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動物を飼うべきでない人間

動物が好きであるか
とか
甲斐甲斐しく世話をできるか
とかではなくて

いつまで経っても人間と動物の寿命の違いを認められない人間

それが私で、私は動物を飼うに値しない人間





私は、飼い猫のみーちゃんと20年もの時を共有してしまった


片親だった私は色々あって子供の頃に一人みーちゃんの面倒を押し付けられた
子供の私の両手で収まる小さな白い猫
みーちゃんという名前も私がつけたわけじゃない
みーと鳴くからなんとなくみーちゃんと呼ばれてた

私はその頃猫が苦手だった
それでも仕方なかった
私が面倒見ないと保健所に連れて行かれる予定だったから

その頃は子供でも
目の前に殺されそうな命があるなら助けてあげなきゃという道徳があった



知識もお金も無い子供だったから
避妊手術もさせてあげられなかった

発情期は昼夜関係なくわおわお鳴いて眠れなかったし
色んなものに爪を立てられた
甘噛みでミミズ腫れの手

お互いに若い頃は苦労した
でもだんだん好きになっていった

中学校の制服も
高校の制服も
みーちゃんの毛がいつもついてた

どこに引っ越す時も
みーちゃんは私の隣に常に居たし
お部屋はいつもみーちゃんが心地良い間取りにしていた

いつしか発情期も終わってお淑やかになった
私の足音に反応していつもドアの前で三つ指ついて待ってた
お腹を撫でられてほしくてころころ転がって
そのままぽてっと転落したりもしてた


愛想の神様だったみーちゃんは
誰がいつ家に来ても、何の躊躇いもなく膝に乗って頭を差し出した
動物嫌いでもみーちゃんなら大丈夫って人も居た

みーちゃんは全方向に愛を振りまいて
たくさんの人を幸せにしてきた


そんなみーちゃんは18歳の時、子宮水腫になった
私が避妊をさせてあげなかったせい

高齢での麻酔、摘出手術
先生からは無理に手術を勧められることも無かった
高齢だから、そのまま無理させずに何もしない飼い主もいるって言われて

初めてみーちゃんが高齢である事を自覚した



そこまで一つの病気もせず
子宮水腫でレントゲンを撮った時も
子宮以外に異常は無くて
本当に健康体な猫だった

病気も無く
食べ物の好き嫌いも無く
でも人間の食べ物には手を触れない頭の良さがあって
とにかく手の掛からない愛想の良い猫

みーちゃんの丈夫な身体を信じて子宮摘出手術をお願いした


初めての手術と入院
初めてみーちゃんの居ない部屋に帰る私

気が気でなくて一晩中みーちゃんの居ない部屋で泣いて泣いて
退院の日に抱っこされて運ばれてくるみーちゃんを見てまた泣いた
みーちゃんはわかってるみたいに、帰ってくるなり私の膝に乗って私の頬におでこを擦り付けてきた

また元の元気で愛想の良いみーちゃんに戻って
嬉しかった、幸せだった
みーちゃんがいる当たり前をまた取り戻せたってそんな考えをしてた


何の病気も無かったから
勝手にあと10年は生きるって本気で思ってた



その一年後に腎臓病が見つかって



目に見えて痩せていって
目に見えてご飯を食べられなくなった
病状は手遅れと言われた

毎日少しずつ、ほんの少しずつ
足取りが重くなって
それでもいつものルーティンを熟すみーちゃんを
一番近くで
たったの一人で
見続けて


本当は毎日狂いそうで
毎日毎日「どうか私の寿命をみーちゃんに分けてください、そしてみーちゃんと全く同じ日を寿命にしてください」って祈り続けてた

そしたら私自身が病気になった
高熱が出て、肋骨が骨折する程の咳が止まらなくなって
肺が手遅れの状態と言われた
4月に発症してもう治ったと思ってたコロナが、11月に後遺症発症して重篤化
未来永劫この肺の損傷は消えなくて、健康に産んでもらった私の体は気管支喘息と付き合っていくことになった
歌を歌うのに、肺が壊れた


