2024年2月

 数年ぶりに好きな人からバレンタインをもらうことができました。


2月のライブ

  • 2月7日@代々木labo「laboのTEPPEIちゃんNIGHT vol.1」

  • 2月23日@代々木labo「コピバン大会~代々木カバーコレクション~」

 新企画を始めました。laboのTEPPEIちゃんであることを誇示するNIGHTです。アウェーが苦手すぎるのならホームで大暴れしちゃえという気持ちもあります。ブッキングイベントとは違う、山内てっぺいの自主企画として作っています。初回からかなり豪華で素敵な共演者と共にお送りできました。
 わたさくJJは最初ブッキング中に見つけたSSWで、初めましてでいい感じやん!と思い速攻この日にお誘いしました。イマドキ!なかんじでこれからが楽しみ。
 百獣の王 副島さんは自分がlaboに入りたての頃、とある人のイベントに出演していたのをドリンクから見ていて、その才能に感動してからよくlaboにブッキングでお誘いしています。ちゃんと対バンは初でした。「いいパーティー」名曲。
 ヤマダヒロミチ氏のキモヲタであることは先月のnoteで充分に理解していただけたと思います。この日も最高でした。ソロだとより「ギターロックキッズ」なのが際立ちますよね。最高でした(2回目)。
 terukiさんはlaboの名物企画「4×8」で出会いました。この世界観はもう一度見たい!あわよくば対バンしてお近づきになりたい(好きなタイプの顔だったため)!という気持ちで今回お誘いしました。自分だと絶対できないステージなのでめっちゃ尊敬しているし、この日さらに加速しました尊敬が。
 タテヨーコさんは実はこの企画を思いついてから一番最初に声をかけさせてもらいました。laboの似顔絵ナイトで初対バンした時に感動で涙を流してから、またいつか対バンしたい!と思っていました。涙腺を刺激する声っていうのがあって、ヨーコさんはその声の持ち主です。出番前にしっかりうるうるしてしまい我慢するのが大変でした。
 自分のステージのテーマは「新時代」でした。弾き語りへの苦手意識が日に日に膨れ上がり、それを上手く誤魔化すように考えてエフェクターを導入してシューゲイザー的な音像を求めてみたり、その流れで新曲にオケをつけてみたり…とやりたいことを山盛りてんこ盛りした感じです。その結果全体的に方向性が見えなくなっちゃった感が残っちゃったのが課題です。なんか自己評価はあまり高くないです。頑張ろう。自分。
 イベント通すとすごくいい夜になりました。大好きがつまった夜でした。vol.2は4月です。この日もいい日になるよね?ハム太郎?

 ついに念願の同い年でコピバンをやりました。KANA-BOONやりました。バンドでギタボは初挑戦だったのですが超楽しかったです。バンドマンの3人に助けられましたよ。感謝感謝です。コピバンめっちゃ楽しいね。またやりたい。

