2024.3.27(水)日記を書き始めるのは人生何回目なのか


日記をつけることになった経緯

娘が生まれて1カ月と1週間が経った。この1カ月はあまりの変化の大きさと自分の体の回復、そしてもろもろの行政手続きなどに追われてほとんど記憶がない。これから残り11カ月の育休期間を過ごすにあたり、このままではもったいないと思い記録を(つけられる限り)つけていくことにした。
……と書くと立派に聞こえるが、今月いっぱいまで育休を取っていた夫がnoteで日記をつけ始めたと言っていたことに触発されただけでもある。いつまで続けられるかはわからない。
私は日記をつけるのが苦手だ。そもそも娘のお世話スペースで生活空間が占められている中、作業スペースとなるダイニングテーブルにノートパソコンを持ってくるハードルが高すぎる。夫もきっと同じなのだろう、ダイニングテーブルの夫側の席には、いつもノートパソコンが放置されている。食事の際に片付けるのが面倒だし教育上良くないと思うので、うまい動線づくりを検討したい(こうして”いずれやりたいこと”リストだけ増えていく)

思い出せる限りのこの1カ月のこと

【入院中】

出産日当日(出産後)はほとんど横になっていた。出産時刻がお昼にかぶってしまい昼食を食べ損ねたためか、15時ころに軽食(おにぎりとみそ汁)をいただき、大変ありがたかったことを覚えている。可能な限り寝るように努めたが、謎の足の強いほてりと胸の張りで満足に眠ることができなかった。足のほてりはベッドの柵に足を当てることでなんとかごまかし、胸の張りは看護師さんにお願いして保冷剤をいただき、ずっと当てていた。
2日目は授乳指導から始まった。事前におむつ替え・授乳の方法を動画で見ておくようにと言われたためそれなりに目を通しておいた。が、あくまで”それなり”に、であり授乳室に行けば何とかなるだろう、という心持ちでいた。実際にはどうにもならずショックを受けた。まず泣いている赤ちゃんにどう触ればよいかわからない。最初におむつを替えろと言われるが、こんなにふにゃふにゃで関節がどうなっているのかもよくわからない生き物を押さえつけておしりを浮かせておむつを替えるなんて、不可能なことのように思われた。私の不安を察してか、娘もこの世の終わりのような泣き方をしていた。(ごめんね。。)授乳はうまくいっているのかどうかよくわからなかったが、早くも右側を負傷してしまった。娘はなかなか吸わず、すやすや寝てしまう始末だった。産後メンタルもあり、自信が一気になくなりつつも生来の負けん気も首をもたげた。「頑張って出来るようになるぞ!」
3日目、午後からの母子同室に備えてできることを済ませてしまおう、と午前中に会社関係者に出産を報告。一通り報告し、お返事をしているだけで疲れ果てて午前中が終わった。母子同室はお互いにあわあわしながら実施。夫とLINE通話して、その様子も中継。おむつ替え中におしっこされてシーツを汚してしまったが、看護師さんにごめんなさいと取り換えを御願いしたら「入院中にいろいろ経験できたな、と思って練習したらよいよ、いっておいで!」と送り出してもらえた。
4日目、朝一番の授乳後もこの世の終わりのような泣き方をされてしまい、どうしても泣き止ませられず。沐浴時間が迫っていたため、そのままの状態で新生児室にお預け。午後には乳頭保護器を貸していただき、授乳の苦痛がかなり激減。MVP。ただ、授乳してもおむつ変えてもさっぱり泣き止まず、どうしようもなくなって抱きながら昼食を食べ、そのままの状態でまた新生児室にお預け(今ならわかるが、母乳もミルクも足りずにおなかがすいていたのだと思う)。母が面会に来てくれて、すやすやの娘をかわいがってくれた。面会は入院中1名と制限されていたため当初は夫に来てもらおうと考えていたが、母の喜ぶ顔が見えたのでそれはそれでよかったかな。疲労がたまっていたため、23時の授乳を最後に夜間は同室せずに新生児室に預けることに。胸の張りや負傷があって授乳に不安があったため、個室ではなく新生児室で再度看護師さんに見ていただきながら授乳。搾乳機も使わせていただき、無事に飲ませられていること、左の出が良い一方で右の出がいまいちなため、吸いすぎてしまってきずになっていることなどを教えてもらった。

【退院後1週間目】

2/27にお七夜を実施。メルカリで買ったセレモニードレスを着せて産前に準備していた命名書とともに写真撮影。我々は寿司に舌鼓を打つ。
家の中でも歩くのが辛すぎて、夫が杖を買ってくれた。(2-3日で使わなくなった。これからどうしよう)
2/29、産後ずっと左耳の調子が悪く(耳閉感と聞こえにくさ、音程の違和感)耳鼻科にかかったところ、低音障害型感応難聴と診断。疲労やストレスが原因とのことで、1週間前に出産したばかりだと医者に伝えたら納得された。母も育児中に多様な症状が出ていたらしく、とても心配された。
週末、義両親が会いに来てくれた。ずっと抱っこしていて、孫を喜んでくれていてうれしい。

