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日本の「交通戦争」


ひと昔前の日本に「交通戦争」と呼ばれた時代がありました。


不勉強で、この言葉を知ったのは、ほんの二年くらい前。
学校教育の中で教わった記憶がありません。

テストのため何度も繰り返して勉強させられるような
「いい国つくろう鎌倉幕府」とか「生類憐れみの令を出した将軍は誰か」
といったことよりもはるかに知っておくべきこと
のように私には思えますが、不思議です。


ウィキペディアによると、「交通戦争」とは、
「昭和30年代(1955年 - 1964年)以降、交通事故死者数の水準が日清戦争での日本側の戦死者数(2年間で1万7282人)を上回る勢いで増加したことから、この状況は一種の「戦争状態」であるとして付けられた名称」
だそうです。

交通事故の死者数は、1970年をピークに一旦、減少しますが、
1980年から再び増加に転じ、

なんと、私が中学生だった1988年にまた年間1万人超え。
第二次交通戦争と呼ばれる状況だったそうです。


ここまで書いていて、ひとつ思い出しました。

確か中学二年の夏、
同じ中学に通っていた女生徒が自転車での通学中に
トラックにはねられて亡くなりました。

その子への哀悼の意を示したり、今後の注意喚起のため、
生徒が一同に集められて、校長先生か教頭先生のお話を聴かされた
ことを覚えています。

多感な時期ではあったので、非常にショックを受けましたが、
あくまで一つの痛ましい出来事として捉えていて、
それだけの数の交通事故が発生している社会状況については、
まったく思いが及んでいませんでした。

それほど賢くない平凡なイチ中学生の目線で「交通戦争」を感じ取れるような世の中の雰囲気ではなかったのだと思います。


ここ数年の交通事故の死者数は年間約3000人から4000人の水準で、
まだまだ少ない数字とは思いませんが、大分減って来ていますね。

「交通戦争」の時代から今に至るまでにどんな取り組みがあったのか
を学んでいくことで、
ベトナムでの交通事故を考える上での示唆が得られるかもしれない
と思いました。


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