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「人新世」の時代。アーティストは動いている。私たちは、どうだ?

森美術館で開催中の「私たちのエコロジー 地球という惑星を生きるために」を鑑賞した。

開催趣旨(ステートメント)にはこう述べられている。

産業革命以降、特に20世紀後半に人類が地球に与えた影響は、それ以前の数万年単位の地質学的変化に匹敵すると言われています。この地球規模の環境危機は、諸工業先進国それぞれに特有かつ無数の事象や状況に端を発しているのではないか。本展はその問いから構想されました

「アートとは『問い』である」と言われる。本展覧会は4つの章で構成されているが、それぞれ印象に残った1点ずつ作品を紹介しながら、私の中にどのような問いが生じたのかを述べていきたい。

第1章は「全ては繋がっている」。この地球上の生物、非生物を含む森羅万象が循環し繋がるプロセスを表現する作品が展示されている。

私が挙げる1点はベルリン在住のアーティスト ニナ・カネルの≪マッスル・メモリー(5トン)≫

≪マッスル・メモリー(5トン)≫

5トンの貝が床に敷き詰められ、観客はその上で歩くと押しつぶされる(粉砕される)貝の音を聴く。それによって、生物が建築物などの工業製品などに消費されるプロセスを書物などによってアタマで理解するのではなく、触感や聴覚によって体感する。

第2章は「土に還る」では、1950年代以降の日本の社会状況を反映した作品が展示されている。

ここで挙げる1点は、章のタイトルにもなっている鯉江良二の≪土に還る(1)≫

≪土に還る≫展覧会HPより

土を素材に原爆や反原発をテーマとした作品を制作して来た作家の顔が崩れ土に還る姿が表現されている。作品と共に日本が戦後辿って来た環境汚染(公害)の歴史年表も掲出されている。年表と共に「土に還る」に向き合うと、私たち人間の生命も循環型社会のシステムの中に在るのだということや、第二次世界大戦後に「奇跡の高度成長」を成し遂げて来たのと見返りに人新世に加担して来た加害者としての側面に気づかされる。

第3章「大いなる加速」では、工業化、近代化、グローバル化が急速に進展する「人新世」の時代を反映した作品群が展示されている。

ここで挙げる1点は、スイス生まれのアーティスト ジュリアン・シャリエールの≪制御された炎≫

≪制御された炎≫

鉱山や冷却塔など工業的な場所に逆再生された花火の映像がオーバーラップされて表現される。ギリシャ神話に登場する、天から火を盗み人間に与えるプロメテウスを隠れたメタファーとして、人間と火との関りについての問いを投げかける。ドローンによって視点は空中を遊泳しながら体験する壮大な逆再生の花火ショーには、いつまでも見入ってしまうほどの魔力がある。それによって「火」という魔力を手にして、憑かれたように加速度的に工業を発展させて来た人間の本性に向き合うことになる。

第4章「未来は私たちの中にある」は、それまでの3章を踏まえ人間がどのように在り方を選択していけば良いのか、という問いを投げかける。

ここでは、ブタペスト生まれのアーティスト アグネス・デネスの≪小麦畑-対決:バッテリー・パーク埋立地、ダウンタウン・マンハッタン≫を挙げたい。

≪小麦畑-対決:バッテリー・パーク埋立地、ダウンタウン・マンハッタン≫

「ニューヨークのマンハッタンに麦畑を作る」と決断し、埋立地からゴミやがれきを撤去してサッカー場大(約8000㎡)の麦畑を出現させた。この「作品」は1982年に制作されたが、麦畑の向こうに今は無き世界貿易センタービルが見えることによって、様々な想いが湧きあがる。

本展覧会の作品の多くは、アーティストがアトリエでの作品づくりで終わるのではなく、作品づくりのプロセスによって具体的に社会と関わり、社会へのメッセージを投げかける「ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)」というカテゴリーに属する。

現在、その代表的な存在はオラファー・エリアソンだが、≪制御された炎≫を制作したシャリエールも、工学技術者、科学者、哲学者らとの協働で様々なプロジェクトを手掛けている。

ともすれば、私たちは最終的に生み出された作品にばかり目が行ってしまう。しかし、上記のようなプロセスにももっと目を向けるべきであり、それだけに本展覧会でもプロセスを紹介する展示がもっとあっても良かったのではないか、と感じた。

また森美術館自体も本展覧会の趣旨に即したアクションを取っている。

展覧会場に掲示された説明版

できる限り作品というモノ自体の輸送を減らし、作家本人が来日して制作してもらうように計画したり、身近な環境にあるものを素材として再利用したり、あるいは前の展覧会の展示壁や壁パネルを一部再利用し塗装仕上げを省いたりしている。

この展覧会を鑑賞した日は、2月中旬だと言うのに都内の温度は20度に達し、夫婦で「冬でこれなら、いったいこの夏はどうなってしまうんだろう」と語り合った。

いずれの作品も強い問題意識と優れた技術に裏打ちされた明確なメッセージ性があり、とりわけ映像作品はどれも見ごたえのあるものだった。それらを見通し、改めて「我々は動いている。で、貴方はどうなんだ?」と問われているような気がした。いや。「問われている場合ではない、アクションをしなければ」という想いも強まっている。

#森美術館 #人新世 #私たちのエコロジー  





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