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シリコンバレーはもう古い?変わるスタートアップの地政学(PART3)

:(日経ビジネスより)米国の産業地図が大きく塗り替えられようとしている。シリコンバレーから企業や人材、マネーが抜け出し、テキサスやアリゾナなどの内陸部で化学反応を起こしつつある。その結果生まれるのが、EVやエネルギーなどの新たな集積地だ。一方のシリコンバレーも、各地の構造変化を加速させる役割を強めている。米国、さらには中国やアジアの現場から、スタートアップ企業の新たな生態系を探る。
(写真=Stefania Ziantoni/EyeEm/Getty Images、Yevhen Lahunov/Getty Images)
※ニューヨーク支局 池松 由香、シリコンバレー支局 市嶋 洋平、上海支局 広岡 延隆 

2021.8.27 PART3▶シリコンバレー2.0
「広域・分散」という進化

シリコンバレーはこのまま沈んでしまうのか。答えはそう単純ではない。リスクマネーと最先端エンジニアの「ハブ」として、求心力はむしろ広がっている。一極集中から広域・分散へ。生態系は静かに進化を遂げつつある。

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「コロナ禍でシリコンバレーに起こったのは衰退ではない。広域化だ」──。シリコンバレーでビジネスや投資に取り組む多くの関係者は、コロナ禍以降の変化についてこう表現する。

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PART2で見た米リンクトインによるシリコンバレーから他の都市への移転データはそれを裏付ける。テキサス州やコロラド州といった遠方だけではなく、カリフォルニア州の州都サクラメントやネバダ州リノといった近隣にも人材が移っているのだ。ワインの有名産地ナパバレーや全米屈指のリゾート地であるタホ湖も近いエリアだ。

サクラメントはシリコンバレー北側のサンフランシスコ市内から車で北東に約1時間、リノはさらに北東に約2時間のところにある。月に数回であれば、シリコンバレーのオフィスに来ることは難しくない距離だ。

グーグル親会社、学長が会長に
こうした人材や企業の流動化は、今後も続くだろう。それでも簡単には揺るぎそうにないのが、シリコンバレーのエコシステムだ。

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スタートアップを中心に、アカデミア、テクノロジー大手、そしてベンチャーキャピタル(VC)や個人投資家などの資金の出し手が、カネや人、ノウハウを提供し支援している。スタートアップの上場などによる利益がその見返りだ。弁護士などの専門家もスタートアップや起業を支援する。同じ地域に一極集中するこれらの機能や人材が有機的につながり、次々に成長企業やイノベーションを生み出してきた。

 人材の流動性も高い。最も特徴的なのは、大学などアカデミアと企業の垣根が極めて低いことだ。例えば米グーグルの親会社である米アルファベットは、2018年に退任したエリック・シュミット前会長の後任として、前スタンフォード大学学長のジョン・ヘネシー氏を迎えた。スタンフォード大はグーグルの共同創業者、ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリンの両氏の出身校で、シリコンバレーのエコシステムを人材面から支えている。

 この世界屈指のエコシステムには、コロナ禍においても膨張し続けるマネーが流れ込んできている。世界のVC投資のおよそ半分が米国、そしてその4割がシリコンバレーという状況は変わっていない。アフターコロナのデジタル化を支援する銘柄への投資で、21年第1四半期は大きく伸びている。

 この強固なエコシステムを最大限に活用しようと、スタートアップや起業家が海外からも次々に集まってくる。 その一社が、フィンランドのヘルスケアスタートアップのオーラヘルスだ。同社は13年にフィンランドのノキアのエンジニアらが設立し、指輪型のヘルスケアデバイスを開発していた。従来はフィンランドや英国のVCからの投資を受けていたが、19年にシリコンバレーにオフィスを構え米国での活動を本格化させた。

 そして21年5月には100億円以上の投資ラウンドを成功させたのだ。主要投資家の7者のうち1者がシリコンバレー、2者がカリフォルニア州ロサンゼルスのVCだ。シリコンバレーに本拠を構えるクラウドサービス大手、米セールスフォース・ドットコムのマーク・ベニオフCEO(最高経営責任者)も参加している。

