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『フラット・アース』

何時間ばかり歩いただろう。

辺りは雪一色だけ。足を取られ、空気が冷たくて呼吸も苦しい。
このまま寝たら、二度と目を覚ますことはないだろう。
薄れる意識を、気を強く持って保つ。

極寒の中を歩き続けて、”奴ら”から逃げつづた。

もう限界。あきらめかけた時、かすかに人の声が聞こえた。

最後の力を振り絞って、見つけてもらおうと声を出す。もう何を言っているかもわからない。めちゃくちゃな動きでめちゃくちゃな言葉を吐き出しつづける。

声が近づいてきた。

何語だかはわからないが。

目の前に数名の男たちが見えてきたところで、わたしは安堵から意識を失った。



温度は70度ちょっと。
先の細いポットを選び、豆が充分蒸れたら、ゆっくりと流し込む。
円を描くようにお湯を注ぎ、香りを嗜む。
いつもはブレンドで済ませるが、休日の朝はお気に入りのエルサルバドルの珈琲豆を挽くことに拘っている。
「よっしゃ」
さあ、優雅なオレのモーニングルーチンだ、と鼻息鳴らして意気込んだところでスマホが鳴る。

「天道、休暇中にすまないが…」
「…わかったよ。すぐ行く」

うんざりだ。
イケてるオレの優雅な朝を邪魔しやがって…
ゆっくりと趣味のコーヒーを味わう時間もないのか。
いまから会う・・・電話を鳴らした相棒・・・知戸には存分に嫌味を言ってやるぞ。

そうやって散々と悪態をつきながら天道は、拘りのエルサルバドルに大量のミルクを入れ、20分かけて飲み終えた。
「さあ行くか。くそったれ」

警察署。
「すまないな天道」
「ほんとだぜ。優雅な朝が台無しだ。しーっ」
歯に挟まった筋が取れなくて、ずっといじっている。
「大丈夫か」
「ああ、さっきコンビニで買い食いしてきた揚げ鷄がさ」
「…天道、本当におまえは頼みごとがしやすくて助かっているよ」
「ああ、頼まれると断れない。損な性格だぜ。感謝しろよ知戸」
知戸に案内されるまま個室に入ると、後輩の女性巡査と…
「遅いですよ天道巡査長。こちらの女性が…」

「ああ、南極で保護された異世界人か」


「パラレルワールド?」
「彼女は鳥羽洋子と名乗った。南極観測隊員だそうだ。しかし、日本の南極観測隊にその名前は存在しない。…おい天道、それは俺のピュレリンググミだ。勝手に食べるな」
「うまいなこれ」
「星くん。彼女の話は聞けたかね」
星・・・天道たちの後輩の女性巡査・・・がメモを出して答える。
「鳥羽洋子さんいわく、自分は元令和基地南極観測隊々長。国際機関に無理やり引き抜かれ、そちらの観測基地でしばらく働いたそうです。しかし組織のシゴトに恐怖して、雪上車を盗んで逃亡してきたと。途中雪上車がダメになり、意を決して近くのノルウェー基地を目指して外へ。そこから遭難し彷徨っているところを、ノルウェー基地の隊員に発見されたと」
「組織のシゴトって?」
「話そうとしないんです。ひどく怯えていて、それ以上聞けませんでした」
「しかし、観測隊に鳥羽洋子の名前はないんだよな?」
「はい。現在の日本の観測隊々長は万城目淳隊長です」
天道がコロッケを食べながら、口を出す。
「ただのイカれ女なんじゃねーの?」
「・・・しかし南極だぞ?」

「・・・・・だからってパラレルワールドとか言い出すのかよ?」
知戸が目配せをすると、星がまたメモを読み説明した。
「彼女の持っていた硬貨は『平成35年』硬貨でした。彼女いわく現在の年号は『りんみょうえ』?・・・だそうです」
「『令和』基地じゃねーのかよ」
「向こうは西暦2255年だそうだ」
「はえー!未来人じゃん」

「しかし、向こうは我々の知る歴史とは全く異なる歴史を歩んでいるようです。2001年にはすでに宇宙開発の果て宇宙人との接触に成功。ガラパゴス諸島には鳥類以外の現生の恐竜が生息しているそうです」
「はは、こっちの地球の『なんとかワールド』は商売上がったりだな!」
「あと、これはなんとも言えませんが…こっちのオーストラリアがあっちの四国。ユーラシア大陸が本州・・といった具合に日本地図と世界地図の島の形が入れ替わっているとか」
「はへえ」
「ちなみに向こうでは松田優作が80まで映画に出てたらしい」
「いーなそれ!」

星がメモをしまい本題に入る。
「しかしなぜ南極に」
「それだよな〜」
知戸がさっき買った缶コーヒーを開けて、喉を潤した。
それを見て顔をしかめる天道。彼は缶コーヒーが嫌いだ。せっかくなら豆から淹れるのが真のコーヒーだと思っている。・・それはそれとして、天道は缶コーヒーやインスタントコーヒーも飲む。

知戸が缶コーヒーを置いて、語り出す。
「2016年、NASAが南極で・・時間を逆行する『タウニュートリノ』という粒子を検出した。これによりビッグバンの際に、時間を後退する並行宇宙を含めた2つの世界が生まれたことが分かるらしい。それ以前からも、量子論は度々パラレルワールドの存在を示唆してきた。そもそもパラレルワールドという概念を言い出したのはSF作家ではなく、地理学者のヒュー・エヴェレット三世だった」
「でもあの女隊長の世界は逆行はしてないんだろ?」

