期間限定の鮮明な世界で生きていた

昨年の冬、私は山に欲情していた。散歩中、山を見ていたら、急に山並みのラインがセクシーに見えたのである。「山がエロい」と周りの人に度々言っていた。
数ヶ月後、山に欲情することはなくなり、深い鬱に沈んだ。

カウンセリングで、世界が鮮明に見えることがあるという話をした。するとカウンセラーさんはそれは軽躁だねと言った。
山がセクシーに見えるのは、本当に山がセクシーなのではなく、私が軽躁だったからだった。
そういう時、脳はものすごい情報処理をしているらしい。休息が必要なのに、疲れ知らずで走ってしまう。そうやって、軽躁の後には鬱が来る。

私は、非常に困った。

私は当時、山にハマって山のモチーフばかり使って作品を作っていた。軽躁状態になるということは、世界が鮮明に見えるぐらい感受性が高まるということである。制作にはもってこいの状態だ。

でも私は現在、治療をして軽躁を抑えることを選んだ。その理由は今度書こうと思う。
治療を始めてわかったことがある。軽躁の感受性がなくても、私はワクワクすることもできるし、ドキドキすることもできる。全ての感受性が失われるわけではないのだ。その対象は違っていたとしても、激しさが違っていたとしても、今は、様々な視点で物事を捉える安定を手に入れることができたと思う。そして、何よりも鬱に沈む時間が減って、作品に勢いだけではなく、継続して向き合うことができるようになったと思う。

でも、いつかまたセクシーな山を見たい。そういう気持ちは常にある。

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