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依存は恐い?安心?

人は誰しも生まれながら
与えられたものがある。

それは「考える自由」

しかし「依存」が生まれる時、
人は考えることを辞めてしまう。

人生の操縦席を、手綱を
上に明け渡しているからだ。

自分が亡いから
自分の頭で考えられない...

そして、自分を下に置く。

精神の自由が奪われることは
とても恐ろしいと私は思う。

ところが、面白いことに

依存は、他者にとっては
安心感であることもある。

この世界は
二つに分かれている。

だから「二つのもの」と提示された時
各々が感じる方を決めていいのだ。

「考える自由」が万人に与えられている。

だから、何を選ぶか
どこにフォーカスをするのか

「選択と行動」は自由でいい!

打ちたい人は打てばいい!

何人たりとも
人から自由を奪う権利はないし、

自らの意志で選ぶ権利がある❗️


しかし、
権威の先生やらフォロワー○万やら肩書やら
見せかけの情報から明け渡し、隷従し

備わった自由意志を放棄する
本来のデザインから外れていく

「依存」に自分は恐怖を感じる。

自分の頭で考えない言いなりは
自由ではないからだ。

流される方がラクで
指示待ちが安心なら止めないけど

そんなの自分の人生ではない❗️

「何事も己に決定権があるということ」
ここを認識できていない人が多すぎる。

着せられた刷り込みから脱皮し
自由意志を掴み直す必要がある。

これ以上、他人の都合に

振り回されなくていいし
もう縛られなくていい。

窮屈な思いをしなくていいのだ。

「優れた者」など
どこにも存在しない。

たとえどんなに他よりも
10倍も100倍も勝る力を持った
まぶしい誰かが居たとしても

委ねてはならない。

間違えず生きられる者など
どこにも居ないのだから。

大きくてまぶしい存在を
信じて頼るのは楽なこと。

自分で決めるのは、
自由で過酷な道。


だからこそ、
自分が皆にシェアしたいものは、

「考えるきっかけ(考材)」だ。

「己の意志で決めること」
「自ら世界をつくること」


心の自由を取り戻すきっかけを
惜しみなくシェアしていきたい。

自由とは「責任ある選択」

与えられたレールを
受け身で歩むのではなく

自分の心に問いかけ
その答えを生きる

それが「人生の経営者」


決めてきたはず、思い出せ!
舵は自分で取れるのだと...


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