ネガティブ期あらまし #1

認識変更したる!と決意して最初に取り組んだ事が、「嫌な出来事や辛い過去を思い出し当時の感情をリアルに再生するというドMな癖を捨てまくる」だったので、ネガティブ全振り時代の事はあまり詳細に思い出せないかもしくは感情が伴わないので他人事のような説明になってしまいそうだけども。
認識変更が趣味の自分にとってはどれだけ変わったのかを見るのも楽しみの一つなので思い出せる限りやってみよう。

そいではレツゴー。

自己肯定感低低二世の爆誕

ナチュラル・ボーン・ネガティブ(自称)の基本概念

正直、物心ついてから30代後半まで、ポジティブだった時期などない。
幼少期から30代後半まで途切れる事なくネガティブ期だった。
あの精神状態で40年弱も良くやってたな、と我ながら思う。
ずっとギリギリの所でなんとか耐えていた感じだった。

とはいえ、物心つく頃からすでにネガティブだったわけなので、これが自分であり変えようのないものだと当時疑う事なくそう思っていた。
そういう風に生まれたのだからそう生きる運命なんだ、みたいな。
ここ↑、ずーっと勘違いしていたところ。
覚えてる中での一番古い記憶を遡ってもそこにいるのはネガティブな自分だったため、「すなわち自分は生まれた時からネガティブだったんだ」という認識に自動的に変換されていた。

実際には「物心つく頃にはネガティブになっていた」というだけで、物心つく前はポジティブでもネガティブでもなくニュートラルだったはず。
だって物心ついてないんだから。笑

そこに気付く事なく、人には「ポジティブで日向を歩く人生」と「ネガティブで日陰を歩く人生」の二通りあって、ナチュラル・ボーン・ネガティブな自分は後者なんだと本気で思っていた。
これは生まれた瞬間から決まっている運命で逃れる事は出来ない、と。

ネガティブゆえのそんな勘違いを炸裂させながら自分で自分を絶望に追い込んでは日々ネガティブを増幅させていた。正に負のスパイラル。
これが日常だった。
んー。なんというか。すごいなあの頃の自分。見事なまでのネガティブ。

受け継がれしネガティブ

それほどまでに強力なネガティブを一体どうやって自分の性質だと思い込むほどまでに刷り込んでいったのか。

それはもう、日々の地道な刷り込みの結果に他ならない。
日々ちょっとずつネガティブをスリスリ刷り込んでいったのだ。

親の一方が生粋のネガティブ思考だったため、生まれた時から身近にネガティブと触れ合ってきた。
この親による関わりは全てネガティブを介して行われる。
その親の持つネガティブと、自分の天性のピュアさと言われた事を真に受け止める根の真面目さと素直さ。あと優しさ。(※現自分評価)
これが見事なマッチングを生み、奇跡のネガティブエリートとなっていった。
ネガティブネイティブとして育つには充分な環境だったのだ。

詳しいエピソードまで書く必要性を感じないのでそこは別にいっかなーと思う。
なのでどんな接し方をされていたかを大まかに説明すると、

  • 家族にはどんな酷い扱いや言動をしてもいい。身内だから。という謎持論を暗黙の了解という前提で振りかざされる。

  • 出来ない時はもれなく辛辣に責められ、優越感を得る機会として利用される。

  • 自身の非を認める事はとんでもない恐怖のため、そういう風向きを察知したらその恐怖の大きさに比例した分の攻撃を行い自己防衛をしてくる。そのための手段は問わない。相手を徹底的に叩きのめす事しか見えなくなる。

  • しかしどんな暴言をしたかなどはすぐに忘れるため機嫌よく話かけてきたりもするが、意外な所に地雷があるため豹変も充分あり得る。

  • 外で嫌な事があった日(ほぼ毎日)は家に帰りロックオンした家族の粗をどうにかこうにか捏造してでも見つけだし怒鳴り散らす等して盛大に発散する。

そんな感じの関わられ方が日常だった。
当時は分からなかったけど、これは明らかに自己肯定感が低い人のそれだ。
そうか、この親は自己肯定感が低かったのか。
改めて実感した。
これは認識変更のしがいがありそうだ。

それはさておき、そんな親の自己肯定感のなさを埋めるために利用された人間は自己肯定感の低いネガティブ人間として育つ。
こうしてネガティブは継承され、自己肯定感低低二世の爆誕と相なったのだ。


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