ダイヤモンドの功罪と平井大橋作品
『ダイヤモンドの功罪』を面白い、と言ってる人たちが、それ以前に同じ世界観で描かれていた平井大橋さんの作品を読んでなさそうだったので、それについて書くよ、という記事。
あと闇堕ち、闇堕ち言ってる層に「言うほど闇に堕ちなくても勝手に期待外れとか言うんじゃねえぞ」みたいな予防線の話。
ダイヤモンドの功罪
『ダイヤモンドの功罪』は、週刊ヤングジャンプで連載開始した野球漫画だ。天賦の才に恵まれた少年が、その才能のために、望まずして大人たちの期待を背負わされ、仲間になりたい子供たちとの間に楔を打ち込むことになっている。
いやもう、素晴らしく酷い! 綾瀬川君を含めて、子供たちの気持ちはみんな分かる。周囲の大人にしたって、大谷翔平が野球をやめるって言いだした時に「キミのやりたいようにやればいいよ」というのが果たして本当に大人として正しい態度なのか、という話なわけで。
(結果、監督の言い分が脅迫まがいになってるのは勿論よくなくて、ちゃんとした大人ならうまく本人のやる気を引き出すべきなんだけど、逆に「あくまで本人の意思で承諾させようとしてるんだけど、綾瀬川くんの意志が固いので、だんだん強硬的になっていく」という微妙なアヤがちゃんと描かれている辺りに、人間観察と描写のパワーがある)
で、その描写の重さから暗黒青春譚を期待されているきらいがあるのだが、どうも過去作を読む限り、そうはならなそうだぞ、というのがこの記事の話になる。
ゴーストライト
かつて開催されたYJ40周年記念のテーマ別漫画賞の、野球漫画賞を2本(!)受賞した、その一方の作品が『ゴーストライト』。
この作品の主人公が、綾瀬川次郎だ。この作品では「東東京代表・雨谷」のエースとして甲子園準優勝になるところから幕を開ける。(『ダイヤモンドの功罪』だとユニフォームの袖に「群馬」の文字が見えるので、この辺で既にパラレルな話ではある)
勿論、キャラが同じだからといって同じ未来になるとは限らない。ただ、少なくとも作者の中にある可能性として、綾瀬川くんはそのまま野球を続けて、強豪校に行って甲子園に出場し、プロ野球選手になって、完全試合まで達成するようになる、というビジョンがあるのは確かだ。
言動の随所に「周りに勝手に期待を背負わされてきた」ことでスレてしまった感じが滲み出ている(正確には『ダイヤモンドの功罪』の描写で、こんなにひねくれた綾瀬川にも素直な子供時代があったんだね、という風に描かれたというべきか)ものの、なんだかんだ才能に見合った色んな重荷を背負い続けながら生きてきたし、これからもそうして生きていけるのだろうなあ、という感じがある。
であるので、この未来を踏まえたら、言うほど暗黒青春譚にはならんだろう、というふうに思うわけである。
ゴーストバッター
前述したYJ40周年記念のテーマ別漫画賞の、野球漫画賞を2本(!)受賞した、もう一方の作品が『ゴーストバッター』だ。
『ゴーストライト』で綾瀬川の好敵手として出てきた大阪金煌のスラッガー・園大和と、施設育ちの少年・武藤寿の奇妙な邂逅を描いた物語。
『ゴーストライト』のラストだけを見れば、あくまでも「マウンドに登れば大和はいますから」という言葉に対するアンサーとしての、青春怪奇譚としての大和の亡霊であったはずだ。
が、同時に投稿された本作では、実際に亡霊として人の体に憑りついて復帰しようとしているわけで、この辺の「味変」感が面白いところである。
可視光線
月例漫画賞を受賞した本作は、綾瀬川くんと同じ世代の球児ふたりを描いた青春譚。ひとりはマウンドで仲間のために戦える親友のほうが本当のエースだと信じ、ひとりは同じ投手として天才の絶対的な投球に憧れている。
多分、テイストとして『ダイヤモンドの功罪』に近いのは、この作品のように思う。天才の眩い光と、それが作り出す濃い影。嫌おうと、憧れようと、無視せずにはいられないし、狂わされずにはいられない。
サインミス
で、この流れだとある意味一番面白いのが、この『サインミス』。
話自体は、野球部の女子マネの恋バナを聞き出そうとするチームメイトと、女子マネの好きな子が自分なんじゃないかと内心でドキドキしてる野球部員のコメディ。単独で見れば普通にカワイイ話である。
が、主人公の野球部員が『可視光線』の桃吾くんで、女子マネにちょっかいかけてるグータラなチームメイトが綾瀬川くんだと分かると、「『ダイヤモンドの功罪』のあの1話の引きから、こんな明るい平凡な青春を送れるようになる未来があるんですか!?」となる。
綾瀬川くん、そんなに不安がらないでいいよ。君の人生、その才能のせいで色々苦労もあるみたいだけど、結構楽しい青春送れるみたいだから。