今日もわからないうちに


2019年9月観劇


千秋楽でした。

何事も前日に準備を始めるタイプなんだけど買っておいたチケットが見つからなくてまぁ焦った。ら、紙の小山に埋もれてた。何度同じ過ちを繰り返すのか。


何ヶ月ぶりかの大分久しぶりなストレートプレイ。三軒茶屋駅にあるシアタートラムという初めての劇場に行ったのだけど、とても素敵な劇場で思わず「わぁっ…」と小さく感嘆の声を漏らした。場所は田園世田谷線のすぐ隣で分かりやすい。舞台の高さも見上げず見下げずな位置で絶妙に良かった。客層は、30〜50代の方が多い印象だった。劇団のファンの方々だろうか。

そしてこの舞台、BGMがほぼ生演奏。アーティスト?の男性が舞台横に座っいてギターを弾きながら歌ってくれるのだ。ちなみに劇中のスマホ着信音もこのギターで表現してくれてる。透き通ったハイトーンボイスが素敵だった。


この舞台はとある家族のお話 


働き者でしっかりしている母

頼りないが優しい父

思春期真っ盛りな中学生の娘

の3人家族がいて、生活費を貪る祖父(母の父親)や浮気紛いの密会などちょこちょこ問題を抱えながらもそこそこ平和な生活をしていたところに、母が急に記憶障害になってしまう。

その記憶障害は少し特殊なもので、家から出ると「家」に関することを忘れてしまうというもの。これが少しややこしいのだが、家族のことは覚えているし「帰る家がある」という認識はありながら、家の場所が思い出せなくなり外出すると帰れなくなるのだ。

しかも寝て朝起きたら家のことを忘れたこと自体忘れている。毎朝行われる夫婦の「昨日忘れてたんだよ」「家のことを忘れるわけないでしょ!」の問答は見ててもどかしくて仕方ない。娘は中学生という思春期真っ盛りな年頃だからか、親との会話は常にやや喧嘩腰。母には割と素直だが父にはあたりが妙に強い。リアル。

ずっと母に家事を任せっきりだった父だったが、母は家の中のこともよく分からない状態になってしまったため父が色々な家事を担うことに。この父の丁度いいゆるふわさが面白い。1番苦労するというか立ち回りが難しい立場ではあるが、感情の起伏や表情は少なく絶妙な脱力感が笑いを誘う。

実はこの父、出会い系サイトで知り合った若い女の子と定期的に会ってはお小遣いを渡していた。が、今後は家庭のことに尽力しなければいけないから、と謝罪して縁を切ることに。一見無害なように見えたがまさかのサイレントクズ。お金はいらないからとまた会いたいと縋る女の子を横目に、父は母からのSOS電話を受け取ってすっ飛んでいくのであった。


記憶障害の治療を受ける生活の中、メモを書き残すことで記憶障害をカバーして母は何とか生活していき、病気のことは今は娘に内緒にしておくと夫婦間で決めていた。しかし母の記憶障害は日に日に悪化し、家族の情報も忘れるようになってきた。話が噛み合わず不可解な行動に出る母に対して不信感が募った娘は、ある日母に激昂してしまう。そのまま娘は母を1人で買い物に行かせてしまい、帰宅した父は娘に激怒。家族関係が崩れていくのを感じた父は遂に母が記憶障害になったことを娘に明かす。


その後、買い物へ行くと言って財布も持ち忘れて飛び出した母を近くの公園で見つける娘。夕方の公園で2人肩を並べ、娘は母と病気のことやこれまでの生活について話をする。

このシーンが本当にヤバすぎる。夕焼けに照らされた親子2人。以前はしっかり者でハキハキ働いていたというのに、今は母親として何も出来なくなってしまい無力感のような、諦めたような、遠い目をしている母の表情があまりにも切ない。                              娘も刺々しい態度は無くなり、落ち着いた口調で会話をする。親が急に記憶障害になったなんて聞いたら多感な時期の子供はパニックになるだろうに。先程まで喧嘩していたとは思えないほど穏やかな娘の態度の裏に、必死に抑え込もうとしている底知れない不安や悲しみが見える気がして胸が締め付けられた。


