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火葬場で

火葬場でのことも書き留めておきたい。

正直、今まで祖父母や親戚のどの葬式でも、心から泣いたことはなかった。
泣いてる人がいて、つられ泣きというのは時々あっても、本当の意味で親しい人の死に立ち会ったことがなかったので、どこか俯瞰というか冷めた感情だった。

しかし、火葬場で焼かれて運ばれてきた父の骨を見た時、あぁ、人一人を葬るとはこういうことなのだと改めて思い知った。
姉も私も、涙が止めどなく流れた。

人が亡くなり、それを受け入れること。
それは、決してショートカットできない。

ゆっくりと、しかし確実に、活動を停止し、徐々に人の形ではなくなるということ。
痩せ細って、食べなくなり、即身仏のような身体になり、息を引き取る。

通夜、告別式の為に2日安置された後、最期は骨と灰になり、それを骨壷に収める。
この一連の流れ全てを実体験し、目に焼き付けることが、見送る家族の役目であり、生者の為のふんぎりの儀式なのだ。

どの過程も一瞬も目を背けることなく最前列で見届ける。
すると次第に、家族も参列者も、悲しみに支配された心がさざ波が引くように静まっていく。
極楽浄土に思いを馳せることにより、死者のあの世での幸せを祈る。
本当の葬式とはこういうことだったのか。

こんなことを考えつつ、骨壷を抱きながら火葬場から出てきた。
先に帰る伯父と伯母を見送ろうとしたら、一匹の紋黄蝶がまとわりつくように飛んできた。

あぁ、お父さんは紋黄蝶に生まれ変わったのか。
見送りを欠かさない律儀な人だった。
兄妹の中でも1番身近で、常に心配し世話してくれたすぐ下の妹である伯母を見送りたくて、こうして飛んできたのだろう。
そう感じずにはいられない、胸に残る風景だった。



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