2月に見たもの聞いたもの

 オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームを新宿バルト9でライブビューイングしました。これこれ!これだよ!というライブでした。
 一時期話題になった「オードリーのマネタイズ問題」についてのnoteを読んで、共感するポイントも多かった自分はこの日もしかしたらすごく傷つく可能性もあるかもなと結構心構えしてバルト9へ向かいました。入場前の時間にフロアの床に座ってる若者が何人もいて品がなかったり、終演後物販コーナーに掛けてある展示用のユニフォームシャツをべたべた触ったり自撮りした後買わずにその場を離れた女性3人組がいたりはしましたが、それはまぁこの規模になってしまったら仕方がないことなのかなと。多分オードリーじゃなくてもそういう人たちはそういうことをするだろうから。というよりそういうことをするような層にまでオードリーのオールナイトニッポンは受け入れられているという事実はすごいと思う。だって深夜ラジオだぜ?
 自分がラジオそのものに触れるようになったのは中2。その頃はFMしか聞いてなかったし、AMは音が悪い上に自分の部屋は電波が入りにくかったので、星野源のANNしか聞いてなかったしそのほとんどもノイズでかき消されている状況でした。オードリーがラジオをやっているのは知っていたし、漫才も大好きだったし、聞いたら絶対ハマるのはわかっていたけど、逆にハマるのが怖くて聞いてませんでした。大学に入って上京して、radikoでも聞けるようになった頃(当時の香川はradikoプレミアム会員にならないと聞けなかった)ちょうど若林が女優と熱愛を撮られたときに初めて聞きました。勝手に近いものを感じていたので聞いてみたらやっぱり面白くて、多分ちょうどアイスランドに行ってきたぐらいの時期だったのでそのトークでやっぱ好きだなこの人ってなりました。でもそのあたりはたまに聞いたり聞かなかったりで、毎週聞くようになったのはフライデー事件から。正確にはプロポーズ発表の週から。あの伝説の2週でいよいよハマってしまい、そこからようやく「たりないふたり」を見たり、若林の本を読んだりしました。
 わかったようなこと言ってんじゃねぇ生意気かよって言われちゃうかもしれないんですけど、実践しないとわからないタイプの若林さんにとって、オードリーのオールナイトニッポンがどれだけ大きなものなのかを自覚させるためには、東京ドームしかなかったのかなって思います。そんな東京ドームで、変にかっこつけず、ちゃんと「ラジオ」がそこにあったことが一番かっこよくて最高にトゥースでした。円盤待ち。

その他いろいろと

 不安と信頼と実績と実力と部屋とYシャツと私
 毎月この場で不安だなんだとぬらぬら書き連ねている。いったい何がそんなに不安だというのか。
 うまい飯が食える。少し冷えるが屋根のある部屋で眠れる。働く場所がある。健康で文化的な最低限度の生活は送れているのだ。こんな弱者男性の私でも。これ以上の幸せはないし、求めてはいけないとも思う。自分にとっての「幸せ」と世間一般での「幸せ」のズレ。気にしないようにしてても後ろめたくはなる。こんな自分がいっちょまえに幸せとか思ってごめんなさいって思う。でも好きな人とお鍋つついてる時間とかはやっぱり幸せだしこの時間が永遠であれとおもう。もっと幸せにしてあげたいとも思う。夜景の見えるレストラン。夜の首都高。食べた気のしなさそうな朝食。話題のディナー。誰よりも価値観を押し付けてくるのは世間だよね。気にしてないと言えば逆張りだと思われる。身の丈に合った幸せでいいのに。その身の丈に合わせることがバトルフィールドだと気づいた時にはもう遅かったわけだが。

 気を遣うポイントが変だよねって言われた話はここでしたっけ?言われたのよ。そこ気づけるのになんであれ気づけないの?っていうやつ。自分でもよくわからない。これが俺の身の丈でしか気づけない限界値で、日本の平均的な身の丈であれば気づくことができたのかもしれないよね。
 いまさら言われても遅いんだよ。深夜ラジオが流行っても。昭和歌謡が流行っても。茶色いランドセルが目立たなくなっても。おしゃれな絵の具セットが目立たなくなっても。ドラゴンじゃないエプロンやナップザックが許されたって。もう遅いんだよ。あの頃の「ラジオとか今どき誰が聞くの」とか「そんな古い曲誰も知らないよなんでそんなの知ってるの気味悪い」とか「変な色のランドセルだ」って言われながら蹴られたり踏まれたりしたこととか「なんで男子はみんなドラゴンなのにおまえは女子みたいなやつ選んでるの」とか。それが俺にとっての世間だし、日本の平均身の丈なんだよ。いまだに可哀想だよ無理やり泣きながらドラゴンのエプロンをミシンにかけた小6のてっぺい少年が。

 日本の平均身の丈に追いつけない私でもいいのかなっていう不安。大丈夫だと自分で思えるようになるのはいつなんだろうね。

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