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未知の智

誰もが自分の内側に
答えを持っている。

自分自身が全てを知っている。

しかし、
自分が何を知っているのか...

自分自身では知り得ない。

即ち「智の無知」だ。

自分の内側に何が有るかを
思い出すために学ぶ必要がある。

無い足すために学ぶのではなく、
有る知るために学ぶのだ。

世代が下るほど
そういう学び方になると見立てている。

若くても多少は埃を被ったり

画一教育の全身ギプスで
ガチガチだったりするが、

心を肥やし土壌を耕せば
思い出す事にそう時間は要さない。

自分の場合は、

身魂は「平成」生まれで
舞台は「令和」だけど

生まれ育った家庭や教育等
環境は「昭和」だ。

独立当初は、

体験したことのない
「未知の領域」なのに、

成功するための情報を熟知しバイトもままならないのに、店長研修をこなしたり(笑)
成し遂げることも多々あった。

この「未知の知」体験は
とっても不思議だった。

しかし、失敗した時も

なんでそうなったのかが
わからないことが悩みの種だった。

身に起こったことの本質を思い出し
分かち合うための学びの旅が始まった、

その原点は「智の無知」にある。

自分の魂が何を知っているかを
自分の頭では殆ど知らない

知るために、学ぶために、シェアするために
人生の長い旅が始まった、22歳の時のこと。

自分は何も知らないと
自覚する「無知の知」

何を知っているのか
知らない「智の無知」

何も知らないのに
熟知する「未知の智」

ちなみに「あめと無知」もある(笑)

自分の中にわだかまっていた疑問を
一気に吹き飛ばしてくれたのは「∞」

マンダラ、マントラ、萃点...

そうした世界を開示してくれ、
強烈な起爆力で心を鷲掴みにし、

一挙に解放してくれた、25歳の時のこと。

意志を以てつくる自分
出逢いを以てつくられる自分


偶然ではない出逢いと別れに導かれる度に
いのちに潜在する自分を思い出していった。

「自分探しの旅」とよく言うが、

「本当の自分」とは、
そもそも探すものに非ず。

インドに行こうが
占い師に告げられようが
世界の頂きまで果てまで行こうが、

外に求める心が止まない限り、
真の自分はそこにいない。

もしも真我に出逢えたのなら、

それはそもそも...
本当の自分が旅をしていただけ...

はじめから足元に答えがあった
ただそれだけのことに気づくために

ずいぶんと遠回りするものだが、

隣の青芝へふらっと心の寄り道し
グルッと大きく一周まわらないと

自分の足元に何があったのか
気付かないのも、また真実なり。

全知全能なのに
無知無能な源が

自分自身を思い出すために

その完全調和を自発的に破り
自身に似せて人間を造り

人が地球で分離と統合を体験し
宇宙の愛を知るプロセスと相似形なり。

何事も分離を経て
再統合することに意味がある。

身近な例えに置き換えると、

駅で財布を落としても、それが
忘れ物お預かりコーナーlost & found」で見つかると

涙があふれるほど感動し
全てのことに感謝したくなるようなもの。

有る → 失う → 再発見する → 感動する

人はgetより”lost & found”で胸が熱くなる。

自分もまだ「出逢いなおしの旅」の途中!

To be continued...

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