「お母さん、家のことは忘れていいけど                       お願いだからあたしのことだけは忘れないで。」 堪えきれず泣き出す娘。

と私。


昔から映画でもドラマでも作品で涙するなんてことはほぼ無かった激ドライの私だが、初めて舞台を観てポロポロと泣いた。何となく自分の昔のことを思い出した。 あぁー劇場に来る前に世田谷なんて通ってこなきゃよかった。いや通らなきゃ来れなかったんだけど。


その後、父も娘も母の病気を理解し、フォローするべく家事を分担して立ち回るようになり家族の絆を取り戻しつつあった。あ〜母の記憶障害を機に平和になるやつか〜ありがちっちゃありがちだけどいい話だなぁ、と思っていたがここで冒頭にチラッと書いた偏屈な祖父が母の記憶障害のことを知って家族の家を訪ねてきた。


ここからが急展開。ここでオチを予想して当てられた人は何かしらに表彰してあげたい。


この祖父は生活力が無く、生活費は母が仕方なく自分の稼ぎの中から支払っていた。それに関して父も娘も良く思っておらず、母が病気になってからは父が生活費の支給を止めたいor減らしたいと言った相談をしに祖父の家へ行ったこともあったが、最終的に拳を振るわれ追い返されていたのだ。れっきとしたクソジジイである。

そんな中で祖父が家を訪ねてきた理由は、「記憶障害になった母を自分の家へ連れて帰る」というもの。

生活力のない祖父が記憶障害の母を連れ帰ったところで何も好転しない気がするが、どうやら母の稼ぎが目的っぽい。母も仕事はなんとかなってるっぽい。ぽいぽい言ってばかりで申し訳ないがどこからどこまで母の記憶が残ってるのか私はこの時点ではもうよく分からなくなっていた。「家」のことだけ忘れるって話だったが症状の進行で家族の名前や自分の子供時代の記憶さえ危うい描写があったので、多分もう色々忘れてきてる。でも明日になったら記憶障害自体を忘れている。もはや逆に何を覚えてるのか。

とにかくそんな勝手極まりないガバガバな提案に家族は反対。祖父の昔話が始まる。


祖父の妻は既に亡くなっているのだが、亡くなる前には認知症になっていたとのこと。家族の顔も名前も忘れ、祖父は変わり果てた妻の姿に嘆き、そんな妻の介護に疲弊しきっていた。そんなある日、妻は家の中で失禁しながら祖父ではない他の男性の名前を呼んでいたという。

それを聞いて限界が来た祖父は、妻を何度も何度も殴った。何度も何度も殴って、

最終的には埋めたという。

当時まだ幼かった母と。



THE犯罪。法も倫理もバッキバキに侵している。記憶障害からの重め前科暴露て(母は無理矢理やらされただけだが)。そういった過去が原因で記憶障害になった雰囲気ではなかった気がしたが、一応このことも記憶障害に関係していたのだろうか。

祖父は語る。人間は記憶だけが生きてきた証。誰かと愛しあった記憶があったとして、所有してるのが片方だけでは愛は成立しない。ただ悲しいだけなのだ。いずれ父も記憶障害になった母との生活に疲れ果て愛せなくなり手をかけることになる。だからその前に家に連れて帰るのだと。

認知症の妻を愛せなくなった前科持ちの祖父に尚更母を預けようとは思わないだろうに。しかし少子高齢化の現在、そういった問題は現実におおいに蔓延っている。祖父の心労も尋常じゃなかったのだろうが、許されないことをしたのは事実である。母は目線を落とし何も言わない。父はラチがあかないとみたのか、祖父にお引き取り願うも全く聞きいれられず、なんなら祖父から顔面に一発拳を打ち込まれる始末。         クソジジイとしての本領を遺憾無く発揮している。


この状況下でずっと無言で泣いていた娘、遂にここで立ち上がる。

この人なんなの?!昔から大嫌いだった!!と泣き叫びながら意見するも「子供は黙ってろ」とお約束な台詞を吐く祖父に娘が一発顔面にお見舞いする。祖父の顔、流血。どういう仕組みになってるのか不思議だ。

