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わが心の歌舞伎座

2010年に60年の歴史に幕をとじた歌舞伎座の「さよならドキュメンタリー」をシネマ歌舞伎でみた。
この製作自体が2011年だから、もう10年以上前の作品。
立て替えられた歌舞伎座が開場して10年という節目にあたるので、再上映しているらしい。

休憩を挟む長作。
昭和の後半~平成彩り、歌舞伎座閉場に立ちあった歌舞伎俳優たち10数名のインタビュー(歌舞伎座の思い出)と出演舞台の一部が、ひたすら続くドキュメンタリー。
一人一人の俳優の言葉がズシリと重い。
芸道一筋数十年の彼らが経験から培った芸に対する叡智と歌舞伎への熱き思い、歌舞伎座への思い。

戦後に建設された歌舞伎座の内部は、昭和そのものだ。
安かろう悪かろうの建具ばかりになった現在とは違い、昭和はまだ「ホンモノ」があふれていた。その慎ましやかだがホンモノに囲まれた内部は、古くなりすりへり、ガタがきても、彼らの仕事を支えてくれる。
出演者、裏方、表方、すべての働く人たちを受け止めてきた建物。
彼らの汗と血と努力と願いと悔しさと・・・様々な感情を受け止めてきた建物。
そこには、「命」という息吹が吹き込まれて、彼らとともに生きてきたのだろう。と感じられた。
新築された歌舞伎座は、旧歌舞伎座と同じ寸法の舞台、客席、概観、内観をもっている。
これは本当に喜ばしいことだ。すべてを新しくするのではなく、継承するべきことを継承し新しくしていく。その選択をしてくれた松竹には拍手だ。
旧劇場にあった息吹は、新劇場にはない。が、これからそこで働く全ての人たちが息吹を残していくことだろう。
(イマドキの若者演者たちが、そういう気持ちをもって臨むことを心から願う!)

次々に語り手として出てくる俳優たち、全員の生の舞台を見たことがあることに気づいた。(その半数がもう亡き人となられているが)
歌舞伎座の歴史が60年とするならば、その後半30年は私はともにしているのだな。と思うと感慨深い。
歌舞伎を見始めたのが大学生の時。それから10年は毎月のように通っていた。
(新橋~有楽町~銀座~東銀座がわが町となりくまなく道をしっているのは、その頃のおかげね)

最初の数年で、俳優と演目の数を重ね、自分の好みの作品や役者がきまってからは、好みの作品や俳優だけをみるようになった10年。
その後15年位は、歌舞伎から離れていた。
その間に、歌舞伎座は閉場し立て替えられ、勘三郎氏はじめ多くの名優が天に召された。
歌舞伎座の最後や俳優たちの最期の舞台姿を見れなかったことは残念だが、幸運なことに彼らが元気に舞台にたっていた頃を知っている。
演者は生ものなので、「その時」を見逃すと二度と「その時」の姿は見れない。(映像で残っていても、それは生の体験とは違うものになる)
だからこそ、その時に立ち会って舞台を見れていたことは、本当に幸運だと思う。
私が長い観劇人生で出会ってよかったと心から思っている舞台のベスト5の内、3つは歌舞伎だ。

先代猿之助のスーパー歌舞伎「オグリ」と「かぐや」
そして、40代のあぶらののりきった玉三郎丈の舞踊

これらは、目をつむっても、ありありと浮かんでくる。

そんな私自身の歌舞伎体験もスクリーンをみながら、思い出していた。
このドキュメンタリーのタイトルが「わが心の歌舞伎座」は、そのまま私にも適用してくれる。
閉場のときに言えなかったから今さらだけど、言おう
「わが心の歌舞伎座、ありがとう!」