「ある」と「ない」
こんにちは!
あき@create_todayです。
ふと思いました。何かが 「ある」ことを証明するのは易しくても、「ない」ことを証明するのはとても難しいなって。
というわけで、今日はそのことについて書いてみたいと思います。
3つの例
例1:ある県に猿がいることを証明するには、猿を1匹見つければよい。しかし、猿が1匹もいないことを証明するのは難しい。
例2:会計監査で不正を見つけることは可能。しかし、一切不正していないことを完全に証明するのはとても難しい。
例3:パートナーが浮気していることを証明するには、証拠をひとつ見つければよい。でも、浮気をしていないことを証明するのは難しい。
「黒歴史を持たない人はいない」の証明が難しいワケ
先日、「黒歴史を持たない人はいるか」という記事を書きましたが、この時、その答えを見つけることはとても難しいときづきました。
この問題も、今回と同じ発想をしてみるとカラクリがはっきりします。
問い:「黒歴史を持たない人はいるか」
→YESなら、黒歴史を持たない人がいる。
つまり、「私、黒歴史ありません」という人を一人みつければよい。
問い:「黒歴史を持たない人はいるか」
→NOなら、全員が黒歴史を持っている。
つまり、「すべての人に黒歴史あり」という証明が必要。それは難しい。
似たような概念
このある・ない問題はすでに似たような概念があり、それぞれに名前もついています。
「悪魔の証明」
上に挙げた例のように、証明することが不可能またはひじょうに困難なものは、「悪魔の証明」と呼ばれています。
「ない」という消極的事実の証明を求めることは証明不可能で、悪魔の証明になる -Wikipedia
「ラッセルのティーポット」
宇宙を周回するティーポットが存在する。「ない」というのなら、ないことを証明しろ。できないだろ、だから存在するんだ。
こんなむちゃくちゃな理論展開を用いて、特に神の存在を議論しようとするのが、ラッセルのティーポットです。
宇宙のどこかに地球と火星の間を通って太陽を周回するティーポットがあると主張する者が、それは誤りであると誰も証明できないことを根拠にして、周回するティーポットの存在を信じることを求めるのはナンセンスである。ラッセルのティーポットは、神の存在をめぐる議論においていまなお言及されることがある。 - Wikipediaより
証明責任はどちらにある?
「ない」ことの証明がとても困難であることから、法律や議論の世界では、先に「ある」と主張した人は「あること」を証明しなければならないとされています。裏返せば、
これは絶対あるんだよ。もし「ない」と言うのなら、ないことを証明してみろ。ほうらできないだろ。だから「ある」んだ。
という主張は成り立たない、ということです。
活用法
これはふだんの生活やビジネスなどでも役立ちそうです。
活用法1:「ない」の証明を求めてぐるぐる悩むのを避ける
いくつもの論点がからみあっていると、時々このワナにはまります。早めに気づいて抜け出しましょう。
活用法2:無理な主張を切り返す
もしも上に書いたような無茶な主張をしてくる人がいたら、「それはまさに悪魔の証明だね(ニヤリ)」などと切り返し、一旦あたまを冷やしていただきましょう。
おわりに
仕事でもプライベートでも、「ある」か「ない」かで悩むことは意外に多いです。
そもそも答えを見つけることが不可能なのに、ぐるぐる考え続けたり調査を続けてしまったりすることがあります。
そんな時、今回の考察がお役に立てたら嬉しいです。
以上です。読んでいただきありがとうございました!
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