【退院後2週間目】

娘が泣き止まなくなってきて、夜中に「夜なんだから寝なさい!」と声を荒げてしまった。夫にもきつめの物言いをしてしまい、この頃が一番しんどかったかもしれない。あまりに泣き止まず、熱を測ったら37.6℃で病気を疑って小児科オンラインに相談したりもした。その後特に異常はなく、泣きすぎで体温が上がっていただけだった。
保険証の手続きなどを、夜間の授乳の合間に行っているのもしんどかった。昼間にどう過ごしていたのか、まったく記憶がない。寝たり授乳したりなんだろうけれど。
左耳の聴力が回復していなかったため、念のため大学病院を受診。突発性難聴等の心配はなく、時間をかけて疲労を回復させながら様子を見ることに。実際、この日を境に徐々に症状はよくなり今はもう無症状になった。
週末、父・母・父方の祖父・母方の祖母が会いに来てくれた。祖父母は怖くて抱っこできない、と言っていたが、娘の頬や足を撫でて、とてもかわいがってくれた。

【退院後3・4週間目】

少し余裕が出てきた?夫を数時間ゲーム会や買い物に送り出すなど。私も夜間に映画を見たり、ラジオを聞いたりして楽しむ余裕が出てきた。(「ショーシャンクの空に」「グリーンブック」はとても好きだ)本棚運営を通して、大好きな作家さんとつながることができたのもとても嬉しい。3/20-24で神保町古本まつりがあったようで、本棚の本が多く旅立っていった。次に何を入荷するか考え中。私は産後約1カ月を迎えたので、外出もできるように。神保町にある自分の本棚に書籍を搬入したり、美容室に行ったり、お宮参り用のワンピースを買いに行ったりできた。だがどうしても胸が張ってしまうので、6時間以上の外出が厳しいという事実も発見。
3/13、娘の左目はうまれつき涙でずっとウルウルしていて目やにがひどかったのだが、ここにきて一層赤みがひどくなったため小児眼科を受診。1カ月検診を前に病院デビュー。念のため着替えやおむつ、授乳ケープなどをもっていったが、可能な限り娘の待機時間を減らすように私一人で受付や薬の受け取りをしたため外でのおむつ替えや授乳はせずに完了。鼻涙管閉塞による結膜炎かもとのことで、目頭マッサージを日課に取り入れることに。(マッサージのおかげか、今ではかなり良くなった)
3/21、1カ月検診も無事に終了。家族や友人たちに生まれたての頃から「貫禄がある」「どっしりしている」などと評されていた娘、たしかに検診時に周りの子と比べてみると一人だけ泣かずにすやすや寝ているし、周りの子は細っこくて泣き声もふにゃふにゃしているしで、もしかすると肝っ玉新生児だった可能性がある。うまれたときからずっとほっぺがぷくぷくしていて、とてもかわいいよ。
友達が入れ代わり立ち代わり遊びに来始めてくれたのもこの時期。娘を寝かしたりあやしたりしながら、友人とボードゲームを出来たのはとても楽しかった。
1カ月検診後に抱っこひもやベビーカーを使ってのお散歩やお風呂も開始。使って初めて、道路の不安定さや傘を横持ちにして歩く人の危険性を感じる。体を拡張した感覚を持たないと、娘に何かがぶつかってしまいそうで怖い(この感覚は、抱っこの時も同じ)。初めてのお風呂は私が担当したが、シミュレーションしていたにも関わらず何の気なしに顔の泡を流すためにシャワーを顔にかけてしまい、鼻に水を入れさせてしまった。娘は苦しそうにむせており、トラウマを植え付けてしまったのではないかとその日はとても落ち込んだ(その後は夫と交互に励まし役とお風呂入れる役を務め、大きな問題なく入浴を行えている)。
父方の祖母が約1カ月半の入院を終え、無事に退院することができた。娘の動画を見て喜んでくれているそうで嬉しい。早く会わせたい。

退院後5週間目~今日

天気の悪い日が続く。
内祝いの手続きが一通り済み、ほっと一安心。
今日は助産師さん訪問があり、順調に成長していることを確認してもらった。娘が新生児微笑のときに「えへっえへっ」と声をたてて笑うことがあることを伝えたところ、「今はいろいろな声を出せて楽しい時期。何でも新しい刺激だから、色々スキンシップを取って遊んであげて」と言われた。とても印象に残る言葉だ。そうか、泣き方や声の出し方にバリエーションが出てきたのは、いろいろできるようになって楽しいからなんだね。子育てを始めてからずっと、赤ちゃんの身になって想像することの大切さと難しさを感じている。どうしても自分本位なお世話・作業になってしまうことが多く反省。一緒に成長していこうね。
産後整体にも行くことができた。腰や恥骨の痛みは妊娠・出産の影響で腹筋が離れてしまっているためであり、腹式呼吸を用いたトレーニングやひざを開閉するトレーニングが重要であること、座り方や立ち方、寝返りの仕方を工夫することで膝や腰の痛みを抑えられる(立つ・座るときは両足を前後に開き、後ろ側の足を折り曲げてから行う。寝返りは膝を立て、腰を一度浮かして横に倒す。)こと、恥骨の痛みは足の内側の筋肉をほぐすことで緩和できることを知ることができた。毎日少しずつやっていこう。
母方の祖母の具合がよくないらしい。あと何回娘と会わせられるだろうか。なんとなく周りの家族はずっと元気でいてくれるという無責任な感覚があったが、私が歳を取るようにみんな歳を取っていく。月並みだが、長生きしてほしいし、身勝手ながら今になってもっと孝行しておけばよかったと感じる。改めて両親や家族を大切にしたい。仕事をしているといっぱいいっぱいになってしまって、なかなか余裕が無くなってしまうのが常なのだが。

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