二人揃って医者に手遅れと言われ
それでも毎日私はみーちゃん中心の生活をして
みーちゃんは私の後を追いかけて歩いてきた

トイレもお風呂もご飯も付いてきて
みーちゃんは頑張って私の膝に乗ってきた
私のお金は躊躇無く、自分の治療でなくみーちゃんの治療費に当てた


ああまだ大丈夫だって
もしかしたらここから元気になっていくかもしれないって
毎日毎日そう思い続けて、現実を見ないでそう思い続けて

一週間前ついにご飯を一切食べなくなった



腎臓病が進行して、かなり厳しい状態と言われて
体重も半分になっちゃって
骨と皮しかなくて
それでも諦めたくないから私は強制給餌をし続けた

そして誤嚥をさせてしまって

激しい痙攣を起こして、見開いた目から涙を流して
私はパニックになって背中をさすって
痙攣が止まってぐったりしたみーちゃんを1時間抱き続けた

ひたすら泣いて謝罪して
何かの力に祈り続けて
それでも動かないみーちゃんを見て
私は無意識のうちに身辺整理を始めてて

自分の手でみーちゃんを殺してしまったら
私は生きていけないから

一個一個片付けてたら、段ボールがあって
その中に一つの餌があった


ギフトで頂いた餌は全部開けてみーちゃんの前に並べた
でももう今は何も食べなくて
全部あるものはあげたと思ってた

段ボールの中の餌は
みーちゃんが腎臓病を患う前まで食べていた銀のスプーンで
シニア用だけど、療法食じゃないから封印してた

ダメ元でみーちゃんの前に差し出したら
さっきまでが嘘みたいに顔を上げてさ
頑張って頑張っていっぱい頬張って

嘘みたいに回復して
一人でうんちも出来るようになって
100グラムも体重が増えて
点滴も減らせて

みーちゃんが光を見せてくれて
だから大丈夫、時間を掛ければゆっくりでも生きていけるって
いけるって
そう思ってたんだけど

三日前からまたご飯を食べなくなって
そのままずーっと食べないまま

お水は飲んで自力でトイレでおしっこもしてて
生きる行動は取ってるけど

お医者さんに給餌お願いしたら
これ以上無理に食べさせたら苦しませる可能性があるって
言われて

点滴と吐き気止めを打ってもらってる横で年甲斐もなく泣いて
あめさんが一緒に病院立ち会ってくれたから歩いていけたけど
もう耐えきれんくて


みーちゃんと昔よく会ってた人とか
心許せる人達に連絡して
いろんな人がみーちゃんのお見舞いに来てくれた

私ずっと認められなくて
みーちゃんはまだ私とずっと一緒に生きていくって考えを譲れなくて
ずっとずっと目を逸らしてたんだけど
初めて
みーちゃんを懐かしむ友達に、会えるうちに会わせてあげたいなって連絡した

会えるうちにって、いつか会えなくなる事を私が認める言葉だから
どうしてもどうしても使えなかった

だけど私以外にもみーちゃんに愛情注いだ人はたくさん居るから
その人達とみーちゃんの絆を私が奪うのは違うって思って
いろんな人を呼んだ

愛しんだり泣いたりしてるみんなを見て
あぁみーちゃんは私以外の人にとっても天使なんだって思った


みんな帰ってまた二人きりになった時
みーちゃんが私のそばに寄ってきて
私の腕に頭を乗せて
ゴロゴロ言ってきた

三日前から言わなくなったゴロゴロ
もうゴロゴロする体力も無いと思ってたからすごく泣いた


今、仕事も何もかも休んで
24時間ずっとみーちゃんの隣に居て
もう5日目になる

だから、一日前には、数時間前には出来ていた事が
一つずつ出来なくなっていく所を間近で見続けている
私が部屋を出ても鳴かなくなって
ゴロゴロを言えなくなって
私の居るところまでの50cmを歩けなくなって
みーちゃんとの思い出の一つ一つの終着駅を見てるみたいで
その度に絶望して狂う程泣いて、わんわん泣いて


