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切迫流産、そして、緊急搬送

こんにちは!!!



モノ作り一時中断中のcre8 for u 子育て、マタニティ記録の84です。



今回は、緊急搬送された時の様子をお伝えします。

私が搬送された時は21週と4日。切迫流産期間です。


妊娠〜妊娠22週までが切迫流産。

妊娠22週〜36週のお産を早産と言います。早産になりかけている状態を切迫早産と呼びます。

妊娠21週と22週だと呼び方が変わります。



通っていた産婦人科クリニックで、頸管長を見た先生の顔が引き攣り始めてから、誠実な先生が自ら病院に電話かけてくれ、受け入れ先を手配してくださいました。

私は、この間に、先ずは主人に切迫流産と搬送について説明(家に帰れずそのまま救急搬送)すると、


??????????????と先ずメールが返ってきました。

そりゃ、そうですよね〜。笑。


ふらふら〜っと6ヶ月検診に行き、いきなりもう帰れないかも・・・といきなり言われたらね。(検診待ち時間お昼御飯何食べる〜?なんてメールでやりとりしてたので)

電話をかけれるタイミングがきて、主人に電話をかけても・・・

まだ理解不能・・・な様子。


私自身も何故搬送されるかイマイチ把握できておらず、主人にもきちんとした説明が出来ませんね。

とりあえず、一番の心配ゴトでもある3歳の子どもの預かり先。コロナ中でも保育園受け入れしてもらえた事だけとりあえず主人に伝達してと。



搬送先は、都内の提携の3病院(私立大学病院TとK、国立病院K)の中で、(病院によっても提携先、搬送先は異なります)

ダブルK(私立Kと国立K)は、東京の中でも、新型コロナ患者が多数搬送されているのをニュースで見ていたので、受け入れ拒否で逆にこちらが安堵しました。感染病棟と産科病棟は違うとはいえども、精神的に不安だったので。


最後に受け入れしてくださったT病院に搬送決定。総合周産期母子医療センターもあり、MFICU、NICU、GCUあるので、とりあえずプロフェッショナル集団もいますしね。



救急車が病院に到着して、不安が募り出す。

大丈夫、大丈夫!!!!!!検査だけと自分に必死に心の中で言い聞かせながら、移動。

助産師さん(子供の事も相談していた方)も一緒に同乗同行してくれて、励ましのお言葉、不安がらないように声を常にかけてくれてました。



大学病院に着いて病室の前に来たら、同行してくださった助産師さんが

”私は、ここで病室には入ったらお話出来ない規定なので・・・”と告げられ、知らない場所、今後どうなるかわからない状況、子供のこと、知っている人が居ない寂しさ、一気に不安が押し寄せてきて、涙が止まりませんでした。(きっと病室に入ると勤務規定が変わりアドバイスや助言は出来ないのでしょうね)

同行した助産師さんが背中をさすってくれて、励ましてくれればくれる程、不安倍増・・・・・・たったの数時間前からの仲でも、唯一顔見知りの助産師さんが帰ってしまう事で、取り残された感、不安に苛まれました・・・私を置いていかないで〜〜〜〜〜〜〜〜バリに:(;゙゚'ω゚'):・・・・

久々に自分事で泣きました!(妊娠中のホルモンバランスの崩れも大いに関係あり?)



個室へ入り、重々しい重装備の中、看護師、先生が登場。

しょっぱなから、私は完全にコロナ扱い・・・・・個室から出る事は許されず、(病院としては感染を未然に防ぐ最低限の対応なのでしょうがないですね)

新型コロナのPCR検査をして、その検査待ちが9時間・・・。

とりあえず、私の救急搬送はここまで。



この後の、入院記録はまた別記事で。



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