「本を出したい!」という病について

私は不治の病にかかっている。「本を出したい!」という病だ。
いつから罹患(りかん)したのだろう。

おそらく50代半ば、今後のキャリアの迷子になった時のような気がする。
「出版」という形で自分の存在価値を問いたい、と思った。
そこで私なりの問題意識をまとめ、知己を得たあるビジネス系大手出版社の編集者の方にお渡しし、会議にかけてくださった。
それは、勤めていた会社があるスキャンダルで世の中を騒がせている時だった。結果は「暴露本なら」というものだった。これがトラウマになった。

次いで、大学院の研究内容に興味を持ってくださった、ある出版社の編集者の方が会議にかけてくださった。その方の指示のままに、細かく章立てもつくった。しかし、ボツ。

伝手をたどって「出版プロデューサー」の方にもご相談したことがある。「今の時代は、ブログを継続的に書いて発信し続ければ、目に留めてくれる出版社や編集者が現れる可能性があります」というアドバイスでブログを書き始めた。もう6年ほど前のことになる。以来ブログを書き続けているが、声はかからない。

そしてつい最近、あるテーマで企画メモを書き出版社の編集者の方にお見せしたところ
「これは(自主出版ではなく)商業出版として世に問うべき内容です」
という言葉を頂いた。
万が一の可能性、いや実は50%以上の可能性を期待したがダメだった。

商業出版という形で本を世に出して初めて、自分は社会的に価値がある存在になるのだ。

この拭い切れない想いは、どこから来るのだろう。

ひとつは、私の祖父も父も自著を出版したことが起因しているのかもしれない。

大学の英文学者だった祖父は、戦後、GHQの駐屯地となった箱根の富士屋ホテルに通訳として勤務し、ホテルのオーナーから請われる形で、英文で日本の文化を紹介する本を書いた。数年前、異文化コミュニケーション関係の会議に出席した時、「日本文化を対外的に紹介した初の事典」としてその本が紹介され、驚いた。その本は、今でも富士屋ホテルと丸善書店で売られている。いわば、私にとって亡霊のような存在だ。

テレビ局のアナウンサーをしていた父は、日本語が乱れゆくことを憂い、在職中から文法を研究し、退職後に日本語の正確な発音を指南する本とカセットテープ(!?)を出版した。

もうひとつの理由は、ことごとく身近な知人が本を出していることだ。
SNSなどで「本を出します!」というメッセージが目に付くたびに、心がかき乱される。
激しく落ち込み、不機嫌になって家庭に不穏な空気が流れる。
「なぜ、あの人は出版社から請われ、私は拒否されるのか?」
「あの人と私の間に、どれほどの社会的価値の差があるんだ!」と。

本を出したいという想いを吐露すると、他人様は仰ってくださる。
「出版するだけの活動をされているし知見があるじゃないですか」と。
そう言われるたびに「本当は、お前なんかに無理だ、と思っているんでしょ?」と邪推してしまう。
こと本のことになると、自分は相当、性格がねじ曲がってしまっているようだ。

これまでは「桜散る」の報せがあるたびに「ダメかあ」で終わっていた。
だが、今回はそのまま諦めることにはしない決意だ。
この春、突然、ある(本物の)持病を得た。
日常生活に支障は無いが、無理はできないかもしれない。
「自分は長く生きることができないのだろうか」と弱気になった時、
後悔のないようにやりたいことにチャレンジしよう、と思った。
そして真っ先に思い浮かんだのが、出版への再チャレンジだった。
今回ばかりは粘って粘って出版にこぎつける決意だ。

それにしても、自分が譲れないものとは何なのだろうか?

「本」という形で自分が生きて来た証を世に問い残すことか?
「商業出版」という形で、出版社や社会に自分を認めさせ、本を出して来た知人同様の価値づけをすることなのか?

これは、私にとって「本」という形を借りた自己存在に対する冒険なのだ。
自分にプレッシャーを与えるつもりで、その軌跡をブログで発信していきたい。
さて、どのような結末が待っているのだろう・・。

#本 #出版 #自主出版  


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