だから、私のそばで丸くなってゴロゴロを言って顎を差し出してくるみーちゃんを見て
私がもう出来なくなった事だと思い込んだことは、実はそうじゃなくて
ただみーちゃんの気まぐれなだけかもしれないって
そう思ったらまた光が見えて
泣いて


ぐるぐると毎日24時間
光と絶望を交互に浴びながら
痺れる手でみーちゃんを撫で続けてる


私もみーちゃんと同じようにもう三日ご飯を食べてない
みんなが差し入れてくれたお菓子やおにぎりを口にしたけど
半分も喉を通らない


みーちゃんの腎臓病が発覚した後
私の肺が壊れたことが発覚したように

みーちゃんの状態とリンクするみたく
私もご飯が食べられない

少し目を閉じても
みーちゃんの微振動で飛び上がるように起きて
満足に睡眠も取れてない、眠くもならない
誰かが来てる時だけ眠気があったけど、二人になると眠気も来ない


ぼーっとみーちゃんを見つめて撫でて
時々突然スイッチが入るように泣きじゃくってを繰り返してる
自律神経が乱れているとわかっても
だからと言って私が眠ってる間にみーちゃんがと考えてしまうから眠気が来ない
食事も頑張って口に入れてるけど飲み込めない
吐き出しちゃう

昨日の夜、泣くスイッチが入った時に部屋から出て
別室でご先祖さんに声殺して泣きながらお祈りしてた
そしたらみーちゃんの声がして
振り返ったらみーちゃんがとことこ普通に歩いて私を迎えに来てくれていた
階段降りて、遠くの私を見つけて歩いてきてくれた

みーちゃんはいつも私がどこに行くにも後ろからついて来て
それから「部屋戻ろうよ」って踵を返しながら振り返って鳴く

あまりにいつも通りのみーちゃんを見てまた泣いて
そしたら私の上に乗ってきて、おでこをぐりぐり私の顔に強い力で何度も何度も擦り付けてきた

この数日で初めて私は『安心』をした
その行動の全てが「みーは何も変わらないしどこにも行かないから」って言われてるみたいで

部屋に戻って、子供みたいにみーちゃんのお腹に顔を擦り付けて寝た
5日ぶりに1時間くらいだけど
みーちゃんの心臓の音聴きながら心から安心して寝た
みーちゃんに寝かしつけしてもらった




みーちゃんは今もゆっくり生きてる
生きる為に生きている


私は永遠に何も認められずに泣いていて
みーちゃんと一緒に居る事だけを考えている
一つだってみーちゃんと別の道なんて、別の世界なんて考えは浮かばない

私は20年、みーちゃんに生かしてもらってる
どこへでも飛んでいけたのは、帰る場所があったから
みーちゃんっていう帰る場所が確かにあったから

私の心はみーちゃんを失ってしまったらどこに帰れば良いかがわからない



言葉が話せない動物と人間社会で一緒に暮らすなら
人間が主人・動物がペットっていう主従関係があったり
親子のように母が献身を、子が愛を捧げ合って
そうやって動物を受け入れて
最期を抱き締めるのが
正しい在り方だと思う


動物を家に受け入れる時に必ず別れを
こちらが見送る側になる別れを
どこかに覚悟しないといけない

私はそうなれなかった
そういうのが嫌だから遠ざけて来たのに
初めからそれを否定していたのに


動物を飼うべきでない私は
20年前どうすれば良くて
20年の間にどうすれば良かったのか

わからないまま泣き続けて
窓を見つめるみーちゃんを撫でている

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