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「スモールハウス」というローカルユートピア

「シンプル」とか「脱・所有」とか「捨てる」とか…そういったことが日本で囁かれはじめて久しい。だから、持ち物がこんなに少なくても幸せに生きていけるというミニマリストやインフルエンサーの発信に沿って、皆こぞって「手放す」ということを少なからず選択してきたと思う。

それは物が多過ぎる、散らかって困る、収納スペースが足りないという単純な話じゃない。そんなことよりも、物とお金に支配されて心労に耐えない、そんな窮屈に凝り固まった精神を解放したいという、人間性を賭けた切実な要求なのではないだろうか。つまり、身も心も耐荷重量オーバーなのだ。

バックパック一個だけで生きていけたら、どんなに幸せかと思う。荷物をミニマルに、移動を身軽にすれば、ノマドとして海外でも辺境でも地球上どこでも転々と生きていくことができる。自分の価値と価値観次第で、自在にどんな生き方も選び取れるのだ。仕事はiPad一枚で十分できることは、ハワイとのデュアルライフで実証済みだ💡

mana @ Hawaii-kai

だったら、モバイルハウスや軽トラキャンパーで旅するように生活するのもいい。動き回るのに飽きたら、山奥に小さな隠れ家を建てて、そこで生活するのも悪くない。飛行船のゴンドラの中や湖のほとりの小屋、現代的にはキャンピングカーやスモールハウスでもいいが、そんな一部屋か二部屋の空間に、自分が本当に必要なものだけを持ち込んで、そこに自分の秘密基地をつくって暮らしたいとーーー少なくとも子どもの頃にはーーー考えたことはないだろうか。

山奥の小さな隠れ家イメージ

そういうわけで、自分の最近の専らの関心ごとは「スモールハウス」にある! 縁あってモデルハウスを訪れた時、コレだ⚡️と確信した! 自分で小さな家を建てて、その聖域に好きなものを詰め込んで、あとはまぁ日々、庭で採れた大地の恵みを食べていけさえすればそれでいい。そういうスモールでシンプルなライフスタイルを作り出せば、みんなもっと余裕のある暮らしができるはずだ。身軽な方が、色々と試せるし、本当にやりたかったこともできるんじゃないかと思う。

スモールハウス(三日月村のモデルハウス)

キーコンセプトは、家や生活に時間やお金をかけるよりは、なるべく物を持たずシンプルに暮らし、自分がやりたいことをやりたい、誰もが望むように生きれたらいい、そういうところ。

アメリカ西海岸で拡がりを見せる「タイニーハウス・ムーブメント(Simplife)」の日本版とも言える! 今よりもはるかに少ない労働時間で、安心で安全な生活が確保され、浮いた時間で芸術や農業などを好きに楽しむことができる。そんな極めて単純で、魅惑的で、しかも誰でも安価実行可能なアイデア💡

更には、大きな古民家のような開かれた共有の場で関わり合う共同生活を送りながら、その周りにスモールハウス達が寄り集まってみんなで共に暮らせるような小さな楽園を作り出すような「シェア隠居」構想まで夢みている。


「シェア隠居」構想

このあたりまで描いてみたヴィジョンを現実化されるために、さぁ!スモールハウス第一号はどこに建てようか、とハワイや熊野、金閣寺の裏あたりと色々と土地を探していたのに…まさか、こんなにデッカい里山古民家と出逢いなおすことになるとは!28歳(2018年)の時のこと!

ちっちゃな脳で考えつく小粒プランと、魂が決めてきたデザイン(必然=Designed)は、全く異なるんだろうな。ミニマムとは見事に真逆の500坪!江戸時代から代々続く築200年越えの里山古民家!しかも、何より888番地! 自分の小さな拘りは捨てて、魂の計り知れないデザインに聴き従った方がいい。しかし、スモールハウスも諦めたわけではない。図中央のコミュニティセンターから先ずはじめよ!という順序なのかな。ともかくこれは夢想で終わらせるつもりはない。

「Wi-Fiのある縄文時代」のような暮らし

で、仕事は?と雑音が聞こえてくるが、心配ない。iPad一枚で十分な現金収入は得られる。よりAirに、よりminiに、よりProとして磨きをかければ、生きる場所はどこでも自在に選び取れる。現代はさながら「AIと暮らす江戸時代」のようなもの。煩わしい雑事はAIに押し付けてしまえば、各個人が過剰に働かずとも、平和で健康的な生活が満たされており、かつ自由が確保されている「ローカルユートピア」をつくり出すことができる。

転換期の今は、資本主義社会を否定せず逆手にとって、すでに確立された豊かさの仕組みからある程度の恩恵を受けつつ、一方で、自身の消費を抑え、なるべく気ままに暮らす方が賢明だろう。しかし、もうエネルギー的には、資本主義は終わった。この経済社会も時差で立ち行かなくなっていく。だから、お金の価値が薄れゆくにつれ、手放していき、資本主義の終焉を笑いながら見送ろう。

では、どう手放していくのだろうか? それは個人の問題でもあり、社会の問題でもある。この謎解きゲームを解くのは僕たちだ。経済危機がどれだけ眼前に差し迫ったとしても、全てフェイクであるということがヒントだ。お金の価値が軽くなった時、それにしがみつくのか、頼らない新世界を構築するために動いていくのか、どうかこのクイズを解いてほしい。

「夢のマイホーム地獄」に向かって突き進む時代は終わり

だから、メディアからの洗脳を断って「大きなマイホーム持ちが勝ち組だ」という社会的な圧力にさらされるのを止めよう!平穏な暮らしを支えてくれる家が欲しかったのであって、それを支えるために一生を捧げなければならないような家は欲しくはないはずだ。大き過ぎる家は、家というよりは、債務者の監獄だ。

小さな家に暮らす主たる理由は、地球を救うといった壮大なことでもなければ、お金を節約するといった実践的なことでもない。実を言えば、単に大きな家に費やす時間や労力をもちあわせていないだけ。だから、将来アレをするためには、今コレをしなければならない、ローンが払い終わるまであと10数年は動けない、というガチガチに固められた逆算型の「モノレール人生」は、我々の世代で終わらせよう!