勝ち組は張り続ける
20年12月、IT(情報技術)大手の米ヒューレット・パッカード・エンタープライズ(HPE)が、シリコンバレーのサンノゼからテキサス州に本拠を移転するとのニュースは驚きを持って迎えられた。HPEはシリコンバレーの源流を作った米ヒューレット・パッカードから分離した企業であるからだ。

この出来事には2つの側面がある。一つは税制面で有利で安価で優秀な人材も確保できるテキサスの優位性。もう一つが、シリコンバレーのエコシステムからの脱落である。「グーグルなどのテクノロジー大手とHPEを比べた時、どちらが勝ち組か。テクノロジー大手はシリコンバレーに投資し続けている」。スタンフォード大学アジア太平洋研究所日本研究プログラムのリサーチスカラーの櫛田健児氏は、こう指摘する。

その象徴が、コロナ禍においてもシリコンバレーのあちこちで工事が進む巨大な建築物だ。例えば、グーグルは本社地区に東京ドームのような巨大なオフィスを複数建設中だ。エネルギーに配慮した設計で、近隣の住民が利用できるオープンスペースも設ける。

グーグルは21年に米国内のオフィスやデータセンターに70億ドル(約7600億円)を投じる計画。ジョージア州アトランタやワシントン、ニューヨークなどでも拠点を拡張するが、10億ドル超を投資するカリフォルニア州が今後も中核拠点であり続けることに変わりない。フェイスブックもサン・マイクロシステムズの旧本社を利用していたが手狭になり、道を挟んだエリアに巨大な新本社エリアをオープンさせている。

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これらの「勝ち組」がシリコンバレーに投資を続けるのは、依然として多様な人材のプールがあることが大きい。

 今年5月、グーグルのマネジャーという幹部ポジションを捨て、前述のフィンランド発のスタートアップ、オーラヘルスにある日本人が移籍した。熊谷芳太郎氏はシリコンバレーに長年居住し、ヘルスケアデバイスを開発する米フィットビットの起業に参加。グーグルが21年1月にフィットビットの買収を完了したことで、同部門の幹部を務めていた。

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GAFに対抗する人材獲得戦略
 熊谷氏は「シリコンバレーではヘルスケアデバイスのアプリのユーザーインターフェースが得意な優秀なエンジニアもすぐに見つけることができる。これは米国のほかのエリアではあり得ない」と説明する。もちろん熊谷氏自身もシリコンバレーの人材プールの一人と言えるだろう。

 一方、テクノロジー大手やオーラのように上場で大きな利益を手にできそうな一部のスタートアップから目を移すと、シリコンバレーで生き延びるためには知恵が必要になってくることも確かだ。人材獲得でシリコンバレーに本拠を置くGAF(グーグル、アップル、フェイスブック)の好待遇に対抗していく必要があるからだ。

 ビッグデータ活用のプラットフォームサービスを手掛け、シリコンバレーに本拠を置く米トレジャーデータの太田一樹CEOは「スタートアップにとって、シリコンバレーではエンジニアの採用は非常に高価な投資であり、生きるか死ぬかのバーンレート(資金燃焼率)に影響する。このためシリコンバレーのソフトウエアスタートアップではこの4~5年、エンジニアをリモートで雇うようになってきている」と指摘する。

 日立製作所が1兆円を投じ、今年7月に買収を完了したデジタルサービス開発会社、米グローバルロジックも工夫を凝らす。本拠はシリコンバレーだが、世界の様々な地域で現地の大学とパートナーシップを組んで才能を育てているという。

 「実際にそれぞれの地域で先進的かつ革新的な人材を獲得できている。多くの大学は研究所を持っているが、そこに当社の人材を送り込んでいる」(同社のシャシャンク・サマントCEO)

 もっともコロナ禍でシリコンバレーのエコシステムにも変化が生じ始めている。これまでシリコンバレーのVCは、創業者が近くにいて、時々会えるスタートアップに対して重点的に投資をしてきたといわれる。アーリーステージのスタートアップへの投資は、おのずとシリコンバレーやその周辺が中心となる。