「・・こういう話もある」
知戸が、慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「『フラット・アース』ってやつだ」
「なんだそりゃ」
「地球平面説ですか」
「なに!?地球って平らだったの?確かに丸くは見えねえもんな・・」
知戸がかまわずに話を進める。
「そう考えて、あるいは宗教上の理由などから、現在も地球は丸くないと主張する人間や、団体は思いの外多い。彼らは平らな地球の上を同じサイズの月と太陽がぐるぐる回っている、と主張する」
「宇宙は?」
「陰謀なんだって。本当は存在しない」
「確かにオレ、宇宙って行ったことないわ」
「・・いやお二人とも、鳥羽洋子の地球は宇宙進出してるって」
「それも陰謀なんだ!」
星がクソでかいため息を漏らす。

知戸がまた構わず話を進める。
「ドーム状の空は『スカイ・アイス』と呼ばれる青い氷なんだそうだ」
「・・氷?」
「そう。フラット・アース論では地球は氷に閉じ込められているんだ」
「・・でも確か、地球平面説の地の果ては、海の水が滝になって落ちて行くんでしたよね?」
「それは古い考えで、『新説』は違う。」
知戸がホワイトボードに下手くそな図解を描く。
丸い壁に閉じ込められた街のように見える。

「この壁が、南極。中にあるのが地球だ」

「世界は氷に閉じ込められている・・らしい。確かに南極は『南極条約』によって厳しく管理されている。大陸を横断したものも決して多くはない。そして、ハイジャンプ作戦しかり、決まってそこには『怪しい噂』が付いて回る。それゆえにこういう、トンデモ論調が出てくる余地を…与えてしまうんだろう」
「南極は大陸じゃない・・てこと?」
「・・そう考えると、鳥羽洋子のやらされていた『南極での組織のシゴト』が、容易く口にできない国家・・いや世界の重大機密として頷ける」
「南極が『世界の果て(エンドオブザワールド)』ってことか!」
的を射た発言のつもりだったが、知戸が難しい顔をしたままなのが天道には気にいらなかった。

「果ての果て・・・。南極を進むと、どこに行き着くか?」
「さあ。ずっと南極じゃねえの。それか今度こそ滝エンドか」

「別の地球があるんだ」

天道がポカンという顔をする。
「・・・フラット・アース論では南極が無限に広がり、その中に点々とドーム状の地球がある。それも無数に。鳥羽洋子は南極で彷徨った結果、その『別の地球』にたどり着いたのかもしれない」

今度は星も一緒にふたりがポカンという顔をした。
「・・・なんてな。どうせ俺たちの仕事は鳥羽洋子の保護と、本部のエージェントへの引き渡しだ」
ちょうどよく、星の端末が通知音を上げた。
「知戸先輩、そのエージェントが到着したそうですよ」
「よし天道、鳥羽洋子を頼む。俺たちで本部のエージェントを迎えに行ってくる」
「おっけーい!」

天道は二人を見送ると、鳥羽洋子を保護している隣の個室に乱暴に入室した。
「・・いつまでここに居ればいいの!こんな石器時代みたいな部屋に閉じ込めるなんて人権問題よ!」
鳥羽洋子はピリピリしている。過酷な遭難から不安定になっているのか、それとも元からの性格か。
「悪いけど、この個室は現代の最新快適ルームだ」
睨みながらも、その眼に『怯え』が見て取れる鳥羽洋子。彼女を安心させようとニカッ!と笑ってみせる天道。どうやら逆効果なようで、さらに睨ませてしまった。
仕方ないと、天道は本題に入った。

「実はオレさ。あんたと同じ、南極の向こうからきたんだ」


青ざめた鳥羽洋子をよそに、天道は自分の出生を語る。

「ほんと最低な地球でさ。人権!環境!博愛!ってうるさいの。肉も食えないし、すぐハラスメントって言われるから気安く人とも関われない。あと信じられる?オレの地球さ、サメに人権あるんだぜ?いくら知能が高いからって、イルカ、クジラ、とポンポンと人権を増やさないで欲しいよなー。確かにオレとかよりはアタマいいんだろーけど。・・・でまあ、縁あってさ。『国際機関』に身売りしたんだオレ。ビンボーだったし。それで南極の向こう側に、別の地球あるって教えてもらって。すぐ志願したぜ。『異世界任務』!

・・だってこの地球、コンビニで鶏肉食えるんだぜ?・・他にも美味しいものいっぱいあるしさ。迷う理由がないよな。

・・・・・だからさ、あんたを一目見てピンときた。同業だなって。あんたも仕事で『こっちの地球』きたんだろ?違うの?・・まあいいや。
どっちにせよ『なんとかニュートリノ』から逆宇宙へ行く手がかり、掴まないとシゴトが先に進まねえもんな。

・・・・・あとこの建物はさ、世間には警察署ってことになってるけど・・・・確かにそういう業務も表上はこなしてるけど・・・本当は『国際機関』の支部なんよ。でなきゃさ、南極で遭難してたあんたを保護するのが、こんな田舎の警察署なわけないだろ?一旦ここで保護して、本部のエージェントが迎えにくる手はずだったんだ。ああ、ついたみたいだぜ?」
足音が近づいてきて、ノックが聞こえ、個室の扉が開けられた。

入ってきた男を見て、青ざめていた鳥羽洋子の顔色がさらに悪くなり、悲鳴を上げる。
男の顔を鳥羽洋子は知っていた。『向こうの地球』から逃げてきた、その人・・・

「失礼、私は『国際機関SAQ』所属、エージェント・ダイアー。これよりキミの身柄を預かることになった」

  終
2023年4月16日#トーテム・ノベルス



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