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走り出したら止められない

鹿児島空港に着くと、姉の夫と姪、最近飼い始めた仔猫が迎えにきてくれていた。

空港から病院に直行したが、特殊な病棟で県外からの面会には検温や細かいチェック項目があり、コロナの厳戒態勢を思い知った。

私が予定を後ろ倒しにした訳は、コロナ禍の病院の面会規定があった。
まず、一般病棟の場合は面会謝絶。
妻だろうと会いには行けない。

緩和ケア病棟は最期を迎えるにあたり、特定の5名の面会が許された。
万が一、院内クラスターなど起きた場合に備え、追えるのがその人数なのだそう。
一旦、面会登録すると変更もできないということだった。

緩和ケアでも、最初に入った大部屋の規定では、ごく僅かな面会だけだった。
一日1回15 分、同時に入室できるのは2人までという短さだった。

既に母と姉が面会しているので残りは3人の枠になる。
まずは実の娘である私が優先されたのだが、それにしても、一日一組15分とはあまりに短い。
空き次第、なるべく早く個室に移ると聞いていたが、飛行機をとる段ではまだ大部屋だった。

個室に移れば、同時に2人までの15分面会が、入れ代わりでできるということだった。
個室に入るタイミングに合わせた方が、みんながより多く会えるはずだが、飛行機をとった翌日には個室に移動になった。

消毒とフェイスシールドをして病室に入ると、痩せ細り、血の気のない顔で変わり果てた父が寝ていた。
血管も脆すぎて刺さらない為に点滴もやめ、高濃度の酸素吸入マスクだけ口元にはめていた。
殆ど意識がないか、目を開けても視点が定まらないような感じだったが、ひんやりした手を握り、〇〇だよ、分かる?帰ってきたよ。遅くなってごめんね。と話しかけながら涙が溢れた。

やっと会えた安堵、父の手に触れた喜び、2年もの間見舞いや介助も出来なかった後悔、父の衰弱に対する驚き。
色んな想いがこみ上げてきて、看護師さんの目もはばからず、ボロボロ泣いた。

最初の面会を終え、姉の家に着いた。
姪の陸上大会の当番でどうしても外せず、一日炎天下にいたという姉ともやっと再会。

休む間もなく、今度は姉と車に乗りこむ。
夕刻に着いた二人の伯母を駅に迎えに行き、再度病院へ。そのうち、神奈川から来た叔母と二人で
面会に入った。

父には親しくしてる姉妹が3人いた。
すぐ上の姉である宮崎の伯母、
すぐ下の妹である地元鹿児島にいる伯母、
その下の妹の神奈川の伯母。
(本当はあと二人も姉妹がいる6人兄妹なのだが)

伯母間で残る2名の面会枠を譲り合っていたようだが、私や遠方の伯母たちの到着が遅れたので、闘病中も一番心配し絶えず見舞ってくれていた地元の叔母が、その日先に面会したそうだ。

こうして5人の面会枠は埋まった。
GW中に実家に見舞った際、寝込む父と辛うじて会えていた宮崎の叔母が進んで譲ってくれ、面会枠から外れた格好となった。

矍鑠としていつもは勝気な伯母たちも、いつになく穏やかで、場が塞がないよう明るく接してくれたが、父にとって大好きな姉である宮崎の叔母が会えないこと。
そのことも私の中で申し訳なさが膨らみ、胃が痛む思いだった。

伯母たちを宿泊する実家に送り届け、帰宅するとふたりともこの時点で疲れ切っていた。

出発準備と気忙しさで睡眠不足だったこともあり、もう即席ラーメンでも食べて寝たかったが、義兄の図らいで近所の美味しい飲み屋で夕飯になった。

普段から酒は飲まないのだが、酒豪の姉夫婦に飲め飲めと促され、じゃあ一杯だけとサワーを飲んだ。
一同、しばし暗い気持ちを隅に置いて楽しい夕食を済ませ、帰ってほっとしたのも束の間、姉の携帯に病院から連絡が入った。

父がきつさで眠れず、体位を変えたり吸入器もしきりに外そうとしてしまうが、夜間で看護師が少なく、付き添いを頼みたいとのこと。
出た…
やっぱり飲むんじゃなかった…
(続く)

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