 米エバーノート創業者で、ビデオ会議サービスを開発する米mmhmm(ンーフー)などを設立したフィル・リービン氏は、VCの投資方針が変わりつつあると指摘する。1年余りで130億円以上の資金を集めたが、「一度も人に会わずにZoomだけで投資を決めた」(リービン氏)。さらにこう続ける。「シリコンバレーのVCが域外のスタートアップや起業家に投資することが多くなった。とてもいい傾向だ。これでも十分ではなく、さらに多くの機会が世界の有能な起業家に与えられるべきだ」

 VC業界にも変化が起こっている。「有望案件で、シリコンバレーのトップVCの数社が関与する割合が今まで以上に増えている。VC側は、これまで以上にインナーサークルで案件を紹介し合っているのだろう」。米暗号資産交換所のコインベース・グローバルなどへの投資を成功させたシリコンバレーの日系VC、Sozo Venturesの共同創業者である中村幸一郎氏はこう指摘する。

世界の「ハブ」へ
フィンランドからシリコンバレーに来て、巨額調達に成功したオーラヘルスの事例からも分かるように、シリコンバレーが世界中の資金や人材を集める「ハブ」としての色彩を強めている。そしてPART1で見たように、テキサスやコロラドなど米国の他のエリアにおける新たな産業の勃興や既存産業のデジタル化とイノベーションを後押しし始めている。

一極集中から分散・多様化モデルへと進化しながら、新しいエコシステムが形成されつつあるシリコンバレー。その姿は、米国全体のエコシステムの強靱(きょうじん)化にほかならない。

コロナ禍を機に一変したスタートアップを巡る生態系と、デジタルとものづくりの化学反応がもたらす新たな産業集積の萌芽。これらは何も、米国だけで起きているわけではない。PART4では、中国のスタートアップ生態系の変化と、テック分野における米中対立が世界全体にどのようなインパクトを与えようとしているかを見ていく。

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※参照 『それでもシリコンバレーは世界の中心 100億円調達した北欧企業』(8月26日)として配信済み記事

スタンフォード大学アジア太平洋研究所
日本研究プログラムリサーチスカラー櫛田健児氏に聞く
日本は「次のテスラ」を見逃すな

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シリコンバレーは生活コストが高いために居続けることができない人が押し出されるなど、社会として見れば不健全な面があることは確かだ。ただ、新しい価値を生み出すエンジンとしては世界屈指で、それが大成功した。

 そうしたなかで、日本企業のシリコンバレー活用は最近になってようやくうまくいくようになってきた。社長など本社の経営陣としっかりとしたパイプを持った人が赴任してきている。表面的な調査で終わらせず、スタートアップ企業とのPoC(概念実証)に取り組むケースが増えている。

 日本企業の長所は長期的に物事を見ることができることだ。シリコンバレーでも1~2年で成果が出ないからといって撤退するのではなく、長期で構えるべきだろう。宝箱はすぐには見つからない。

 まずは“利き腕”のメインビジネスでシリコンバレーを活用して効率を上げていくのか、それとも新しいビジネスを立ち上げようとするのか。そのどちらを戦略の軸にするのかを明確にする必要がある。メインビジネスは本社とのやり取りが増えて調整が大変だし、新規の場合は大きくするまでに相当な時間がかかる。

 シリコンバレーのスタートアップとうまくいっている日本企業に共通するのは、パートナーと対等に付き合って、必要に応じて自らのリソースを提供している点だ。自動車メーカーであれば、スタートアップにはない実験用のプロトタイプを提供するといったことだ。

 いずれにしても、日本で「シリコンバレーの時代は終わった」という見方が少しでもあると危険ではないか。日本の自動車メーカーだけでなくビジネス界がテスラの躍進やビジネスモデルの先進性を見落としていたように、シリコンバレーから次に起こるディスラプションの波を見落とすことになる。(談)

日経ビジネス2021年8月30日号 36~39ページより

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