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2023年11月17日:雑記:微睡と美しい眠り

夏、適応障害になってから実家に帰ってみた。
だが、実家は疲れた。一人暮らしが長い僕は、他人と生活すると孤独感を感じられず、人と居るとなんだか病んだ感じになってしまう。

実家での療養は3日ほどで諦めた。
夏の暑い時期だった。気温は毎日30度を超えていた。

実家の良いところは田舎すぎて、虫の声と自然しか無い所だった。
2階の窓を開けっぱなしにしても、不審者なんて入ってこない。虫の声に微睡みながら眠る。月は煌々と輝いていて、草木はこそこそ話をしていた。
ぬるい風が、網戸を揺らした。

実家に行くと年老いた父が居て、母が居て、16歳の年老いた猫も居て。僕が2階で鬱々としてくる頃に、一階では父と母がげらげらと笑っている。猫は僕の顔をじっとみて、膝に登って眠っている。

ようは実家にいると、なんだか気が逸れてしまって、きちんと「適応障害」ができなかったのだ。

僕は確実に、実家にいる年老いた両親と猫に癒されて、適応障害が治りかけているのがわかった。治りかけの傷がぐちゅぐちゅしているように。そこに薄皮が張りかけるように、人と一緒に住むことは、人に無駄なことを考えさせない力があるのだなと思った。

今まで1人で悩んでいたことが馬鹿みたいだ。遠くで聞こえる家族の話し声は、僕の悩みを散らした。最初から、僕の悩みなんかどうでも良いことのように、悩みの相談になんか乗って貰わなくても。

ただ遠くで聞こえる両親の話し声、猫がうろうろする姿を見ているだけで、僕の今まで悩んでいたことなんて、どうでも良いことのように思えた。


3日ほど実家にいて、傷が治りかけた僕は、結局すぐ仙台に戻り、1人アパートで療養した。

孤独は僕を癒しもするし、家族は僕も癒しもする。どちらの配分が多くても少なくても、ダメなのだと解った。

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