012_好きなこと

多動症は昔から。 #ミニマリストの好きなこと・趣味

ボクは、ミニマリストにしては多趣味だし、好きなことも多い方だと思う。
それは今に始まったことではない。なんなら昔からずっと多趣味で多動症だった。

それこそ、大学生の頃はサーフィンやスノボをしつつ、写真や動画編集にも手を出し、彫金やTシャツのシルクスクリーンプリントなんかもやってみたり。
部屋改装にはまってみたり、読書も映画鑑賞も好きだった。
(ちなみに室内は今とは対極で、整頓はされていたけど、モノは山ほどあった)

当時はそんな多趣味で薄っぺらな自分が好きじゃなかった。

何にでも興味をもって、やってみるくせに長続きしない。
何一つ胸を張って、「これができます」と言えることがない。
情熱はあるのに、それが空回りし続けている感覚。
そんな矛盾した葛藤の中で、それでも目の前にある好きなことにと飛びつき続けてきた。

好奇心と向上心と行動力。

今思えば、この3つが当時のボクを形作るキーワードだったように思う。

それからずいぶんと時が流れ、気がつくとボクはミニマリストになっていた。
でも、いま振り返ると、その雑多で雑食だったボクの多趣味が、現在の自分の大切な基礎となっていると感じている。

例えば、部屋改装は全く真逆のミニマリズムへと振り切っているけど、「ビジネスホテルみたいな部屋をつくる」というコンセプトや、そのための家具選びの根底は「居心地の良い部屋に住みたい」という同じ考えに基づいている。

さすがにTシャツ作りや彫金はやめてしまったけど、何かを創るのが好きだという根本的欲求は今の仕事に生きている。
カメラや動画編集はそのまま今の仕事に直結した。

読書も映画鑑賞も、その積み重ねは、実は膨大な記憶と記録になって心の中にある。
エンタメの根幹として、何か新しいことを発想したり、生み出していく部分の糧となり、公私を問わずボクのアイディアの源泉となっているはずだ。

スノボは意外と細く長く続いている。
今シーズンも1回くらいは雪山に行けそうだ。
毎年のように行くメンバーが変わっているのも面白い。
年齢、性別を問わず、スノボひとつが仲間内の共通言語になるのは楽しい。

サーフィンはさすがにもう8年近く行けてないけど、個人的には辞めたとは思っていない。
サーフィンカルチャーは今でも大好きだし、どこかで仕事に絡めたいという思いは強い。
何より、あの雄大な海の中でポツンと孤独を感じながら波に揺られ、自然の強さと怖さを学んだ日々は、いつか必ず取り戻したい記憶だ。
燃えるような夕日の下で、圧倒的に美しい波に乗る。
それだけでボクの人生は最高のものになる。

でも、これだけの膨大な経験が仕事に結びつき始めたのはここ数年だ。
自分の血肉になるには、それくらい時間がかかるということだろう。

日々の食事が明日のボクらのカラダをつくるように、これまで積み重ねてきた好きなモノや趣味でしか、今の自分は創れない。
だから、使い古された言葉だけど、「決して無駄なものなんてない」のだ。

今は社会人バスケにどっぷりハマっている。
もちろん、カラダのキレやジャンプ力、ダッシュの速度なんかは現役最高時とは比べるべくもない。
人は必ず衰えるし、何よりあの頃の練習量をいま毎日行うのは不可能だ。

でも、30歳の頃に12年ぶりくらいにバスケを再開した当時に比べたら、ボクは確実に上手くなっている。
アウトサイドシュートの精度、ゲーム展開の読みや、コートを俯瞰できる広い視野、守備バランスの取り方と狙い所の判断…いままで若さと勢いでねじ伏せてきた部分が、どんどん伸びてくる。
だから、若い奴に個で勝てなくても、チームでは勝てる。
そうすると、また新しいバスケの魅力が発見できる。

人生は常に、新しいことを学び続ける実験場なのだ。

20代や、30代前半のみなさんへ。

もし今、やりたいことが見つからない。
もしくは、やりたいことだらけで全てが薄っぺらく感じてしまう。
そんな思いを抱いているなら、焦らなくていい。
むしろ、そんな自分を受け入れてあげよう。

やりたいことが見つからないなら、誰かのやりたいことを少し手伝ってみるのはどうだろう?
その内容には興味がなくても、その人に興味が持てるなら、それは新しい世界を開いてくれる。

ボランティアでも、バイトでも、コミュニテイ活動でも良い。
やりたいことかどうかは、あとから考えたらいい。
興味を持つのもあとでいい。
ただ、今日を変えるためだけの直感的な行動で構わない。
すぐに辞めても、自分を責めず、切り替えてまた別のこと(人)を探せばいい。
そのなんでもない日々の変化が、新しい自分を創ってる。

やりたいことだらけで、薄っぺらに思えるなら、その薄さを積み重ねて厚みを出せばいい。
知識としてなんでも知っている、という以上に、ほんの少しでも経験したことがある、というのは価値がある。
そして、そのうちではあるけど、何かひとつを突き詰め続けることと同じくらいの力を持つようになる。

ボクはどうあがいても、イチローやカズにはなれない。
野球やサッカーだけでなく、もっともっとやりたいことがあるからだ。
でも、気にしなくていい。
むしろ、イチローやカズみたいなプロの方がレアなのだから。

SNSをみていると、さもその道のプロのように振る舞う人がいる。
魅せ方のうまい人だ。
でも、だからって、その人にボクらの薄さを否定できる理由はない。
その人だって、イチローやカズが積み重ねてきたものに比べたら十分薄っぺらいのだから。

薄っぺらいななかで、少しでも厚みを増せばいい。
そのためには、片っ端からトライする。
ただそれだけだ。

いくつになっても、人は成長を続けることができる。

それは、仕事でも、プライベートでも同じ。

ボク自身、いまでも、好きなこともや趣味が山ほどある。
それをまた積み重ねて、変化する。
10年後の自分を想像することすらできないくらいに。

そのためにも、好奇心と向上心と行動力。この3つだけは、いつまでも色褪せずに持ち続けたい。

未来の自分が、いまよりさらに、魅力的であるために、今を生きよう。
人生の本質を探すのは、それからでいい。


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