が、一発殴られたくらいでは祖父の腐りきった根性は治らない。自分勝手な理論を語り続ける祖父に娘は怒りが止まらず、自前のバット(ソフトボール部)を持ち出してくる。こんな展開だが不思議とコメディな雰囲気が若干残っており、観客も思わず小さく笑ってしまう。バットて。死んでしまうがな。

「さすがにそれは死んじゃうから!」と止めに入る夫婦。「死んだら埋めちゃえばいいじゃん!!」と娘。肝据わりすぎだろ。

なにこれどうなるの…祖父を成敗した先に何があるの…と思いながら観ていたら結局祖父へと振り落とされた娘のバット。えっいっちゃうんかい。「いやちょっ、おぉいお前、さすがに死んじゃうだろぉ!」と動揺しながらも口元は微妙ににやけている父。慌てて救急車を呼ぼうとする父に対して「呼ばないで!!」と静止する母と娘。急にクレイジーが渋滞してきてこちらも思わず笑ってしまう。何これ?アダムスファミリー?

結局その後も祖父の態度は変わらず、娘に何発かバットを振るわれることに。しかも頭部をバカスカ殴られている割には意識もハッキリしており、老人にしてはよく耐えている方である。さすがにヤバイと感じた祖父は血塗れで命乞いをするようになる。

娘は「埋めてもバレなきゃいいんでしょ!埋めよう!」と相変わらずメンタル激強な主張をしている。母はこれまで見たことのない冷静な顔で祖父を見つめ続ける。命乞いする祖父を見て

「お母さんも そう思ったと思うよ。」

「お父さん あたし 明日になったら全部忘れちゃうんだよね。」


間も無くして、

娘はバットを振り下ろした。



死んだ祖父を躊躇わず地面に埋める娘。やっちまった感は捨てきれずも手を貸す父。冒頭の時と本当に同一人物か疑うくらい無表情で見守る母。忘れることで良くなることもあるのかな、と主治医に言われたことを母は静かに呟く。

老人とはいえ大の大人1人を地面に埋めることは容易でない。作業に母も加わり、 家族3人で力を合わせて祖父を埋めていくのであった。


ここで物語は終わりである。



まさかの殺人エンド。

少し前に人気を博したドラマ「大恋愛」(未視聴)みたいな、超感動的な作品かなと思ったら全然違った。祖父死ぬんかい。で埋めるんかい。フライヤーの雰囲気とは裏腹に、シリアスなのかブラックジョークなのか何とも言えない空気感がとても良かった。最後の修羅場でなぜか笑えてしまう不思議。

カーテンコールで、母役と祖父役の人が肩を組んで讃えあっていた姿が印象的だった。悪役を演じた人の素の優しい顔を見るのは結構好きだ。

千秋楽だったこともあり、終演後にスタンディングオベーションが始まったが立ち上がったのは観客の半分ほど。これは賛否両論はっきり分かれたということだろうか。私は立ち上がった側の人間だった。

ちなみに推しである秋元くんは娘の先生役だった。ベビーフェイス故に学生役を長年していたが遂に先生の役を…!と感慨深い気持ちになったが頼りないナヨナヨした感じの役柄で、やっぱり秋元くんこういう役任せられがち。


物語のメインとなる記憶障害とこの結末がどう結びつき、何を観客の心に届けようとしたのか。若輩者の私には意図が読めなかったが、とりあえず自分の心に残ったものを大事に取っておこうと思う。舞台とはきっとそういうものだ。意見が分かれそうな作品ではあったが、それもひっくるめて観に行って良かったと私は思った。



ちなみにこの後、自分が乗ってきた田園世田谷線と帰りに乗る田園都市線が少し離れた距離にあることを知らず、迷子になって30分ほど三軒茶屋を彷徨い続けた。地図を見ずに看板を頼りにして歩く私の癖が悪いのだけど。途中で3coinsを物色し、スマホネックホルダーを買った。呑気なものである。


シンプルな方向音痴の治療は、この世に存在しないのだろうか。



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