物に宿る者-デザインできないデザインに思いを馳せる-
八百万神【やおよろずのかみ】、という言葉があります。森羅万象(すべてのモノ)に"神の存在"を認める古代日本の神観念を表す言葉で、自然と共に暮らしてきた日本人らしい考え方だと思います。
しかし、これだけ物が溢れ、物質としての物以外にデータなど非物質的な「物」が発明された現代において、すべての「モノ」に神が宿るという感覚はすでに少なくなっていると感じてきました。
それでも時々、何か言葉にならない「物に宿る者」を感じることがあります。
これは宗教的な話ではなく、誰もが感じることのある感覚で、私たちクレイジータンクが物をデザインしたり、サービスを考えたり、時には人材育成においても、無意識の内に大切にしているデザイン哲学なのかもしれません。
家に宿った何者か
先日、クレイジータンクメンバーの一人が10年以上住んでいた家から引っ越しをしました。建築や不動産に精通するメンバーもいる中でのお引っ越し。その最大の目的は"より良い部屋や立地条件を探すこと"でした。
素敵な家が見つかり、10年ぶりのお引っ越し。バタバタと荷造りをし、いざ引っ越し屋さんに荷物を運んでもらった時、引っ越しを楽しみにしていた子どもがこんなことを言ったそうです。
「2階さん(引っ越し前の家をそう呼んだそうです)、寂しいだろうなぁ...」
幼児でもない、それなりにしっかりとした考えを持てる年齢になった子が、自分が住んでいた家のことを擬人化し、その家の気持ちを汲み取り、そして自分の記憶と共に寂しさという気持ちに思いを馳せたのです。
子どもにとって、家に"2階さん"という何者かが宿っていたのです。
者をデザインする
デザインをする、という言葉を聞くと、どんなイメージが思い浮かぶでしょうか。多くの場合、形やサービスなど、ビジネスをサポートする存在として発展してきたと思います。
クレイジータンクも多様な分野でデザインに携わってきました。
アクセサリーをデザインしたこともあります。
コロナに立ち向かう医療従事者へ寄付を募るための作品
「最後の一葉」
ドリップコーヒーの味からパッケージまでデザインしたこともあります。
脳梗塞の人が社会から断絶されないためのビジネス支援企画
「CAFE de MARINE」
組織を関係者と共にデザインすることもあります。
私たちクレイジータンクがデザインという分野に携わる時、常に見え方や機能性、時にはその物に存在する物語を超えて、物に宿る者を感じることがあります。
「コーヒーが朝の時間の一部になっているよ」
「難しいことに挑戦しているけれど、人生の希望になっています」
「クレタン通信を読むことが毎週火曜日の日課になっていました」
わかりやすく言えば、ユーザーが作り出すデザイン、と言えると思いますが、自分たち提供側、デザインする側ではとても予測できなかった感想や体験を伝えられた瞬間、そこには自分たちがデザインできない領域で、でもとても大切なデザインが生まれているのだと思います。
物に宿る者。
私たちクレイジータンクは常にその何者かとの出会いを楽しみにしているのかもしれません。
クレイジータンク一同
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