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なぜ「感動」をつくるのか。「担い手が減り続ける農業の未来」にスイカ農家が見出した答え。

また「日本の農業者が減ってるよ〜」なニュースが飛び込んできた。今さら驚かないぞ!

この記事で取り上げられてる「基幹的農業従事者」ってのは、

自営農業に主として従事した世帯員(農業就業人口)のうち、ふだんの主な状態が「主に仕事(農業)」である者

てことになってるけど、とりあえず「がっつり農業やる人」ってことで。

担い手が減り続ける”いま”。

今回の記事を読むまでもなく、農業やる人はどんどん減ってる。

農水省もまとめてくれてるデータを見ると、愕然とするほど減ってる。

農業の就業人口の推移はこんな感じ。(単位:万人)

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H27〜H31までの5年間で40万人以上減っている。

しかも、H31では農業就業人口のうち【65歳以上】が7割を占めている。

つまり、「ほっとけばさらに減り続ける」ということ。


一方、新たに農業を始める人はどうだろう?

これは新規就農者数の推移。

農水省のデータをグラフにしてみた!

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順調に増えていたかと思われた新規就農者も、ここ数年で減少している。

H30年の新規就農者は55810人。

しかもなんと、49歳以下の割合は毎年35%以下という状態。

H30の49歳以下は19290人で、減少傾向に入って初めて2万人を割っちゃった。


つ、つまりね…

農業やってる人の7割が65歳以上でこれからどんどん減る上に、新たに農業始める人も6割強が50代以上という恐ろしい人口構造になっているということ。

若者の就農が取り上げられて、農業自体が盛り上がっているように見えたりもするけど、残念ながら就業人口の構造的な変化は起こせていないというのがホントのところ。


食糧をつくる農業の未来。

僕は1年以上前から、「農業は2手に分かれる」って言い続けてる。

そのうちの1つが「食糧需要に応える農業」

これは今まで通りの、農業の本流といえるもの。

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人間が生きる限り、食べ物は必要。

人間が地球上に生きてる限り、その食糧を作る仕事ならひとまず食いっぱぐれない。

…と、思うよね?

でも未来はそうでもない。


ちょっと想像してほしい。

消費者の視点に立った時、日々の食糧は「安いほうが嬉しい」よね?

お米はもちろんだし、

人参や玉ねぎが3つ入りで1袋1000円とかで売ってたらたまらないよね?

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生きていくのに必要な食糧となるものは、安くないとみんなが困る。


そうすると課題は「どうやって安くするか?」なわけだけど、これはもう分かるよね。

答えは「生産量を増やして単価を下げる」もしくは「低コストで生産して単価を下げる」。

これはすでに当たり前の経済の摂理で「多ければ安い、少なければ高い」

この摂理は今後も変わらず、安く提供し続けるためにはたくさん作るしかないってこと。

でも、これって今のまま続けることができるんだろうか?


ここで最初の話に戻る。

日本の農業人口は減りまくってる。

これからも同じように食糧をみんなに供給できるの??


農業者の立場からすれば、

農家が減ってる

でも食糧は変わらず供給しないといけない

一人当たりの負担が増える

キツイからもう辞める

農家が減る(繰り返し…)

そう、農家が減り続ける現状を考えると、このまま食糧供給を維持するのは無理ゲーってこと。

じゃあ、どうするのか?

これももうすでに答えは出てる。

機械にやらせれば良い。

あらゆる農作業を、人間に代わって機械がこなせるように、研究・開発がずいぶん進んでる。

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トラクターや田植機の無人化も、もうすぐそこまで迫った未来のこと。

機械は怪我もしない、疲れないし、モチベーション変わらない。

初期投資とメンテナンスさえすれば、人間と違って人件費を払い続ける必要もない。

「人間じゃやりきれないんで、機械がやります。
そのためのテクノロジーを整備します!」

これが「食糧需要に応える農業」が導いた答え。

この農業では、現場で必要とされる人間の数が極端に減る。

仕事といえば管理とか制御が主になる。

それ以外の人間は、ぶっちゃけ不要になっちゃうということ。


ちょっと話が長くなったからここで一旦、超乱暴にまとめると、

⑴農業者の人口は減りまくってて、これからも減りまくる
⑵これからも人間が食べる食糧は安く供給し続けないといけない
⑶でも農家が減り続けるから無理ゲー
⑷じゃあ人間よりもコスパがいい機械に作業させよう!
⑸必要最低限の人間以外は農業やらなくて良いね!解散!

