が必要だったから。

ハローワークに行き、ママ専用のコーナーで相談した。

私は接客業や写真に興味があったのでフォトスタジオなどを希望していたが、就業相談にのってくださる女性の職員の方に言われた。

「保育園入るなら、今はしたい事より保育園入るための就業を考えた方がいい」

「・・・そうですね。」

やりたい事よりも保育園に入るための仕事を探さなければいけない現実に少し呆然としたのと愕然としたのを覚えている。

ただ、その職員の方にお薦めしてもらった県の事務職に応募し見事合格した。

今まで接客業がメインで事務なんかした事なかったのではっきり言ってかなり戸惑ったが、事務補助職なのでそこまで要求されないのと県の職員なのである程度融通が聞く(こどもの体調不良による欠席など)ことをお薦めされたので働くことにした。

ただ、予想外だったのが・・・「部長秘書業務をしていただきますが・・・それでも大丈夫ですか?」と合格通知の電話で伝えられたこと。

「ひひひひひひ秘書?!私が???」

心の中ではかなり叫んだが、なかなか仕事が見つからない。それも条件的には悪くはない。ということで、チャレンジ精神が売りの私は部長秘書として働く決心をした。


女子大には通っていたものの秘書検定なるものを受けたことも受けたいと思ったこともない。そんな私が今日から秘書。

部長の身の回りのお世話からお客様のお茶出しや対応、細かいファイル整理、スケジュール調整、電話対応、会議の資料作り、提出物作成、その他もろもろ事務。かなり忙しく覚えることが山ほどあることと部長秘書のプレッシャーで、一度これまで経験したことのない極度の頭痛と吐き気で倒れたことがあるくらい大変だったが(苦笑)、この時も人には恵まれていたので、周りの方のサポートもあったり、幸い私のつく部長がとてもいい人だったおかげで数ヶ月したら秘書としてバリバリ仕事ができるようになった。(多分ww)

ただ、秘書業務も慣れた翌年の夏。
旦那が単身赴任から戻ってきた。というのも転職のため退職したからだ。

そのため、保育園を退園せざるを得なくなり、もちろん子育てなどほとんどしてこなかった旦那に育児を任せて仕事、という選択肢もなく一年足らずで退職した。

秘書の仕事では、はじめての事務業務(会議資料の作成やちょっと特殊な電話対応やメールのやりとりなど)をはじめ、お偉い様たちへの接客や上司への気配り、スケジュール管理、そして県の組織などを学ぶことができた。

そして、何より自分の住む県のことにかなり興味・関心をもちもっと地域を盛り上げたいと思うようになった。

クリエイティブ業で開業

そして退職後。
保育園にも通えず、旦那も仕事を辞めている状況で少しでも収入を得ないといけない。

とりあえずハローワークへいき、失業保険の手続きをしに行った。わずかでもいいからお金を…と思い手続きしに行った結果…

「一年働いてないから受給対象じゃないですね。」

「え、ええ?!」


そう。9月途中入社、翌年8月末退職のためギリギリ一年に満たなかった。

こういう時、ちゃんと社会の仕組みを理解していなかった自分を責めつつ、弱者に冷たい社会を恨む、


はぁ。。そうですか…と落胆しまくった私。

でも、少しでも収入がないと…と思い

個人事業主として10月1日に開業した。

事業内容は今まで自分のしたかったデザインをメインとしたクリエイティブ業。

昔からの夢を思わぬカタチでスタートし始めた私だが、

今までの経験を踏まえてホスピタリティ精神、ヒトとの関わりを大切にして地域を元気にする、そんな仕事をしている。

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