「いい大学」を目指して突き進む時代も終わり

僕たち日本人は、成人するまでは横一列で、文科省の定めた義務教育カリキュラムを受ける。その先には「20年勉強して、40年労働して、20年はリタイア生活」という一本道のレールが敷かれている。この硬直した枠組みの中で親たちは、子どもの将来を期待し「いい大学」へ進学させ、将来安心できるような就職先に就けるようにと「進学のための教育」に一生懸命だ。今までの社会通念として「いい大学を出て、いい企業に行き、大きなマイホームで暮らすのが幸せな人生だ!」という神話が根強く信じられてきたからだ。

しかし、「いい大学」を目指さなくてもいい時代になった。もう「いい企業」に入らなくてもいいのだから。家もコンパクト(スマートサイジング)でいい、シンプルイズベストだ。モノレール時代の神話は既に過去の遺物となった。すると、どうだろうか? 頭と家計をパンパンに圧迫する塾や習い事も必要なくなる。簡単に言えば、囚われから解放されて、ラクになるのだ。別に「全て辞めちまえ」という暴論ではない。ソレって本当に必要ですか?という問い掛けだ!

でも、本当にそうなってきて、成人後の最初の目標が「まず田舎にスモールハウスを建てて、自給用の10坪くらいの畑を耕すZE☆」ってアホな新成人が何割か出現しはじめたら、いよいよ面白くなってくるね😂

就活の時期になると各大学のキャンパスでは、やれ商社だのやれ外資コンサルだのザワザワうるさくなるが、一部の奇特なスモールハウス組は「おれは根菜中心で生きていく」だの「やっぱりイモ類が安定している」だの「やっぱ定型発達児の奴らとは話が合わない」だの世間ズレしたアホなことでざわめくことになる(笑)

現代社会はそういう責任のない身分というのは、社会人としてよい印象を持たれない。逆に何か重い責務を背負って生きている人、常に何かやるべきタスクを抱えて忙しそうにしている人が、概してまともな人間として認められている。それでも、たとえ周りから白い目で見られようが、後ろ指を刺されようが、気にしない。時代に逆行していると笑われながら、理想郷を創り続けるために、図太く我が道を貫くのがスモールハウス組だ★

「個人精神主義」は世界平和への道?

己の人生を構成する要素は「必要の見極めと自由の極限」によって導き出す。そうして個人的な小さな幸福を追い求めていくと、気付いた時には、自分だけでなく地球にも負担の少ない優しい家と暮らしが出来上がっている。何の難しいこともない。そういう個人の内的な心のバランスが、地球全体のバランスにつながってくる。

あれ? でも、これって実はもしかしたら、世界平和に通ずる道なんじゃないだろうか。自分中心で物事を進めていくと、地球にも優しいなんて、そんなことこれまでにあっただろうか?

今の地球が抱えるさまざまな問題に関しては、自分の心に問いかけ、その答えを生きる「インサイドアウト」が、講演したり抗議したりデモしたり裁判で泣き叫ぶよりも、ずっと多くのことを達成できる。

メタバース(仮想現実)や2次元やオンラインサロン(全て「虚」)に逃げず、望むリアルを創ってしまい目の物見せてやるのが一番はやい!

「虚(バーチャル)」もいいけど、囚われ過ぎないようにね☝️

それから、ブロックチェーンやNFTのような外枠の話も、二の次だから後でいい。今は第一義は「プロトタイピング(試作)」による速やかな「現実創造」だ! この世は現実が動かない限りは夢物語でしかない。だから、悪者を探し当てては糾弾の声を上げる前に、自分が望む暮らしを具現化し地道でも淡々と営もう。これぞ「市民的不服従」の精神だ。

次の時代を、先に生きる!

こういった農村的共同体(結)が拡がると、その時ある種の自給自(他)足の暮らしにシフトしていく。そうなると、そのコミュニティの中で必要なものはそこで自活できるようになる。そうして、それぞれの村の中で、自分たちの暮らしが成り立つように「小さな国」として機能していく。それぞれが独立国家として小さく乱立していく、そんな新時代に突入している。

「くにづくり」のムーブメントは、熱心な支持者・体現者もいる一方で、怖いもの見たさ、珍しいもの見たさが半分入り混じっており、まだれっきとした市民権を獲得しているとは言い難く、いわば胎動期にある。

#なつかしい未来づくり

時代の風を読み、いち早く体現するのが「イノベーター」の仕事だ。3年先のことやってても、需要がない。そして、需要が出てきた頃には、もう次へ行っている。自分は1年以上同じことはできない性分だ。安住は許されないようだ。これから儲け時なのにというアドバイスを蹴飛ばしてしまうという、実にひどい病気を患っている。前例がないなら、成功事例に成ればいい!

人々の好奇と懐疑が、理解と確信に変わり、オセロのように、人々の家と暮らしがパタリパタリとひっくり返っていく瞬間を、近い将来見届けてから死にたい。だからこそ、子どもはダンボールハウスをつくり、大人はスモールハウスをつくろう。

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