これが、食糧需要に応える農業の、そう遠くなくて逃れようのない未来。


では、もう全ての農業に人間は不要なのか?

いや、断じてない。

そんなことはあり得ない。

これからの農業にはもう1つのルートがある。

食糧をつくる農業とはちがう、もうひとつの農業がある。


「感動」をつくる農業。

みんな、考えてほしい。

そもそもみんなが買っているのは「食糧だけ」なのか?ということ。

言い換えると、

「食べるため”だけ”」に食材を買うのだろうか?


ちょっと想像してみよう。
こんなことって、実際あるよね?

たまたま知り合いの農家さんから野菜を分けてもらった
その野菜が、まあびっくりするほど美味しい!
野菜苦手な子どもが喜んで食べてくれた!
たくさんもらっちゃって食べきれないから、知り合いにお裾分けした
知り合いも美味しい!と喜んでくれた

なんてことはない、よくありそうな流れ。

この流れをよくよく見ると、

味への感動

食卓でのコミュニケーション

感動のシェアと信頼度の増幅

こんな現象が次々に起こったことがわかる。

すごいのは、この現象が全て「農家さんが作った野菜」が引き金になっているということ!

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何気ない営みに見えるけど、農業によって「感動」が作られてることがはっきり見て取れる。

ご飯を食べて感動すれば、また美味しいご飯が食べたくなる。

その感動をお世話になってる人や仲の良い友人に教えたくなる。

そうやって消費者の中で「感動需要」は確実に高まっていく。


「担い手が減り続ける農業の未来」への答え。

ここで質問。

この感動、あなたは機械から買いたいですか?

無人の畑から、感動がやってくると思いますか?


食糧をつくるだけの農業なら、いつか人間はいらなくなる。

だから僕は、「食糧」はつくらないと決めた。
「感動」をつくることに決めた。

そもそも僕は食糧として大量供給できるほどの農地を持っていないし、山間部の農家ならほとんどみんな小さな農地で頑張ってる。

だからこそ、農業の未来に生き残る確かな道がある。

これから食糧供給型の農業の機械化は、大型産地を軸にどんどん進んでいく。

感動のない「食糧」がマス化すれば、それだけ「感動」の価値が反作用的、そして局地的に高まる。

例えば。

僕がメインでやってるスイカは食糧じゃない。
何なら、スイカがこの世になくても、誰も餓死しない。

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でもこの世には、夏にスイカを食べないと生きていけないような、どうしようもない奴ら(褒め言葉w)がいる。

彼らはスイカを食糧として食べるわけじゃない。
「食べられるスイカなら何でも良い」ってわけじゃない。

彼らを心から喜ばせることができるスイカを作りたい。
感動的なほど美味いスイカには、必ず高い価値を見出してくれる人がいることを、もう知っている。


「感動」を高い価値で提供できる農家は、小規模であっても確実に生き残れる。

そんな未来にコミットするには、今のうちからスタンスを確立してポジションを取っておく必要がある。


(誤解のないように言っておくと、僕は「食糧をつくる農業」を全く否定しない。
食糧を供給することは、昔も今もこれからも変わらない、農業のミッションであり、絶対に必要なことだと思う。
これは善悪とか優劣の問題ではない。
あくまでも、確実にやってくる未来に対して自分の立ち位置を明確にしておきたいって話ね!)


もちろん、感動的なほど美味いものを作るっていうのは、口で言うほど簡単じゃない。

はっきり言って腕力勝負。

この勝負ができないと、求められ続ける品物は作れない。

でも、それもいい意味でシビれる。

腕力でねじ伏せる、そんなスイカを作り続けたい。


もう一度言うよ。

僕は「感動」をつくる農業をやる。



もうすぐ、僕のつくるスイカの収穫が始まる。

僕のスイカが、みんなを感動させる日がやってくる。

ワクワクしてきたぞ。

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