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「共同創造」の時代の幕開け

これからのルール(型)は、

誰か特定の一人のリーダーに
何らかのインスピレーションが
おりるわけではないということ

それが、大前提にある。

その場に集まる人々でまず対話し

それぞれピースを持ち寄り合い
そこに意識の動きが生まれ

皆でインスピレーションを作り出す

これが次のスタンダードとなる。

従って、
これまで天が行ってきたように

何か必要なメッセージを特定個人を介し
その場に落とすということではなく

多くの人々が集まり、

それぞれの意識の中で共振し
響き合い混じり合った結果、

ひとつのインスピレーションが
その場に生み出されるという形になる。

集まる一人ひとりが
インスピレーターインスピレーションの源泉になるのだ。

もちろんこの共同創造には

一人一人が源と繋がり
自律している必要がある。

人は”ソロ”の時は
天から情報を受け取るが、

集まり同じものを共有する
即興”バンド”のような場では、

天からではなく
人々の間から新しいものが生まれる。

これは、これまでと全く違った「型」スタイル

※ ソロもバンドも愉しめる時代だが
ソロができないとバンドも組めない

これまで地球のルールで現実を図り、
思考によって社会を運営してきたが、

その筋道がこれからは変わるということ。

よって、これからその
新たな型を人々が学んでいく必要がある。

傑出した特定個人が
天啓を受け取るのではなく、

皆で持ち寄る
「共同創造」の時代の幕開けだ。

皆の中から生まれた
インスピレーションが天に届き

そこから現実化が進んでいく。

縄文は来たままやるだけ
来ているまま動いている

縄文人はやってることが
降りて来ていること

まさに神ながらで分離がない。

現代人は今この

【神代の原点・縄文の大和】
を思い出す必要はあるが、

単に上からおろされたことだけ
そのまま行うならそれは単なる逆戻り。

時計の針を戻す愚を冒してはならない☝️

そもそも「上如き」降りない❗️

「降りる」という分離は
断絶した現代特有の感覚だろう。

縄文は神ながらに
まつりが行われ繁栄し

平和が永く続いた

これは誠に崇高なことであるが
宇宙から観ると退屈でしかない。

アトランティスが
レムリアから分離したのも

創意工夫や向上心に欠けるからだ。

意味あって縄文の地上神国も崩壊し
人間は好き勝手し始めて早”三千年”

「神代還り」する地球では、

縄文のような古く懐かしいものが、
新たな価値を伴って、復活してくる。

それはあたかも螺旋階段を登るように

元の位置に戻ったかに見えて
実は必ず【一段高い位置】に登っている。

分離を経て
【再統合】することに意味がある。

【2回目の縄文時代へ「螺旋的発展」】

要は「全員当事者・創造主」の時代

皆で意見を戦わせ合い
事に当たっては協調するのが

新時代の【共同創造の型(スタイル)】

上からおろされた天啓
それだけをするのではなく

そこに集められたメンバーに
最も意味があり

不思議に引き寄せられたり
来れない人も出たりする

そんな中集まった皆で

談じ合い響き合い
意見を戦わせ合う

天地のインスピレーションだけでなく

人間のアイデアやエネルギーも
一緒に練り上げていくこと

これがインスピレーションを
持ち寄り合うというスタイル

だからこそ

光や力の強いまぶしい
トップだけが引っ張る

それは「旧いカタ」

暮らしの中で心身を磨き

神とも人とも対話し
対等に共同創造できる

これが「新しいカタ」

【神我和道(Dao)】の神髄

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